112、般若の愛
あたしは今、般若よりも恐ろしい顔をしているアースラーさんの目の前で正座をさせられている。
「それで? 何か申し開きはあるか?」
普段のアースラーさんからは考えられないほどに底冷えした声には怒気が含まれていて、とにかく怖いし、口調もマジのトーンだから余計にヤバい。
「……」
ここで何か言い訳がましいことでも言おうものなら、きっとあたしは四肢を引きちぎられて生トルソーにでもされてしまいそうだ。
「えっと………ごめんなさいッ!」
正座の状態から深く頭を下げる。
つまり土下座だ。
アルドラ服飾店の床が冷たい。でも、それ以上にアースラーさんの視線が冷たい。しかし、こればかりは仕方ない。自分の行動の結果なのだから、責任は自分で取らないとね。
そもそも、どうしてあたしが再びアースラーさんの所にやって来たのか。
その理由は、あのキャリオーク子爵にある。
あの後、案の定というかもちろん、誕生祭は中止となった。
あれだけの事件が起きたのだから当然のことだとは思うけど、意外なことに貴族たちはそれぞれで集まって2次会のようなことを企画していて、その中であたしはキャリオーク子爵に連れられて侯爵さんに挨拶させられたんだけど……
「この後、派閥のメンバーで集まるのだが、一緒にどうかね?」
と侯爵さんに言われて、あたしが断るよりも先に子爵が快諾してしまったのだ。
思わずキャリオーク子爵を睨み付けると、あたしが不満を口にするより先に、あたし専属となったミーナさんが口を開いた。
「キャリオーク様。この後、モカ様は化粧直しがありますので、少しお時間を頂くことになります」
「む、そうだな……流石にそのドレスでは……」
キャリオーク子爵はジロジロと不躾にあたしのドレスを見てくる。
穴が空いたり、焼け焦げていたり、ファーショールが無かったりと、完璧とは言えなくなっているドレス。
あぁ、アースラーさんになんて言おう……今から憂鬱だ。
「構わないとも。モカ嬢、手直しをするにしろ、買い替えるにしろ、請求は私に回してくれて構わない」
このエーデルハイド侯爵は、一言で言えば偉丈夫だ。
正確な年齢は分からないけど、多分50代前半かな?
だというのに体はしっかりと鍛えられていて、白髪の混じり始めた髪はライオンのタテガミのようにふさふさだし、何よりも精力的というか活力に満ちているというか……下手したら30代にも見えてしまうくらいだ。
「過大なご配慮、ありがたく頂戴いたします侯爵閣下」
ミーナさんの綺麗なお辞儀に釣られて、あたしもぺこりと頭を下げる。
「会場は私の屋敷だ。君なら分かるな?」
「はい、存じております」
「ではこれを」
そう言って侯爵さんは名刺大のカードを取り出して、ミーナさんに渡した。
「それでは後ほど……楽しみにしているよ」
そして侯爵さんがキャリオーク子爵を連れて、他の仲間に声を掛けに行ったのを見送ってから、ミーナさんはあたしの顔を覗き込んで尋ねた。
「モカ様、このドレスに替えはありますか?」
「ない、けど……」
「そのドレスはどこで?」
「アルドラ服飾店ってとこで……」
そうやってミーナさんはあたしから色々と情報を吸い上げると、小難しい顔で考え込む。
しばらくして、眉間に寄っていた皺が消えると、ミーナさんはうん、と頷いてあたしの肩に手を置いた。
「モカ様。アースラー様に誠心誠意、心の底からの謝罪をしましょう。大丈夫、あの方ならば、きっと許してくださるでしょう」
そして、あたしは今、アースラーさんの目の前で土下座をしている、というわけだ。
視界は床で埋め尽くされていて見えないが、まだアースラーさんは般若のような顔をしているのだろう。見えなくても肌から感じる怒気は消えていないのが分かる。
と、ここでミーナさんによる援護射撃が入った。
「アースラー・アルドラ様」
「誰だ、おめぇは?」
「お初にお目に掛かります。私、つい先ほどモカ様の専属メイドとなりました、ミーナと申します」
まだ土下座を維持したままのあたしはその光景を見ることが出来ず、声音だけで判断するしかないけど、結構なバチバチ具合で2人は話している。
誕生祭で何があったのかをミーナさんは語り、あれほどまでの事件があったのに、ドレスには大きな破損がないのはあたしが頑張ったからだと熱弁してくれた。
それに対してアースラーさんは、そもそもどうしてあたしが戦う必要があったのか、そういう荒事は騎士に任せれば良かった、自慢の子供を戦いの道具にしないでほしい、修復することは簡単だけどドレスが負った心の傷までは癒せない、とドスの効いた声で捲し立てる。
しかし、最終的にはアースラーさんが折れてくれて、本当に渋々といった具合で肩を竦めたのが分かった。
「まぁ……あたちがこうなることを予想していなかったのが原因ねん……でも、こういうことは金輪際ないようにしてくれると嬉ちいわね」
その言葉に、あたしはココだッ! と千載一遇のチャンスを逃さずにガバッと顔を上げた。
「はいッ! 気をつけます! すいませんでしたッ!」
「はぁ……まぁ良いわ。次はないから気をつけるのよん?」
「もちろんです!」
腹から絞り出したあたしの返事に、アースラーさんは呆れたように首を振る。あれ? なんか信用されてない?
「それで? あたちの所に来たってことは、この子の手直しをして欲しくて来たんでしょう?」
おぉ、話が早い。
あたしがかくかくしかじかまるまるばつばつと、これまでの経緯を話せば、ミーナさんが的確な補足を挟んでくれる。
メイドさんってすごいんだね。
なるほど……貴族がメイドさんとか執事さんを連れている理由が良く分かる。痒い所に手が届く存在というのは本当にありがたい。
「なるほどね。侯爵様のパーティーに出席するからドレスを直してほしい、と」
アースラーさんは顔を顰める。
「悪いけど、手直しするには時間が足りないわね」
「理由をお伺いしても?」
「この子に限らず、あたちたちの産み出した自慢の子供たちは全員、それぞれに個性があるの。だから、その子が何を求めているのか、その子が再び輝けるようにするには何が必要なのか、どんな方法があるのか、そう言ったことを総合的に判断してお直しをするの。つまり……」
「我が子の声を聞き、その子が望む最高を見つけるには時間が掛かる、と?」
なるほどなぁ……そう聞けば、アースラーさんがどれだけ自分の子供たちを愛しているのかがヒシヒシと伝わってくる。
ようやくあたしは、自分のしたことが酷いことだったのだと理解することが出来て、申し訳なくなってきた。
「そゆこと。だからこの子のお直しをするよりも、新しい子を選んだ方が早いわね」
今度はミーナさんが顔を顰める。
なんだろ? 何か問題でもあるのかな? あたしは別に他のドレスでも……いや、なんならいつもの普通の服でも問題ないんだけど……なんて言おうものなら、2人から盛大に怒られる未来が目に見えているから言わない。
「ではアースラー様。このドレスにご兄弟はいらっしゃいますか?」
ミーナさんの言葉を聞き、アースラーさんの目が光ったように見えた。
「えぇ、いるわ。弟が2人、妹が3人、ね」
「では、その中で、最も恥ずかしがり屋の子をご紹介下さい」
その一言に、アースラーさんは怖いくらいに深い笑顔を浮かべた。
アースラーさん、再登場。
愛する我が子を傷ものにした落とし前、どうつけてくれるんじゃワレぃ!?
と激おこの様子ですが、土下座するモカを見て、少し冷静になりました。
ちなみに、アースラーさんはかなり有名な人なので、ほとんどの使用人はアースラーさんが扱いにくい人だと知っています。
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