第百五十九話 燃え盛る長島、友の絶望と宗則の無力
夜が明け、東の空が白み始めていた。
しかし、長島の空は、夜の名残の闇と、燃え盛る炎の煙によって、いまだ深く覆われていた。
宗則は、顕忍との激戦で疲弊しきった体を引きずり、願証寺の奥から外へ出た。彼の術によって狂気を鎮められた一向宗徒たちは、意識が混濁しながらも人としての意識を取り戻し、
しかし、織田軍の容赦ない攻撃の前に、無抵抗に斬り捨てられていく。
「ああ……」
宗則は、その光景を目の当たりにし、思わず呻いた。彼の術は「狂気を鎮める」ことはできた。
だが、「戦を止める」ことはできなかった。正気に戻り、ただ恐怖に怯えるばかりの民衆が、容赦なく命を奪われていく。彼の胸には、深い悲しみと、言いようのない無力感が押し寄せた。
「主様……」
太陰が、白髪の老婆の姿で宗則の傍らに静かに寄り添った。彼女は言葉なく、ただ宗則の精神的な消耗を感じ取るように、彼を見守る。
「フフフ……見たか、宗則。これが人の世の真の姿だ」
金色の蛇の姿の勾陳が、冷ややかに、しかしどこか楽しげな声で呟いた。
「そなたの小さな力など、混沌の前では無力に等しい。真の秩序は、この血の先にこそ生まれるのだ」
勾陳の言葉が、疲弊しきった宗則の心に鋭く突き刺さる。抗おうとするが、体には力が入らない。多くの命が失われていく現実が、彼の信念を揺さぶる。
『これで本当に、彼らは救われたのだろうか?』という問いが、心の奥底で木霊した。
「……なんたる惨劇だ。これが、人の世の正義というものか……」
炎をまとった蛇の姿の騰蛇が、怒りと悲しみが入り混じった表情で、燃え盛る長島を見つめていた。
宗則は、炎と煙の中を歩き、織田軍の陣地へと戻った。そこには、命を取り留めた者たちの安堵と、失った者たちへの深い悲しみが入り混じった、重苦しい空気が漂っていた。
陣の入り口で、宗則は、泥と血にまみれた隼人の姿を見つけた。彼の顔は、疲労と虚脱感で、抜け殻のようだった。
「宗則……!」
隼人は、宗則の無事な姿を見ると、駆け寄ってきた。その声には、安堵と、かすかな感謝が滲んでいる。
「お前のおかげだ。奴らが、一瞬、人間に戻ったのが見えた……本当に、ありがとう。だが……」
隼人は、宗則の顔を見つめ、声にならないほどか細い声で問いかけた。
「だが……結局、多くの者が死んだ。お前の術をもってしても、この地獄を止めることはできなかった。一体、何が正しかったというのだ……?」
隼人の問いは、宗則自身が抱えていた無力感と、そのまま重なった。彼は、この問いに対し、明確な答えを持つことはできなかった。言葉に詰まり、唇を固く結ぶ。
「俺は……お前を救いたかった。そして、この地の民を、あの狂気から解放したかった」
宗則は、絞り出すように答えた。彼の視線は、遠く、まだ煙の上がる長島の方向を向いている。
「だが、戦そのものを止める力は、今の俺にはない……。勾陣の言う通り、俺の力など、小さなものなのかもしれない」
宗則は自嘲気味に呟いた。
しかし、次の瞬間、彼の瞳に強い光が宿った。それは、諦めではなく、『救えなかった命』を無駄にしないという、確固たる決意の深化だった。
「だが……だからこそ、俺は、この世の真の安寧とは何かを、陰陽師として見極めねばならないと強く思う。武力による天下統一だけが、唯一の道ではないはずだ」
隼人は、宗則の瞳を見つめた。その奥に、これまで見たことのない、しかし確かに輝く強い意志を感じ取り、何も言わず、ただ頷いた。
織田軍は長島を制圧し、京へと帰還の途についた。宗則は、護衛の兵士たちと共に、静かに馬を進める。長島の悲劇は、彼の心に深く刻み込まれた。
顕忍が使った術、そして勾陳の誘惑。宗則は、道中、長島で感じた『穢れ』と『術』について、改めて深く考察した。
顕忍の術が、単なる一宗派の術に留まらず、より大きな陰謀の一端であることを悟り始めていた。顕忍の最期の言葉や、勾陳が閑話で言及した『南から目覚めつつある新たな力』とは一体何なのか。そして、顕忍は、その力の道具として利用されていたに過ぎないのではないか。
宗則は、これから京で直面するであろう宮中の『穢れ』が、長島で見たものと根は同じである可能性に思い至った。それは、人の欲望や争いが、いかに『穢れ』を生み出し、世を歪めるか、という普遍的な問題だった。
顕忍との死闘で霊力は底を尽きかけていたが、宗則は、この先の「見えない戦い」には、まだ見ぬ天将の力が必要になることを漠然と感じ始めていた。情報の隠蔽や欺瞞を暴く力、あるいは心の病を癒す力……。彼の旅は、まだ始まったばかりだった。
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