127、1歩を踏み出す魔法
この広間はまさに牢獄であった。
1本の長い通路はおおよそ50メートルほど。
その左右に4畳半ほどの牢屋がズラリと並んでいる。
蝋燭の灯りだけが唯一の光源であるため、中はとても暗いのだが、暗視付与のおかげで昼間のように全てが見えてしまう。
「見える、というのも考えものですね……」
ミーナさんの言う通り、暗視付与のせいで全てがちゃんと見えるのだ。
見たくないものまで、鮮明に。
「酷い……」
追体験でも見ていたが、やはりこの環境は最悪だ。
冷たい石畳では横になるだけで体力が奪われていくだろうし、排泄用の壺の中身は通路に撒かれていて、窓がないから換気も出来やしない。
こんな環境でよく今まで生き延びてきたものだ。
そして、この環境下で生き延びてきた子供たちは、海に流れ着いた流木のように痩せ細っていて、肌は黒ずみ、髪はぐしゃぐしゃ、何よりも死臭を漂わせ始めている。
あたしたちがいる入り口の右側の3つの牢屋には誰もいない。
あの追体験で出荷すると言っていた所だ。
それ以外の牢屋にはあの時と同じように大体10人ほどの子供が押し込まれていて、丸まって寝ている。いや、本当に寝ているのだろうか。
最悪の状況を考えてしまったが、どうやら杞憂のようだった。
あたしが魔法を使ったことで何かが起こっているというのを感じ取ったのか、子供たちはぞろぞろと起き上がって、牢屋の入り口から離れて壁の方へ後ずさりを始めている。
あたしたちが1歩進む度に、子供たちはその動向を注視してきた。
「見られていますね……」
「そりゃ、いきなり入ってきた人間は警戒するでしょ……あっ」
そうだ、普通に忘れてた!
あたしたち、自己紹介も何もしてないじゃん! そりゃ警戒するに決まってるよ! あのチンピラたちの仲間だと思われているから、こんな警戒されてるんだ。
「どうされました、モカ様?」
ミーナさんが首を傾げるのと同時に、あたしは牢屋にいるみんなに聞こえるように声を上げた。
「みんな! あたしはモカ!」
だけど、音がものすごく反響してしまい、ちょっとうるさい。配信者をやっていたというのに音量調整を怠るとは……痛恨の極みだ。
「えーっと、ごめんごめん、ちょっと音量ミスってたよ。えー、じゃあ改めて」
さっきより少し声を抑えて、普通に話す時より気持ち大きめの声で自己紹介を始める。
「あたしはモカ。みんなを助けに来た冒険者だよ。今からあたしたちがこの牢屋を壊してあげるから、ちょっとだけ静かにしておいてもらえるかな?」
しかし、いきなり現れた美少女がそんなことを言っても説得力に欠けるのも事実。なので、手取り早く行動で示そうと思う。
「んじゃ、そのまま奥の壁に寄ったままでいてねー」
あたしは腰の【理切】に手を掛け、鋭く抜き放つと、牢屋の扉に掛けられていた南京錠は真っ二つになって、ゴトリと落ちた。
そのまま鉄格子を開けてあげる。
ギィ、と耳障りな錆びた音が反響するが、この空間にあたしたちと子供たち以外はいないから問題ないよね。
「はい、開いたよ。ほら、おいで」
あたしが扉の前で手招きをしているが、子供たちは誰も動こうとしない。
うーん、参ったなぁ。本当は自分たちの力でここから出て欲しかったけど……背に腹は代えられないか。
「来てくれないなら、お姉ちゃんが勝手に連れて行っちゃうぞ」
あたしが牢屋の中に入って子供たちに近寄ると、子供たちはズリズリと後ずさろうとする。だけどもう逃げられるスペースなんてないんだから、大人しくここから出ようよ。
「くそ、しょうがない。こうなったら奥の手だ」
無理矢理捕まえて外に出すこともできるけど、それじゃあこの子たちを捕まえた悪党共と同じになってしまう。だからこの子たちの意思でここから出てきてほしいんだ。
あたしは【理切】を納刀して、代わりにアイテムボックスに手を突っ込む。
取り出したるは、今、王都で大ブームとなっております、瓶詰めされたリナンのジャム。
これは売り物じゃなくてあたしの手作りだ。
レモーネとお別れした時にいっぱい貰ったリナンを何とか消費しようとして作ったんだけど、今こそその時だ。
恐らく、子供たちはちゃんとした食事なんて与えられていないから、いきなり固形物なんて出したらダメだよね。だからジャムなのよ!
「ほら、これ食べて!」
取り出した木のスプーンをジャムの瓶に入れて1杯掬って、1番近くにいたぺたんと垂れた白髪の犬耳幼女の口元に近づけてあげる。
「はい、あーん」
あたしが近づけたスプーンに、犬耳幼女はふんふんと鼻を鳴らす。
初めは戸惑っていたが、すぐにその香りがとてつもなく甘くて美味しそうだと気付いた時には自然と口が開いて、スプーンを咥えていた。
「あむ」
正直に言おう。
あたしはもうこの子にメロメロだ。
垂れていた犬耳がピコンと立って、尻尾がブンブンと振られ、それまで光のなかった瞳にはキラキラとした幸せそうな光が戻ってきている。
あーもう! 何これ! めちゃくちゃ可愛いんだけど!
「むふぅ……お持ち帰り……はっ! いけない!」
あまりの尊さに昇天しかけていたあたしは、何とか意志の力だけで我に返ると、そのまま犬耳幼女にジャムの瓶を押し付けると、次の瓶をアイテムボックスから取り出す。
「じゃあ、次にこれを食べたいの誰かなぁ?」
瓶を掲げると、それに釘付けになる子供たち。
うむうむ。子供は素直なのが1番だよね。
「ちゃんとみんなの分は……足りるかなぁ? まぁ、ジャム以外にも自分のおやつ用に色々と買い溜めしてる分があるし……大丈夫でしょ」
あたしは次々に瓶を取り出しては子供たちに手渡してあげると、始めにジャムを食べた犬耳幼女がちょいちょい、とあたしのローブの裾を引っ張ってきた。
「ん? どした? お代わり?」
あたしがそう聞けば、犬耳幼女はふるふると顔を横に振る。どうやら違うらしい。
「お外、出られる?」
獣人とはいえ、人間に耳と尻尾が生えているから見た目の年齢はそう変わらないはずだ。だとすれば、この犬耳幼女はまだ5歳にもなっていないくらいかな?
身体中に傷や痣があるのは、きっと魔法で良くなるはずだ。
でも、心の傷には魔法は効果がない。だから、この1瓶のジャムが、心の傷を癒してくれると嬉しいね。
「うん、もう大丈夫。みんなで一緒に外に出よう。ね?」
きちんと笑えていただろうか。
この子たちに安心を与えられただろうか。
1歩を踏み出す魔法になっただろうか。
「……うん。お外、出る」
犬耳幼女は綺麗になった瓶を抱えたまま、とてとてと危なっかしい足取りで歩き出して、入り口の前で立ち止まる。
大きな深呼吸をして、意を決して1歩を踏み出した。
「で、出た。出たよ! 出られたよ!」
ぴょんぴょんと跳ねて、その嬉しさを身体中で表現する犬耳幼女の顔には、さっきまでの絶望などもうない。
キラキラと舞い散る涙が黒ずんだ床を濡らし、幼女は駆け回る。
「出たの! 出たんだよ! みんな、お外に出られるよ!」
ここにいる子供たち全員に聞こえるように。
ここにいない子供たちにも聞こえるように。
犬耳幼女は声高らかに歌う。
「みんなで、お外に出ようよ!」
それが、子供たちの気持ちを動かしたのは言うまでもない。
「ミーナさん、あたしみたいに扉の錠前を壊せたりする?」
「申し訳ありません。モカ様のようには出来ません」
「そっか、出来な……ん? あたしのようには?」
「はい。あのようにスマートには出来ません」
「スマートじゃなきゃ?」
「出来ますよ?」
そう言うと、ミーナさんは隣の牢屋に歩き、扉の前に立つと錠前を握る。
「ふんっ!」
ばきごきぐしゃ! とあまり聞いたことのない音がして、ミーナさんが手を開くと、そこにはバラバラになった南京錠があった。
「鬼人族は肉体能力に秀でておりますので、これくらいは朝飯前でございます」
「……そ、そう」
ミーナさんを怒らせないようにしよう。
心にそう誓ったあたしは、ミーナさんと手分けをして、全ての牢屋の鍵を破壊して回る。
期待はしていなかったが、どの牢屋にもカティナちゃんはいなかった。
モカがジャムを上げた犬耳幼女は、フェルーシアン・クーシーと言う種族の獣人です。
この物語では色んな種族が出てきますが、基本的には人族と亜人族に大別されます。
人族が白人や黒人といった種族に分かれているように、亜人も獣人や魔人といった具合に分かれています。
なので、亜人というカテゴリーの中に獣人族やエルフ族、鬼人族がいる感じですね。
ちなみに獣人族は獣度が能力に比例しており、一部例外を除いて人に近い獣人は弱く、獣に近い獣人は強いです。




