第二十話 ある意味では初めての、バレンタインデー
みなさまも、すでにご存じかとは思いますが。
バレンタインデーは、律儀なことに毎年やってきます。
そして、今年のバレンタインデーは来週に迫っていて。
学校でも、女子たちがそわそわしているように感じます。
かくいうわたしも、みんなに負けず劣らずそわそわと。
というのも、今年のバレンタインデーはわたしが東京に来てから。
そして、良太さんと婚約してから初めてのバレンタインデー。
いつもの年とは違う、特別なバレンタインデーなんです。
これまでは、事前にチョコレートをお姉ちゃんに送って。
バレンタインデー当日に、良太さんへ渡してもらっていましたが。
今年は、わたしがじかに手渡すことになりますから。
とはいえ、ですよ。
初めて直接手渡せることがうれしくて、などという理由で。
そわそわしているわけでは、けっしてありません。
チョコレートを渡した後に、良太さんの反応を目の当たりにする。
そんなイベントが控えていますから。
この手のことがらについては、極めて鈍い良太さんですから。
チョコレートに込めた、わたしの思いに気づいてくれているか。
はなはだ疑問です。
包装を開けるなり、無造作にむしゃむしゃ。
あっという間に食べ終わって、他のお菓子を食べようとするんじゃないか。
などと考えてしまうので、わたしはそわそわしているんです。
去年まで味わったことがない、こんな気持ちになるのも。
良太さんの近くにいるからこその、ぜいたくな悩みなんですけれど。
近くにいるからこその心配なら、その他にもあるだろうですって?
学校で誰かからチョコレートを渡されたら、ですか?
ご心配には及びません。
義理チョコのひとつやふたつに、目くじらを立てるつもりはありませんし。
同じクラスには優紀さんがいて、気にかけてくれるそうですから。
えっ、優紀さんがそこまでしてくれる理由ですか?
今月の初めごろだったかしら、優紀さんと話していたときに。
「もうすぐバレンタインデーね、あゆみちゃんはどうするの?」
「良太さんにでしたら、いつもと同じ手作りのチョコレートを」
「ふうん」
「優紀さんだって、隼人さんにあげるんでしょ」
「まあ、ね……」
どうしたんだろ、急に口ごもっているわ。
「義理チョコは、どうするの?」
「わたしは、誰かに義理チョコを渡したことはありません」
「お父さんや石田君のお父さんには、あげていなかったの?」
「父やお父さまには渡しますけれど、あれは義理チョコではありませんから」
「それも、手作りするの?」
「手作りするのは、良太さんへのチョコレートだけです」
「それ以外のチョコレートはお店で買ってくるの?」
「はい」
「あの石田君じゃ、バレンタインデー当日はあゆみちゃんも心配ね」
無理やり、話題をそちらに持っていこうとしていませんか?
「去年は、石田君に渡そうとする子たちが教室の前をうろうろしていたわよ」
「義理チョコでしたら、わたしは別に……」
「本命チョコでなければ目くじらを立てないって、余裕しゃくしゃくね」
そんなことはありません、もっと他に気になっていることがあるだけです。
「今どき、義理チョコを渡す人なんてそうはいないでしょうし」
「そうね、今年は石田君に本命チョコを渡す人もいないでしょうから」
「どうしてですか?」
「あゆみちゃんって婚約者がいるのは、学校中が知っているんだし」
「そうでしょうか」
「気になるなら、当日はあたしがそれとなく石田君を気にかけておくわ」
「別に、そこまでしていただかなくても」
「休み時間にはそばにいて話しかけていれば、虫よけぐらいにはなるでしょ」
「虫よけ、ですか……」
「そのかわりに、あたしに教えてほしいの」
「教えるって、何をです?」
「だから、チョコレートの作り方を」
ふうん、それが目的でこんな話題に。
そんなわけで。
わたしが、チョコレート作りをアドバイスしてあげる代わりに。
優紀さんが、良太さんを気にかけてくれることになっているんです。
「あゆみちゃんは、石田君にどんなチョコレートをあげるの?」
「いつものように、イルカのチョコレートです」
「毎年、同じチョコレートを作るんだ」
「良太さんとわたしにとって、イルカは特別ですから」
「ふうん」
「まずは、クッキーをイルカの形に焼いて」
「クッキー?」
「はい、クッキーの周りをチョコレートで厚めにコーティングするんです」
「へえ」
「仕上げに砕いたアーモンドをまぶせば、イルカが四頭」
「どうして、チョコレートをイルカの形にしているの?」
「初めて良太さんからもらったヘアピンが、イルカだったので」
「特別なときにつけている、あのヘアピン?」
「はい」
「最初から、手作りチョコレートをあげていたの?」
「はい、わたしも最初は苦戦しました」
「あれだけ、お料理が得意なのに?」
「それまで、お菓子は作ったことがありませんでしたから」
上手にできるまで、何度も練習したっけ。
「あゆみちゃんのように凝ったチョコレートは、あたしには無理ね」
「でしたら、シンプルなハートの形にしませんか?」
初めてチョコレートを手作りする優紀さんに、アドバイスを送りながら。
自分でもチョコレートを作っている場所は。
遊びに来ている隼人さんに見られたくないという、優紀さんの希望により。
わたしのお部屋がある、隣の家のキッチンです。
隣の家で、キッチンを使うのは。
平日に来てくれる蝶野さん付きのお手伝いさん、山下さんだけ。
事前にオーダーがあった人への、夕食を作るときに使います。
お姉ちゃんたちがキッチンを使うのは、お酒のおつまみを作るときぐらい。
わたしは、良太さんの家で食べますから。
隣の家のキッチンに山下さん以外の人がいるのは、珍しいんです。
そんなキッチンから、人の気配がしているので。
何ごとかと顔を出したのは、お姉ちゃん。
「二人で何をしとんねん、日曜日の朝っぱらから」
「見れば分かるでしょ、優紀さんとチョコレートを作っているの」
「あゆみちゃんに、作り方を教えてもらっているんです」
「やったら、ウチもチョコレートを作ろか」
「かっ、鹿山さんがバレンタインデーにチョコレートを手作り!」
驚天動地って顔をして、驚いている優紀さん。
普段から料理の「り」の字もしないお姉ちゃんだから、無理もないけれど。
「なんや、ウチがチョコレートを手作りしたらあかんの?」
「そういうわけじゃ……」
反論もせず口ごもっている時点で、確信犯ですよ。
「結婚前に中島へチョコレートを渡せるんは、今年が最初で最後やからな」
お姉ちゃんは、あらかじめ買っておいた材料を冷蔵庫から取り出すと。
チョコレートを小さく切って、ボウルを使い湯煎しています。
慣れた手つきのお姉ちゃんを見ていた、優紀さんが。
「鹿山さんって、お料理ができるのね」
中島さんにも同じことを言われたと、お姉ちゃんが言っていたっけ。
それにしても。
チョコレート作りをお料理と呼ぶってことは、もしかしたら優紀さん……。
「お姉ちゃんは独り暮らしをしていましたから、それなりの腕は」
「人は見かけによらないって、本当ね」
「聞こえとるで、全部」
ほどなく作り終わったチョコレートを、冷ましていると。
こころなしか、肩で息をしているような優紀さん。
まさか、初めてのチョコレート作りに疲れたのかしら?
「あれ、あゆみちゃんのチョコレートって……」
やっぱり、優紀さんならすぐに気づくわね。
「胴長で尻尾を跳ね上げているイルカは、『L』の形でしょ」
「はい、このちょっぴり太っちょのイルカは『O』です」
「ジャンプしている子は『V』で、尻尾をくるりってしている子は『e』ね」
「最初から、ずっとこの形の四頭なんです」
「大胆ね~、最初からLOVEって」
「初めてあげたときには、もう良太さんを好きになっていましたから」
「のろけてくれるわね」
「力作だけれど、あの鈍い石田君が気づいているかしら?」
「どうでしょう、あまり期待はできませんね」
「何といっても、あの石田君だものね」
二人して、顔を見合わせて笑っちゃった。
そして、バレンタインデー当日。
学校から帰ってきた良太さんのかばんが、ぱんぱんになっているわ。
中に大量のチョコレートが入っているであろうことは、察しがつきます。
わが国の義理チョコ文化は、まだまだ廃れていないようですね。
わたしの視線に気づいた、良太さんは。
「受け取ったんじゃないよ、今日は一人でいる時間がほとんどなかったから」
「どうして?」
「休み時間になると、委員長がやたらと絡んできて」
ナイスアシスト、優紀さんっ!
「全部、靴箱の中に入っていたんだ」
今日に限って、靴箱の前で待ち合わせをせず。
チョコレートを渡す準備のために、わたしは先に帰ったから。
「この数が入っていたなら、靴箱はいっぱいだったでしょ」
「うん、ふたが閉まっていなかったもん」
優紀さんの視線を恐れて、手渡しを諦めて靴箱に流れたってことか。
ちょっと怖いものね、優紀さんの冷たい視線って。
「昨日もらえれば、良かったのに」
「どうして?」
「だって、あゆみがチョコレート作りの材料にできただろ」
「材料って、良太さんはもらったチョコレートを食べないんですか?」
「うん、僕が食べるのはあゆみからのチョコレートだけだよ」
「えっ?」
「好きな子からのチョコレートがあるんだもん、他はいらないよ」
これっぽっちも予想していなかった、満点の回答に。
感動、というより驚いているわたしって……。
「去年まで、もらったチョコレートはどうしていたの?」
「鹿山さんたちにあげていたよ、お酒のつまみにするんだってさ」
お姉ちゃんったら、そんなことはひと言もっ!
「良太さん、これ……」
改めて、チョコレートの贈呈です。
「ありがとう」
良かった、まずはうれしそうにしているもの。
「あゆみから、手渡してもらうのはこれが初めてだね」
「そうね」
「直接もらうと違うもんだね、少しドキドキするもの」
へえ……、これまた満点の回答を。
「あゆみがくれるチョコレートって、イルカの形をしているけれど」
さすがに、それには気がついているのね。
それを聞いていたお母さまが。
「毎年もらっているのに気づいているのは、それだけ?」
「もちろん気づいているよ、イルカにしては変なポーズだなって」
自信満々にそう言った、良太さんの「もちろん」に対して。
お母さまとわたしは、がっくりするとともに大きなため息を。
「わざわざ、LOVEの四文字にしなくても良かったのに」
あれ?
良太さんは、この手の話になると極めて鈍いはずなのに。
「何よ良太、気づいていたの」
「気づいて当たり前だろ、人を何だと思っているのさ」
申し訳ありません。
良太さんが気づいているとは、とても思えなかったので。
「小さいイルカが四つじゃ、すぐなくなっちゃうんだよ」
わたしからのチョコレートしか食べない、なんて聞いてしまった今は。
数に不満があっても、許してあげないとね。
「せめて、各文字三つずつにして数を増やすとか」
「四頭だから、鈍いあなたでも意味に気づけたんでしょ」
そこまでストレートに言わなくても、お母さま。
「イルカにこだわるなら、ひとつひとつを大きくしてくれればいいだろ」
「来年からは、各文字を三つずつにしてあげます」
「もう一声、四つずつにしてよ」
自分のお部屋に戻ると、チョコレートをベッドの枕元に置いた良太さん。
「食べてくれないの?」
「あゆみのチョコレートは、次の日に食べることにしているんだ」
「どうして?」
「バレンタインデーの当日は、枕元に置いておくから」
「食べずに、枕元へ?」
「去年までは、あゆみと離れていたからね」
「それと、何の関係があるの?」
「あゆみの夢を見られますようにって、枕元へ置くんだよ」
思いもよらない満点の連発に、感動していたのに。
「それに、食べるチョコレートには困らなかったし」
「他の人からもらったチョコレートは、お姉ちゃんたちにあげるって」
「母さんや三人娘からも、チョコレートはもらうから」
そりゃ、そうよね。
さっきまでのわたしの感動を、返してくださいっ!
Copyright 2026 後落 超




