第二十三話 またまた、くまさんは春から 前編
最後の箱のふたを閉めた母さんが、伸びをしながら。
「これでおしまい、っと」
その箱を受け取って、クローゼットの奥にしまったあゆみが。
「心配をしていたんですが、意外とスムーズに片付けられましたね」
リビングで、母さんとあゆみが一時間もかけて箱にしまっていたもの。
それは、ついさっきまで飾ってあった五段飾りの立派なひな人形。
ああでもないこうでもないと、奮闘していたのは認めるけれど。
父さんがいかに賢明だったかってことを、忘れないでほしいな。
お店でこのひな人形を買ったときに。
飾るときの見本にしようと、展示してあるひな人形の写真を撮ってくれて。
うちで箱を開けて飾る前には。
しまうときの参考にするように、箱から取り出す動画を。
あれがなければ、今の満足感や達成感にはたどり着くことはなかっただろ。
満足なしまい方ができたからか、ふ~っとため息をついたあゆみ。
これまた、満足そうな顔をしている母さんに。
「奇麗でしたね、詩織ちゃんと菜摘ちゃんもとっても喜んでいましたし」
喜ぶといっても、そこはまだ一歳児だもの。
みんなの隙をみては、競うようにひな壇に上ろうとしていたし。
真っ赤なもうせんや、雪洞の電源コードを引っ張ろうとしたり。
何でもかんでも口に入れようとするから、困っていたくせに。
それが証拠に、ひな人形が飾ってあった一か月近くの間は。
リビングでは、詩織と菜摘だけにしないようにしていたし。
そんなことを、まったく気にもしていなかったであろう母さんは。
「何を言っているのよ、これはあゆみちゃんのひな人形でもあるのよ」
「わたしのひな人形、ですか?」
「そうよ、あゆみちゃんと詩織と菜摘のひな人形だもの」
「どうして、わたしも?」
「良太と結婚するまでは、あゆみちゃんだってあたしの大切な娘なんだもの」
「お母さま……」
「詩織と菜摘は、あゆみちゃんの妹でもあるのよ」
母さんったら、どれだけのんきなことを言っているんだか。
あゆみにとって詩織と菜摘は、妹っていうより娘なんじゃないかな。
毎日、あれだけ面倒をみているんだもの。
節目節目では、初めての寝返りやおしゃべりにあれだけ感動していたし。
「だから、わたしにひな人形を選ばせたんですか」
「そうよ、詩織と菜摘にはまだ無理だからあゆみちゃんに」
あのとき、僕がひどく退屈な二時間を過ごしたことも忘れないでほしいな。
それに、そこだけを切り取って聞けばいい話に聞こえるし。
あゆみも、感動しているみたいだけれど。
「僕の五月人形は、ばあちゃんの家に置きっ放しにしてあるくせに」
「五月人形だもの、小学校を卒業したら飾るのもねえ」
「四年生のときから飾っていないし、どうせ飾るのが面倒になったんだろ」
僕の文句には、答えようともせずに。
「来年のお節句には、あゆみちゃんのご両親をうちに招待しましょうか」
はいはい、どうせ今年も五月には何もしてくれないつもりだよね。
「どうしたのさ、こんなに寒いのに」
昨日の夕方から降り始めた雪が、今はうっすらを通りすぎてしっかりと。
いや、がっつりと積もっています。
「良太さんこそ、こんな早くにどうしたの」
「僕は……、新聞を取りにきたんだよ」
「いつもはしたことがないのに、新聞なら靴箱の上に置いてあったでしょ」
そんなこと、知っているよ。
早起きをした僕が、キッチンに行ってみると。
いつもなら、朝食の支度をしているあゆみがいないから。
どうしたんだろうと、ベランダの窓から外を眺めたら。
隣の家の玄関前で、あゆみが雪で何かを作っているから来たんだもの。
「こんな雪の中で、長い間外にいたんじゃ凍えちゃうだろ」
吐く息だって機関車の煙みたいに、こんなに白くもくもくと。
「それに、朝食の支度はいいの?」
「下ごしらえは済ませてあるし、みんなが起きてくるには時間があるから」
「小学生みたいだな、雪うさぎなんか作っちゃってさ」
雪うさぎの頭を作っているあゆみが、作業の手を止めると。
「わたしが小さかったころ」
遠くを見るような目をして、話し出すあゆみ。
「大学に進学して東京に引っ越す日の朝に、お姉ちゃんが作ってくれたの」
「へえ」
「風邪を引いていたわたしは、新大阪駅にはお見送りに行けなかったけれど」
「それで?」
「出掛けにお姉ちゃんが作ってくれた雪うさぎが、玄関先に置いてあって」
「さよならのあいさつ、か」
いつの間にか、あゆみの手は再び動き出していて。
でき上がった頭を、胴体に乗せている。
「鹿山さんが大学生になるときなら、あゆみが三歳ぐらいのときの話だよね」
「ええ」
「そんなに小さかったのに、よく覚えているね」
「他のことは何も覚えていないのに、雪うさぎの赤い目が焼き付いていて」
「ふうん」
「昨日の天気予報では、夜から雪の予報だったでしょ」
「うん」
「雪が積もったから、今日はわたしがお姉ちゃんに作ってあげようと思って」
「でも、まだ七時だよ」
「お姉ちゃんが起きる前に、完成させなくちゃ」
「どうせ鹿山さんは最後に起きてくるんだから、急ぐ必要はないのに」
昨日の送別会で、嫌ってほど飲んでいたからね。
「お姉ちゃんだって、お正月は早起きをしていたでしょ」
「そうか、万が一ってこともあるからね」
雪うさぎは、でき上がりも近いようで。
袋から取り出したもので、最後の仕上げに取り掛かっているあゆみ。
ふ~っと長く息を吐いたのを見ると、やっぱり寒かったみたい。
「耳の葉っぱはともかく、この赤い目は?」
「この耳は南天の葉っぱで、目は実なの」
「ふうん、南天ね」
「南天は冬でも枯れないし、難を転じると言って縁起物なのよ」
「それは知っているよ」
「じゃあ、何を気にしているの?」
「僕が聞いているのは、こんなものをどこで手に入れたのかってことだよ」
「どこでって、お花屋さんで」
「へえ、南天って花屋で売っているんだ」
「お正月ならともかくこの時期だもの、近くのお花屋さんを四軒も回ったわ」
「四軒も回るぐらいなら、探せばどこかに生えているんじゃないの」
「まさか、都内なのに近所に自生しているとでも?」
「鹿山さんが作ったときも三月だろ、同じように南天を探し回ったのかな」
「どうかしらね」
「この雪うさぎを作ったのは、鹿山さんへのお返しになんだね」
「ええ、今日はお姉ちゃんがこの家を出ていくから」
「出てはいくけれど、鹿山さんが結婚するのは五月だよ」
「今日からは、中島さんのおうちで生活するから」
「お別れの雪うさぎだって、鹿山さんは気づいてくれるかな?」
「どうかしらね、お姉ちゃんのことだから」
「手が冷たいだろ、完成したならもう家に入ろうよ」
生あくびをしながら、リビングに入ってきた鹿山さんが。
「玄関前の雪うさぎ、あゆみが作りよったんか?」
気づいてくれたんだ、鹿山さんにしてはちょっと意外だな。
「鹿山さんが東京に引っ越す日に作ったでしょ、それのお返しなんだって」
「何年前の話をしとんねん」
「今日は鹿山さんが隣の家を出ていくからね、朝早くから作っていたんだ」
「そら、ご苦労なこっちゃな」
あゆみも報われないな、あれだけ一生懸命に作ったのに感想がそれじゃ。
「それに、あんときのお返しやったらコーヒーメーカーがええのに」
ひと回り以上も年下の妹に、何をねだろうっていうのさ。
「ほんで、課長はどこにおんねん」
「三階の寝室にいるよ、あゆみと冬物の衣類をしまうんだってさ」
「悪いけど、三階に行ってあゆみを呼んできてくれへんか」
「どうして?」
「課長にあいさつしたいんや、あゆみがおったら恥ずかしいさかい」
「あいさつって、今生の別れじゃあるまいし」
「課長には今まで世話になっとるからな、礼を言うときたいんや」
そうか、かれこれ四年だものね。
「お嫁にいくときのあいさつみたいだね」
「まあな、日頃から課長はウチとあゆみの親代わりや言うとるし」
「実際にお嫁入りだものね、呼んでくるから待っていて」
あいさつは極めて手早く済ませたらしく、鹿山さんが下りてくると。
「ほな、行こか」
さきほど言いましたとおり、今日は鹿山さんが中島さんの家に引っ越す日。
僕とあゆみは、引っ越しの手伝いに駆り出されているんです。
とはいっても、中島さんの家には家具や家電がそろっていますから。
鹿山さんが持っていく荷物は、服や身の回りのもの程度なんだ。
しかも歩いて五分ほどの距離だし、その荷物だって段ボール箱が四つだけ。
業者に頼むほどでもないので。
僕と母さんや、鹿山さんの実家のときと同じスタイルでの引っ越しなんだ。
鹿山さんと中島さんがひと箱ずつ運ぶから、残りの箱は二つだけ。
張り切っていた僕とあゆみの出番は、あっという間に終わっちゃうな。
中島さんの家のリビングで。
「もう終わりだなんて、汗をかく間もないや」
「細かいもんは、ちょこちょこ運んどったさかい」
「これじゃ、箱に入った手土産を持ってきたみたいだよ」
「消化不良やったら、その辺でも走ってきたらどや?」
「おあいにくさま、運動なら普段から足りているよ」
「テレビやレコーダーは置いたままだったけれど、持ってこなくていいの?」
「優紀には好きにつこてええ言うてあんねん、家電はそろっとるからな」
「気前がいいね、それでもテレビぐらい持ってくればよかったのに」
「テレビやったら、そこにでかいのがあるやろ」
「鹿山さんのテレビなら、寝室に置くにはちょうどいい大きさでしょ」
「あんなあ、新婚夫婦が寝室でテレビなんぞ見るかいな」
そうか……、なるほどね。
たわいもないことを話していると、玄関のチャイムが鳴り。
出迎えた鹿山さんの後から、父さんと母さんが。
「どうしたの?」
「引っ越し祝いを持ってきたんだ」
父さんが抱えているのは、買ってきたばかりのコーヒーメーカー。
さっき聞いた、鹿山さんの要望を母さんに伝えたら、
車を飛ばして、父さんが買ってきてくれたんだ。
「ありがとうございます、課長」
「おおきに、課長」
中島さんと鹿山さんが、声をそろえてお礼を。
鹿山さんと母さんや中島さんと父さんは、どちらも部下と上司だものね。
「引っ越しが済んだなら、ごはんを食べに連れていってよ」
「いきなりごはんって、まだ十一時前よ」
「引っ越しを手伝ったから、おなかがぺこぺこなんだ」
「何を言うとんねん、自分らが運んだんは段ボールをひと箱だけやろ」
「それでも、手伝いは手伝いでしょ」
「いいじゃないか、このあたりで十一時からやっている店は……」
さすが、父さん。
「スーパーマーケットの通りにある、寿司屋にするか」
「寿司屋さんって、洋食屋さんの隣にあるお店?」
「ああ」
「ウチは賛成や、寿司屋やったら酒も飲めるし」
鹿山さんの口から出た、お酒って言葉に反応したあゆみが。
「引っ越しの後だもの、おそばがいいんじゃない?」
速攻で、軌道修正をしようとしている。
「なんぼ土曜日やいうても、昼どきのそば屋で大っぴらに酒っちゅうのもな」
鹿山さんは鹿山さんで、やっはりお酒ありきなんだね。
「体裁が悪いのは、お寿司屋さんでも同じことでしょ」
とがめるなら、むしろ大っぴらって方をとがめるべきでは?
「土曜日の寿司屋やったら、そば屋とは罪悪感がちゃうがな」
「どんな違いがあるっていうの」
「他の客かて、食事よか酒がメインやろ」
みんながそうとは限らないだろ。
「六人だと、大きなテーブルか座敷がある店じゃないと」
父さんが、本当の意味での軌道修正を。
「詩織と菜摘が生まれたときに使った、奥のお座敷があるでしょ」
「せやな、あっこでええやん」
「お座敷は宴会用でしょ、お昼に使わせてくれるかしら」
母さんにしては、珍しく的を射た疑問だな。
「空いとったら、入れてもらえるんとちゃうか」
「どうかしら、前は予約をしていたし宴会のコース料理を頼んでいたもの」
「だったら、隣駅のしゃぶしゃぶ屋にするか?」
「わざわざ電車に乗ってまで?」
「ウチはどっちでもかまへん、座敷があって酒が飲めるんやったら」
何があっても、お酒ありきなんだね。
「歩いて行けるお店がいいわ、お寿司屋さんに電話で聞いてみましょうか」
いつの間にか、母さんがお寿司屋さん派に?
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