【2】抗いようもない武力
明智光秀は、かつての主君 織田信長に会いに来た。自らの行いに、何の意味があったのか?本当に信長を殺すしか道はなかったのか?死んだ今だからこそ、すべてを打ち明けられる。悲運の主従、二人だけの物語が幕を開ける。
地獄安土城にて 明智光秀と織田信長
「信長様」
「おお。魔王を倒した勇者 光秀じゃないか。どうだ、感動的なエンディングを見られたか?」
「ゲームのように、魔王を倒したら世界が平和になり完結…などというわけには いかなかったようです」
「そうか。世界はファンタジーじゃなかったか」
「そうですね。それに、あれから幾度となく反芻するうちに、もしかしたら信長様も、倒すべき悪しき魔王ではなかったのかも知れない…そんな思いに駆られるようになりました」
「お前にまた、信長様と呼ばれるとは思っていなかったぞ。…なんて、嘘だけどな。お前は必ず、焼き殺した俺に、またこうして会いに来ると思っていた」
「焼き殺した記憶はないですが」
「ああそうか。火を付けたのは俺だったかも知れん。今さら どうでも良いがな」
「私にとっては、どうでも良くはなかったですよ」
「俺の首が、そんなに欲しかったか」
「あの時は、欲しかったです」
「過去形なんだな。まあそれは良いか。俺の首は、俺の体に付いているから、意味があるんだ。だから俺の首はお前にはやらなかったが、お前が持って行ったとしても、何の意味も価値もなかったぞ」
「そうでしょうか。敵将の首に、意味がないとは とても思えませんが」
「戦功としてなら意味はあるが、お前は功を求めていたのか?」
「信長様を討った証を掲げ、日和見だった者たちを味方に取り込みたかったのです」
「日和ってるやつが増えてもダメだ。あれを千載一遇の好機だと捉えて、危ねえ橋でも渡るやつじゃなきゃな。そんな馬鹿なやつ、一人しかいなかっただろう?」
「家康殿」
「そうだ。あいつだけは、俺の首があってもなくてもお前に付いた。他のやつらは、俺や信忠の首を持って行ったって、結局 織田家に刃向かいはしなかったよ。お前と家康だけなんだ、意志を持っていたのはな。お前ら、良い組合せだったが良い風は吹かなかった。惜しかったな」
「意志ならば、誰でも持っていますよ」
「今日の晩飯はあれを食いてえなってくらいのもんならな。ああそれと、秀吉や勝家みたいに、お前を殺すまで許さないっていう、固い意志を持ってたやつもいたな」
「では、動かなかった者たちは」
「今日の晩飯が食えるかどうかくらいのことしか考えていなかった。お前が勝てばお前に付き、別なやつが勝てば別なやつに付いただけじゃねえのか。結果待ち状態だ。それのどこに意志があるんだ。俺の敵だった毛利や上杉でさえ、それに近かった」
「確かに…。よく分かりました」
「頭が良いやつは、頭が悪いやつを理解できない。逆もそうだがな。俺も、出来の悪い息子の言うことは、ほとんど理解できない。それと同じように、意志を持っているお前は、持っていないやつらを理解できていなかったんだ」
「そうかも知れませんね」
「今やっと それを理解できたとしても、納得はできてねえよな。理解と納得は違うからな」
「そうですね。なぜ人を束ねる身でありながら意志も持たない者がいるのか、腹の底から納得はまだできていませんね」
「まあ無理に納得しなくても良いことではあるな。ところで、何の話をしていたんだっけ?」
「信長様は、本当に私が倒すべき魔王だったのかを、確かめさせて欲しかったのです。もちろん魔王という言葉は比喩ですが」
「分かった。俺も実は、お前がどうして俺を殺しに来たのか、本当のところを知りたいと思っていた。だが…もし俺が、お前にとっての魔王じゃなかったら どうするんだ?」
「謝ります」
「それだけか」
「現世でなら別ですが、この地獄では、私には謝る以外のことができそうもありません。信長様は何を望みますか?」
「お前とよく話してみてから考える」
「承知しました」
「で、何から話せば良いんだろうな。まず俺は、家臣の中でお前を最も信頼していた。そのお前は、いつ俺を殺そうと決めたんだ?」
「甲州征伐後です」
「武田を滅ぼした時か。じゃあ、決めたらたった二ヶ月で実行か。意外に気が短いな、お前」
「焦っていたからです。それに機会にも恵まれました」
「武田を滅ぼしたら、俺を殺したくなったのは、なんでだ?」
「甲斐で、信長様が私に言ったことは、覚えていますか?」
「武田を討ち、もうこの国には、俺の天下布武を阻めるやつはいなくなった。全国を統一し、明国を攻めるって話か」
「そうです。それともう一つ」
「戦いに勝ったやつが王になって、あの、明っていうでかい国を支配している。勝ったやつ、つまり最も武力を持つ者が唯一無二の王になって、その国を支配するのが当然だって言った」
「はい。それはつまり、全国を統一したら信長様が王になり、武力で日本を支配するという意味でしょう?」
「そうだ。お前が俺を殺した理由はそれだったのか」
「そうでした」
「明を攻める。俺が王になる。それが、殺されるほど悪いのか?」
「この国は、明と陸続きではありません。ですから、侵攻するのも侵攻されるのも、容易なことではないでしょう。侵攻されれば打ち払うべきですが、あえてこちらから攻める必要が、どこにあったのですか?」
「まず、明を攻めるって話からだな。攻める必要か。時間はいくらでもあるから、順を追って話していくぞ。
国っていうのは、土地の広さと、人の多さで富むもんなんだ。金が採れるとかの、例外は置いておくとしてな。そして誰だって、富が欲しいんだ。さっき武田の話をしたよな。甲斐っていう国は、土地が狭くて人が少ねえから、武田は他の国の土地を奪い人を従えて、富を得ようとし たよな。お前は武田に、国を奪われる側になりたかったのか?」
「そうは、なりたくありませんでした。しかし全国を統一すれば、日本だけでも十分な土地があり、人がいます。海も山も平地もあります。それならば、奪わなくても国を富ませられたと思います」
「それは、例えば甲斐だけに比べれば、そうだという話だ。世界の中で日本だけで、どうして十分だって言える?
人の判断基準は、いつでも他者との比較なんだ。海の向こうには、もっと広大な土地があり、数える気にもならんくらいの人がいる。それと比べりゃ日本だって甲斐と同じ、いや、それ以下だろう」
「では、命ある限り海の向こうの土地までも、奪い続けるつもりだったのですか?」
「そうだ」
「ですが、たとえ甲斐より狭いたった一郡の領主であっても、他者から土地を奪わなかった者もいます」
「それは奪わなかったんじゃない。弱いから奪えなかったんだ。お前の言いたいことも分かるよ。奪い合いも殺し合いも不毛だよ。武力は自衛に使い、国を豊かにしたほうが良いって言いてえんだろ」
「そうです」
「だから、さっき言ったじゃねえか。お前は頭が悪い野蛮人の考えを理解できねえって。この世に、お前みたいな頭が良いやつしか生きていねえなら、戦なんか起きねえんだよ。でもな、実際は大半が馬鹿な野蛮人だろ。俺が海の向こうを攻めなくても、武力さえあれば、日本を攻めてくる国が絶対にあるんだ。陸続きかどうかなんて、大した問題じゃねえんだよ。お前さっき、焦っていたと言ったが、それは俺も同じだ」
「野蛮人が、攻めてくるかも知れないと?」
「そうだ。だから早く国を統一したかったんだ。それで安直に、家康を殺そうなんて考えた。あれはおそらく、魔が差したんだろうな」
「なるほど…。私は、信長様のお考えを必死に汲み取ろうとしていましたが、まったくの見当違いをしていました」
「言葉で、説明できなかった俺もアレだな」
「いえ、私の視野が狭すぎたのです。それは認めます。しかし、それでも…この日本が一つにまとまれば、簡単に他国の侵略を許すとは思えません。それの考えは、今でも変わりません。
さっき信長様は、奪い合いも殺し合いも不毛だと言われました。それが分かっている信長様ならば、他国の侵略から日本を守る術を、考えられたのではありませんか?」
「どうだろうな。俺が生きている間くらいは守れたかもな。それでも良いのか?」
「たとえ信長様が亡くなっても、信忠様も立派な当主に成長されたと思います。そうやって代々 受け継いでいくという方法もあります」
「そうだな。そういう方法もあるな。お前が言っているのは、いつも正論だよ」
「正論が必ずしも、良い結果を生むわけではない。信長様はそう考えていますか?」
「…分からんな。正しいに越したことはないがな。ただ、正しい、正しくねえなんて議論すらぶっ壊すくらいの、強大な武力が現れたらどうするんだ?武力っていうのは、言い換えれば富だ。富があれば、鉄砲も軍船もいくらだって買えるんだからな」
「今の日本だけでは、国を守るだけの富を生み出せないのでしょうか?」
「それこそ、俺が生きている間だけじゃ答えなんか出ねえな。生み出せるとしても、それがいつの時代になるのかも分からねえ。分からねえんだから、もし、抗いようもねえ武力が先に現れたら諦めるか?」
「抗いようもない武力…。私のちっぽけな発想の中には、そういうものは存在すらしていません でした」
「俺だって上手く想像できねえよ。でも、初めて鉄砲を触ってみたときの、あの異質さは忘れられねえんだ」
「ああ。あれは槍や刀、弓矢などとは、意味が根本から違うものでした。戦いの〈道具〉ではなく、これが兵器なのだと知った瞬間でした」
「そうだ。槍なんて、鎌や鍬と原理は同じだ。弓矢だって、元々は狩りのために考え出された道具だ。俺たちが初めて知った兵器が、鉄砲だったからまだ良かった。あれなら日本の鍛冶屋で作れたからな。むしろ改良して性能が上がったくらいだ。
だが、そんなレベルを超えた兵器が、海の向こうで作られていたら どうするんだ。日本の弱点は島国だってことなんだよ。俺はバテレンから、この世界の地図を見せられたとき、体に衝撃が走った。やつらは誇張じゃなく、世界の端から端まで来ていやがったんだ。お前、日本を狭いって感じたことがあるか?」
「ありません」
「だが世界から見れば、ちっぽけな島国だ。それを言えば、ポルトガルだって でかくはねえが 、やつらは世界中を旅してきた。俺たちが見たこともねえもんを、いくらでも知っている。お前、地平線なんて想像できるか?ここまで言えば、もう分かるよな」
「広い土地が必要ですね。大きな船を使えば、海は人や物を運ぶのに適してはいます。しかし、内海や沿岸ならまだしも、外海には大きな危険が付きまといます。日本の外へ出るのは命がけです。
でも海に面した広大な陸地があれば、陸の道と海の道で、人や物がもっと自由に往来できるようになります。それが富も智恵も運んでくる。その中には、鉄砲を凌ぐほどの兵器もあるかも知れませんね」
「絶対にあるよ。ないって考えるほうが、どうかしてる」
「正論などぶっ壊すほどの武力ですね。そんなものがあるとすれば焦ります。だから早く全国を統一し、大陸を一部でも奪い、世界最高峰の武力を持つべきだったのですね。ここまでは、よく理解しました」
「理解だよな。納得はできねえだろうな。実は俺も、腹の底の底から納得はできていねえんだ。最高峰の武力って言っても、具体的な形が想像できねえからかも知れん」
「それでも、現世でそこまで はっきり考えていたのですか」
「分からねえな。今 お前と話しているから、こうやって言葉で説明できているだけなのかも知れねえよ。 こんな話が通じそうなやつはお前くらいだろうからな。おそらく俺も、今 話しながら、自分の考えに筋道を付けていけているんだろう。
さて、ここからは、俺がお前に聞く番だ。現世にいたお前のほうが、詳しく知っているだろう。当事者でもなかったからこそ、客観的にも見られたはずだ」
「…………」
「どうして秀吉は、あの半島すら奪えなかったんだ?」




