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救済のアポストロス  作者: ただのいぬ
第一章 東京事変
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訪問者Ⅱ

 こんにちはこんばんはおはようございます。

「これはこれは。どうしたんだい、ライザ?」

「なに、馳走になりに来ただけだ」


 ドアを開くと、そこに居たのはライザだった。

 と言っても、チャイムが鳴る前から彼女が接近していることには気付いていたから、何も驚きはない。


「そうかい、生憎今日の夕食はご馳走と言えるほどのものではないけど、それでも良いなら上がっていくといいよ」

「押しかけた身で贅沢を言うつもりはない。世話になるぞ」


 そう言ってライザは慣れた様子で玄関を過ぎ、リビングへと向かった。

 この通り、ライザがこうして押しかけるのはこれが初めてではない。これは既に、幾度となく繰り返された日常の一つだ。

 もしメディアがこの情報を嗅ぎ付ければたちまち辺り一帯が無法地帯になるだろうけど、残念ながらこの学術都市において、報道の自由は機能していない。

 でなければこうして集まることも、そもそも僕がここに住むことも無かっただろう。


「愛衣は部屋か?」

「うん、だと思うよ」

「……そうか、なら私はテレビでも見てくつろぐとしよう」

「僕を手伝うっていう選択肢は無いのかい……?」

「無いな。自慢じゃないが、私は家事全般が不得意なんだ。私が手を出せばかえって邪魔になる」


 否定はしない。

 彼女は人間の形をした猛獣だ。

 獲物を狩り、その血肉を貪ることはできても、刃物で捌いたり火で焼いたりはできない。それは文明の特権だ。



 夕食が完成したところで、僕はライザに声をかけた。


「ライザ、愛衣を呼んできてくれるかい?」

「ああ、分かった」


 ライザが愛衣を呼びに行っている間に、僕はささっと配膳を済ませる。

 すると、リビングに芳醇なスパイスの香りが漂い始めた。それはどこか懐かしさを感じさせるようで、ただの晩餐を特別なものにしてくれるような気がした。


「懐かしい香りだな……」

「だろう?」


 部屋に入ってきたライザは、すぐにその正体を見破った。流石は犬並みの嗅覚を持っているだけはある。


「あれ、お姉ちゃんも来てたんだ」

「「――――」」


――それは、人間というよりも天使。


――天使というよりも、女神。


 もし敬虔な信徒が彼女の姿を目にしたのなら、経典に記された最も尊い存在と彼女を一瞬でも重ねてしまうことだろう。


 愛衣の美貌は並外れている。

 如何なる表現力を以てしても決して描くことのできないであろう銀の翼。

 この世のものとは思えない輝きを放つ水晶のような瞳。

 彼女のためだけに生まれ落ちた、絶対的な黄金比によって形作られた器。

 彼女を構成する全ての要素がこの世の美を超越している。

 まさに、絶世の美女。

 かの時代、かの審判に彼女が立ち会っていたのなら、三女神の誰にも天秤が傾くことはなかっただろう。


 見慣れた僕たちでさえ、不意打ちを喰らえばコンマ数秒の思考停止を余儀なくされるのだ。もし全国放送でこの美貌が全国民の目に映ってしまったら、この国の時間は数秒間停止することになる。


「…………さっき声を掛けたときに気付かなかったのか?」

「多分ヘッドホン付けてたから、言葉は聞き取れても誰の声かまでは分からなかったんだと思う」

「……そうか、まあ気にするな。それよりも飯にしよう」


 つまり、どうでもいいから早く飯を食わせろ、ということだ。

 流石は『ビースト』の異名を持つ魔術師。食への執念も獣じみている。


「それじゃあ、いただきます」

「「いただきます」」


 こうして三人で食卓を囲むのは、そう珍しいことではない。

 とはいえ毎週のようにこうしているわけでもないので、話題の鮮度が落ちることはない。

 特に今日は色々とあったから、ライザからしてみれば聞きたいことが山積みのはずだ。


「愛衣は、秋葉が学院の教師になることを知っていたのか?」


 その話題が切り出されたのは、晩餐が始まってすぐのことだった。


「知ってたよ。これからは帰りが遅くなるかもだからって、先月くらいに教えてもらったかな?」


 一応同居しているわけだし、家事はほぼ全て僕が担っているわけだし。事前に知らせておかなければお互い面倒なことになるだろうということで、愛衣には就任が決まってすぐに知らせていた。

 けど、ライザがこの話題を切り出したのは、入学式で発表されるまで彼女がそのことを知らなかったからだ。

 

 と、ライザが不満げな視線を僕に向ける。

 彼女が言いたいことはなんとなく察しが付く。


「…………君に限って、情報を漏らすなんてことがないのは分かってるよ」

「べつにお前の信頼を疑っているわけではない……だが事前に知らせてくれていれば、何か手を貸すこともできたはずだ。使徒とはいえ、お前はまだ16歳の子供、誰の手も借りずにいきなり教師を務めるというのは、いくらお前でも容易なことではないだろう」


 それを言ったら、ライザもまだ17歳の少女だ。

 まあ、そんなことを今更ツッコむ気はないけどね。

 彼女は本気で僕のことを心配してくれている。上級生として、生徒会副会長として。そして何よりも、姉として。

 だから、それを無下にすることはしない。


「もし助けが必要な時はそう言うよ。それに勘違いしているかもしれないけど、全てを僕一人でやろうとは微塵も考えていない」

「どういうことだ?」

「部下というのはこういう時こそ真価を発揮するものだろう?」


 するとライザは呆れたように俯き、頭痛でもしたのか倒れそうになる額を手で押さえる。


「まさか、第三部隊のやつらに手伝わせようとしているのか…………」

「学長の許可は取ってある。どうせ基地で暇しているんだ、これ以上の有効活用はないだろう」


 僕が隊長を務める第三遊撃部隊には、5名の隊員が所属している。

 基本的に彼らの出番は、僕が出撃しなければ訪れない。

 けど、学院の教師になったことで僕の出撃回数はこれまでよりも減少するだろう。そうなれば、必然的に彼らは暇になる。ただでさえ暇だったのが、さらに暇になるのだ。せめて給料分の働きは、どこかで補ってもらう必要がある。


「バレたら大変なんじゃない?」


 そう聞いてきたのは愛衣だ。

 先ほども言った通り、この件に関して学長の許可は下りている。それを聞き逃すほど、僕たちの会話に無関心だったわけでもあるまい。


「たしかに、あいつらの過去が明るみになればかなりまずいことになるんじゃないか?」

「彼らの過去は全て抹消してある。漏れたら漏れたでダビドがなんとかしてくれるだろう」


 ダビドの力を侮ってはいけない。マスコミを黙らせる程度、彼にとっては一日三食を維持するよりも容易なことだ。

 その点に関しては、2人も僕と同意見らしい。


「ならいいけど……」

「お前とダビド翁のことだから大丈夫だとは思うが、気を付けろよ……」




 そんなこんなで夕食を終え、愛衣とライザが洗い物をする横で僕は優雅に食後のアイスを頬張っている。


 改めて2人の姿を眺める。

 この光景を見てあの2人が姉妹だとは、誰も思わないだろう。

 性格も外見も何一つとして共通点のないこの2人が姉妹だなんて、身内である僕ですら未だに信じられない。

 でも実際、2人は姉妹だ。それはつまり、ライザが僕の姉であり、僕が彼女の弟ということでもある。

 これ以上に不思議なことがあるだろうか?

 いや、ないだろう。

 と言っても、僕たちとライザに血の繋がりはない。

 僕たちがまだ物心もついていない頃、両親を失くしたライザを僕の父が引き取ったのだ。

 それ以降、僕たちは同じ両親のもとで、同じ愛を受けて育った。

 彼女に本当の両親の記憶はほとんどない。だから、彼女にとっては僕たちが本当の家族なのだ。僕と愛衣にとっても、それは変わらない。


 けど、世間的には僕たちは他人ということになっている。

 僕と愛衣が兄妹であることには変わりないけど、ライザだけは他人ということだ。

 この真実を知っているのは、ダビドや愛衣の親友である華蓮。あとは政府の上層部くらいだろう。

 この国のマスコミも無能ではない。僕たちの過去を調べれば、秘密の一つや二つくらいすぐに掴める。

 おそらく、ある程度の情報は掴めているのだろう。けど、政府の圧力によって世に出る前に悉く握りつぶされている、というのが実態だ。

 それは本来、民主主義を掲げる日本という国においてあってはならないことだ。

 けどこれは、僕がこの国の使徒になる時に提示した条件のうちの一つ。

 秘密が明るみになった時、僕と愛衣がこの国を去るという誓約――それがある限り、政府は必死に隠蔽工作に明け暮れるしかない。

 理由は愛衣の存在だ。

 考えてもみてほしい。僕たち姉弟の中で、使徒でないのは愛衣だけ。それだけならばまだしも、彼女は学院に所属しているにも関わらず、入学以来一度も登校していない不良生徒でもある。

 世間は彼女を、才能に怠けた堕落者と決めつけるだろう。


「帰るのかい?」

「ああ、世話になったな」


 キッチンから戻ってきた愛衣が、部屋を出ようとするライザに声をかける。


「おやすみ、お姉ちゃん」

「おやすみ、愛衣」


 そうして、ライザは静かに家を去った。


「…………みんな、変わったね」


 愛衣がそう呟いたのは、ライザが去ってすぐのことだった。


「どうしたんだい?」

「……言った通りだよ。お兄ちゃんもお姉ちゃんもあいつも、みんな変わったなって…………」


 そう語る愛衣の瞳は、遠くのものをどこか寂しそうにを見つめていた。

 それは不満でも嫉妬でも、孤独でも恐怖でもない。

 理想と現実があまりにも乖離しすぎていることに対する焦りだ。


「愛衣、魔術の才があるからといって、君が魔術師になる必要はないんだよ」

「分かってる。みんなそう言ってくれるから、私は私のままでいられるの」


 力ある者としての義務感――それが愛衣を魔術師という檻に縛り付けているものの正体だ。

 彼女自身、その呪いにも似た錯覚に自分が囚われていることを自覚できていない。

 今僕が指摘したとて、彼女がそれに気付くことはないだろう。

 既に克服したと思い込んでいる故に、あるはずのないものに彼女は気付けない。

 それに、全ての原因が僕にあるとなれば、下手に手を差し伸べるのも悪影響になりかねない。


「…………お風呂、入ってくるね」

「うん」






 僕は、どうすればいいのだろうか

 最後までお読みいただきありがとうございました。


 さて、今回は登場人物の意外な関係性が明かされました。

 こうなったのには語るも涙な経緯があるのですが、それはまたいつか語られることでしょう。

 少なくとも、一癖二癖どころではない彼らを育てたご両親はただ者ではないはずです。特に獣の腹を唸らせるほどのカレーを生み出したお母さんは、それはもうすごいお方であると思います。はい。


 ということで、また次回お会いしましょう。

 最後までお読みいただきありがとうございました!

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