第十一話 お姉ちゃん頑張って ~風邪引きさんを看病したら~
インターホンを押してから待つこと、三分。
ようやく解錠された玄関のドアを、半ば強引に開いたお姉ちゃんは。
パジャマ姿で壁に手をつきながらどうにか立っている、そんな中島さんに。
「このさぶい中、どんだけ待たしとんねん」
「でも……」
「なんべん、インターホンを鳴らした思とんねや」
中島さんは病人なんだから、もう少し優しく言えないの?
それに、お姉ちゃんが外で待っていたのはたかだか三分よね。
「すみません、思ったよりもふらふらしていて玄関まで来るのに時間が」
「まったく、ウチが好きで来とるとでも思てるんか?」
わたしからはそうとしか見えないけれど、違うの?
「ウチが来たんは、大家さんからしつこう言われたさかい」
リビングに向かいながらも、お姉ちゃんの文句はいっこうに止まりません。
「申し訳ありません……」
中島さんが謝ることではないと思います、依頼主はお父さまですし。
そもそも、風邪を引いたのはお姉ちゃんのせいですから。
「こないなこともあるんやし、鍵ぐらい渡しとけっちゅうねん」
「はあ」
「予備の鍵ぐらいあんねやろ」
「管理会社に一本預けてありますから、残りは一本しかないんです」
「転ばぬ先のつえ言うやろ、その鍵を渡しとき」
「一本しかなくても、ここに来る人なんて鹿山さんだけですものね」
「せや、誰ぞ他におらんのやったらウチに渡すんが賢明やろ」
まさか、一本しかない予備の鍵をお姉ちゃんに渡しちゃうつもりですか。
風邪のせいで正常な判断ができなくなっていますよ、中島さんっ!
昨日の夜、お姉ちゃんにお父さまが。
「今日は、中島が会社を休んだんだ」
「ほう、そうでっか」
「なんでも、風邪を引いて起きられないらしくて」
「転勤初日から風邪で休んだんでっか、ほんまにしょうもないやっちゃな」
自分に何の関係が、そんな感じで聞いていたお姉ちゃんでしたが。
「病人が一人で寝込んでいるんだ、心細いだろうから見舞いに行ってやれよ」
「見舞いて、ウチが?」
「ああ」
「部屋選びといい引っ越しといい、なんでいつもウチが指名されなあかんの」
「あのなあ、誰のせいで中島が風邪を引いたと思っているんだ」
「なんや、ウチのせいやとでも言いたそうでんな」
「十一月の終わりなのに、裸で寝かされたからだって言っていたぞ」
「いらんことをべらべらと、後でがつんと言うたらなあかん」
まごうことなき、純度の高い逆恨みね。
「長引くようだと業務にも支障が出るんだ、行って看病してやってくれよ」
「見舞いだけやのうて、看病もでっか」
「それぐらいしてやってもいいだろ、風邪を引いた原因はおまえなんだから」
「自己節制がでけへんのは、社会人としての自覚が欠落しとるからやろ」
偉そうに言っていますけれど。
社会人としての自覚について語る資格が、お姉ちゃんにあるとでも?
そんなことがありまして、会社帰りのお姉ちゃんは。
風邪で寝込んでいる、中島さんのお部屋に来ているんです。
「せきは治まっとるみたいやな」
「朝に比べれば、ずっとましになりました」
「熱もある言われたさかい、貼るタイプの冷却シートを買うてきたで」
そう言うとベッドに上がり、中島さんにまたがったと思うと。
おでこをくっ付けて、熱を測っているわ。
「何をしているんですか、鹿山さんっ!」
風邪で具合が悪いとはいえ、さすがにこれじゃあ大声を出しますよね。
「見れば分かるやろ、熱を測っとるんやないか」
「どっ、どうしておでこなんかで」
おでこはともかくとして、またがられていることをとがめるべきなのでは。
「男の独り暮らしやし、どうせ体温計なぞないやろ」
「あるって知っているでしよ、鹿山さんは」
「知っとるて、ウチが?」
「自分で言っていたじゃないですか、常備薬と一緒に入れておくって」
そこまで言われているのに、ピンときていないなんて。
「引っ越しのとき、リビングのオーディオボードの引き出しに入れておくと」
「言われてみれば、そないなことがあったな」
測り終えた体温計を受け取り、眺めていたお姉ちゃんが。
「下がっとるみたいやな、熱」
「昨夜から一日中、ひたすら寝ていましたからね」
「それにしても転勤初日から風邪で休むて、どんだけひ弱なんや」
「本当ですね、今日が金曜日なのは不幸中の幸いでしたよ」
「見た目によらんと軟弱なやっちゃな、いつの間に風邪なぞ引いてん」
「決まっているでしょ、ラブホテルの日にですよ」
ほら、お父さまが言っていたとおりでしょ。
「鹿山さんが僕のシャツを着たから、僕が裸で寝ることになって風邪を」
「あんなあ、ラブホやったら裸で寝るんは別におかしないんとちゃうか」
微妙に言い負かされかけていますよ、中島さん。
「汗をかいとるやろ、パジャマと下着を代えよか」
クローゼットの引き出しから、パジャマと下着を出しているお姉ちゃん。
もはや、この家でどこに何があるのかを熟知しているのね。
「早よ脱ぎや、ついでに体を拭いたるさかい」
「いいですよ、そんなことまで鹿山さんにさせられません」
「せっかく着替えても、汗をかいたままやったら意味がないやろ」
「だったらタオルをください、体は自分で拭きますから」
「何を恥ずかしがっとるんや、早よ脱ぎ」
「だって」
「ウチの裸かてさんざん見とるのに、いまさら恥ずかしがる間柄かいな」
お姉ちゃん、知らない人が聞いたら勘違いをするような言い方をしないで。
風邪のせいか、力が入らない中島さんの抵抗も空しく。
半ば強引に、体を拭き終えたお姉ちゃんは。
「あんたがおらんと仕事に支障が出るて大家さんが言うとった、はよ治しや」
言われなくても、って顔をしている中島さんに。
「まあ、もう元気になっとるようやけど」
「はあ?」
「さっきおでこで熱を測ったときや、体を拭いたったときにや」
お姉ちゃんたら、意味深ににやにやしちゃって。
「ずいぶん元気になっとったようやけど、ウチの気のせいやったんか?」
心当たりがあったのか、顔が真っ赤になっている中島さんは。
「仕方ないですよ、あんなシチュエーションじゃ……」
消え入りそうな声で、そう言うのが精一杯。
それを聞くと、また意味深な笑顔で。
「ウチは洗濯しとるさかい、何かあったら呼びや」
洗濯機を回し始めてから、寝室に戻ってきたお姉ちゃんですが。
ベッドで横になり、雑誌を読んでいる中島さんに。
「どうせ、なんも食うとらんやろ」
「そうですね、昨日の夜から熱で動けませんでしたから」
「やったら、腹が減っとるんとちゃうか」
「風邪を引いたといってもせきと熱だけでしたから、おなかはぺこぺこです」
「おかいさんでも作ったるから、ちょい待っとき」
寝室から出ていったお姉ちゃんですが、あっという間に戻ってくると。
「あの冷蔵庫はなんやねん、なんも入っとらん」
「ここに住み始めたのはおとといですよ、買い物に行くより先に熱が出て」
「しゃあないな、何ぞ買うてくるから待っとき」
「いいですよ、わざわざ買いに行かなくても」
「かまへん、看病の間にウチが飲むビールやつまみを買うてくるついでやし」
ビールを飲みながらする看病って、どんな看病よ。
おかゆを食べ終わって、満足している中島さん。
「鹿山さんって、意外と料理がうまいんですね」
たかがおかゆを作っただけで、これだけ感心されるなんて。
お姉ちゃんって、どれだけ料理ができないと思われていたのかしら。
「なんやねん、その褒め方は」
「だって、鹿山さんって料理なんかできない人かと思っていたんで」
やっぱり。
「どんだけ独り暮らしをしとった思てんねん、大抵のもんなら作れるわ」
「でも中華風のおかゆなんて、しかもおいしくて驚きました」
「おかいさんぐらいで褒められてもな、今度はちゃんとしたもんを作ったる」
今度って、また中島さんの家に来るつもりをしているってこと?
お姉ちゃんが洗濯物を干してから寝室に戻ると、寝入っている中島さん。
「眠うない言うとったのに、食うもん食うたら寝てまうて」
そう言いながら、ナイトテーブルに置いたのはビールのロング缶。
しかも、六本パックのままで。
いくら、何度もキッチンに取りに行くのが面倒だからって。
さっそく缶ビールを手に取ると、プシュ。
ベッドに腰掛けて、ぐびり。
「こない頼りないやつが部下やねんから、大家さんの気苦労も絶えんやろな」
良く言えたものね。
自分がお母さまにかけている、気苦労のことは棚に上げて。
おつまみに買ってきたおでんの中から、大根を食べてからぐびり。
もう一口、ぐびり。
「普段はウチに文句ばかり言うくせに、こうして黙っとればかわいいのにな」
次は昆布を食べてからまた一口、ぐびり。
もう空になったみたいで、新しい缶をプシュ。
「ま、不出来な弟ができたんやと諦めなあかんな」
中島さんが寝ているのをいいことに、好き勝手なことを言っています。
そりゃ、これまでの二人についてはさんざんな流れを見てきましたから。
こんなことになるのではないかと、思ってはいましたが。
やっぱり朝になっているじゃないですか、朝にっ!
「どうあろうとも一緒のベッドで寝ることになっているんですね、僕らって」
「しゃあないやろ、ベッドがひとつなんやさかい」
独り暮らしの中島さんのお部屋に、ベッドが二つあったらおかしいでしょ。
っていうより、ひとつだろうが二つだろうが。
「何をわろとんねん」
「だって、ラブホテル以外で一緒に寝るのって初めてだなと思って」
「そう言われれば、そうやな」
笑っている場合ではないと思います、二人ともお気楽が過ぎませんか?
しかも、一緒に寝ていたことについてはまったく気にしていないなんて。
つくづく思います、慣れって怖いわね。
「幸い、今回については僕は罪悪感を覚えなくて済みますね」
「なんでやねん」
「だって、僕のせいじゃありませんから」
「あんなあ、ウチはあんたの看病に来とるんやで」
「看病を口実にビールを飲んでいたら、うとうとして寒くなったんでしょ」
「見とったように言わんとき、自分は寝とったくせに」
「ベッドに潜り込んだら暖かくて、ついそのまま朝までぐっすり」
「なんで、そこまで言い切れんねん」
「誰だって分かるでしょ、そこに転がっている空き缶の山を見れば」
中島さんの目線の先には、床に転がっているビールの空き缶が八本も。
ひとパックじゃ足りなくて、冷蔵庫に入れておいたビールまで飲んだの?
「にしても、ウチが寝とるて気ぃついた時点で起こしたらええやろ」
「夜中に目を覚ましたら隣で鹿山さんが爆睡していたのに、僕にどうしろと」
「しかも服のままで寝かしとくて、体が痛ぉてしゃあないやろ」
「着替えさせるって、鹿山さんが僕に服を脱がされるってことですよ」
「ウチはかまへん、裸やったらなんべんも見られとるし」
「そもそも、僕の家には女性の着替えなんかありませんよ」
「何を言うとんねん、まっさらのパジャマがあるやろ」
「あれって、僕の彼女のパジャマですよね」
「ほな帰るわ、課長に怒られるんがめっちゃゆううつやな」
「僕も一緒に行って、石田課長の奥さんに説明をしましょうか?」
「遠慮させてもらうわ、あんたがおったら余計にややこしなるさかい」
中島さんは、ナイトをかってくれようとしているのに。
「それよか食事はどないすんねん、自分」
これから、激怒しているであろうお母さまと相対するっていうのに。
そんなことを気にしている場合ですか?
「デリバリーとかでどうにかします、まだ買い物には行けそうにないんで」
「しゃあないな、いっぺん帰ってから作りに来たる」
「いいですよ、これ以上の面倒はかけられませんから」
「かまへん、普段からウチの周りにはもっと難儀なことだらけやさかい」
その主たる理由は、お姉ちゃん本人にあると思いますけれど。
「じゃあこれ、鹿山さんが持っていてください」
合鍵じゃないですか、本当にお姉ちゃんに渡すんですか?
「ほんなら、昼過ぎに来るさかい」
お姉ちゃんも、すんなり受け取っちゃって。
男が女に自分の部屋の合鍵を渡すことの意味を、分かっています?
渡す中島さんも受け取るお姉ちゃんも、どんな神経をしているのかしら。
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