没落した名門、とんでもない化け物だった
綾部家への出立の日。
杉下城の門前には、見送りの家臣たちが集まっていた。
「ほな、行ってくる。」
義藤が馬へ跨る。
供をするのは嫡男・藤嗣、一門衆の正義、そして房春と義昭である。
「留守は頼んだで。」
義長が頷く。
「兄上こそ、お気を付けて。」
正義が辺りを見回した。
「人数、これだけでええんですか?」
「十分や。」
義藤は笑う。
「また遊佐の阿呆がちょっかい掛けて来るかもしれへんしな。」
その一言に家臣たちは苦笑する。
「あの阿呆、親父の代から懲りへんなぁ。」
「最近は大和郡山の戸塚家を後ろ盾にして、気ぃ大きなっとるらしいで。」
「鉄砲、準備しとこか。」
「そういや堺の松野屋が『試しに』言うて置いてった大筒、まだ使うてへんな。」
「遊佐で試したろか。」
「ええな。」
義藤は呆れたように笑った。
「ほどほどにしときや。」
◇
尾張・清洲城。
広間へ通された義藤たちを見て、綾部家の重臣たちは思わず息を呑んだ。
(……大きい。)
(熊のような男じゃ。)
(あれが河内の小城主……?)
(国を二つ三つ持っておる大名の風格だぞ。)
義藤の後ろには、藤嗣、正義、義昭が並ぶ。
四人とも堂々としていた。
やがて奥より、一人の男が姿を現す。
綾部家当主・綾部信綱。
義藤は静かに膝をついた。
「御尊顔を拝し、恐悦至極に存じ奉りまする。
杉下家当主、杉下源太郎義藤にございます。
此度は格別のお計らい、誠に感謝申し上げます。」
流れるような所作は、一切の淀みもない。
重臣たちは思わず顔を見合わせた。
(さすがは……。)
(没落したとはいえ名門。)
(礼法が身に染み付いておる。)
信綱は満足そうに笑った。
「斯様に堅苦しい挨拶は無用じゃ。
……杉下殿。よう、清洲まで参られた。」
「はっ。」
義藤は小さく頭を下げた。
「つまらぬ物ではございますが。」
正義が風呂敷包みを差し出す。
「河内で仕込みました味噌にございます。」
「ほう。」
信綱は興味深そうに蓋へ手を掛ける。
ふわり、と味噌の香りが漂い、信綱は思わず目を細める。
「良き香りじゃな。」
「御屋形様!」
重臣たちが慌てて声を上げる。
「お毒見を!」
信綱は手を止めた。
「……いや。」
一度、義藤へ視線を向ける。
「やるなら今ではない。」
義藤は静かに微笑んだ。
「左様でございます。」
信綱も笑う。
「疑うなら、最初から口にはせぬ。」
小皿へ少しだけ味噌を取り、口へ運ぶ。
「…………。」
もう一口。思わず口をついた。
「……でぇら美味ぇな!」
広間が静まり返る。
「あ。」
信綱は咳払いを一つ。
「……失敬。」
義藤が腹を抱えて笑った。
「はっはっは!そうでっしゃろ!
うちで仕込んだ味噌は日の本一でっせ!」
張り詰めていた空気が、一気に和らいだ。
信綱は笑みを浮かべたまま言う。
「さて。本題に入ろう。」
一瞬にして、空気が切り替わった。
「鉄砲を、まずは千丁。用意してほしい。
代金は、勿論こちらで持つ。」
義藤は目を細めた。
「……戦なさるんですか?」
「今はまだじゃ。」
ニヤリと笑う。
「備えよ。」
義藤は少し考え込んで、口を開く。
「たった千丁でよろしいので?」
重臣たちが一斉に義藤を見る。
「何?」
義昭が一歩前へ出た。
「堺中の鉄砲を買い占めるんは無理です。せやけど……。」
一拍置く。
「松野屋はじめ取引のある商人方に声を掛ければ。
在庫も、新しく打たせる分も合わせて……三千はご用意できます。」
信綱は目を細めた。
「一度に買えば相場が跳ね上がるのでは?」
義昭は少し考えて、顔を上げた。
「ほんなら、商人らには私らから話通しときます。
表向きは複数の注文に分けますわ。」
広間が静まり返る。
信綱は義昭を見つめ、やがて楽しそうに笑った。
「……面白い。……いつまでに出来る?」
義藤は義昭を一瞥すると、義昭は小さく頷いた。
「三か月。」
義藤は信綱を真っ直ぐ見据えた。
「三か月、お時間を頂ければ。」
信綱は大きく頷く。
「任せた。」
「必ず、お応えいたします。」
重臣たちは唖然としたまま、義藤を見つめた。
自分たちは、とんでもない家を引き込んでしまったのではないかと……。




