腹減ってたら、話も進まん
杉下城・客間。
尾張よりの使者、本郷嘉兵衛は一人、畳の上に正座していた。
「ほんでなぁ、その時うちの人がなぁ――」
目の前では、一人の老女が楽しそうに話し続けている。
杉下家先代当主の正室にして、義藤ら兄弟の母・阿南である。
「どっから来はったん?」
「尾張にございます。」
「まぁ!尾張から!態々、こんな田舎まで〜!」
阿南は目を丸くした。
「で、尾張のどこ?」
「清洲です。」
「……清洲?」
「はい。」
「どこ?」
「尾張城下にございます。」
「あらまぁ!えらい遠いとこから、よう来はりましたなぁ!」
「は、はぁ……。」
「何日掛かったん?」
「三日ほどで……。」
「まぁ大変!道中暑かったやろ?飯は食べた?水足りた?馬は元気?河内は初めて?」
嘉兵衛は返事をする暇もない。
「いや、その――」
「尾張は暑いん?河内より暑い?寒い?雪降る?酒は好き?ええ酒ある?」
完全に圧倒されていた。
(た、助けてくれ……。)
そう思った時だった。
「母上。」
聞き慣れない低い声がして、嘉兵衛が顔を上げる。
膳を持った真智と、米桶を抱えた義藤が入ってきた。
「その辺にしたってや。」
「えぇ?」
阿南は不満そうに頬を膨らませる。
「一人で待っとったら退屈やろ思うて。」
「退屈でも質問攻めはあかん。」
嘉兵衛は心の中で深く頷いた。
(助かった……。)
真智は嘉兵衛の前へ膳を置き、にこりと笑う。
「畿内の味ですさかい、お口に合うか分かりまへんけど。」
「ありがとうございます。」
義藤は桶の蓋を開けた。
湯気と共に、炊きたての飯の香りが広がる。
「ほれ。」
どさっ、と茶碗に山盛りの飯が盛られた。
(……多い。)
「すんまへんなぁ。」
義藤は笑う。
「うち、貧乏やさかい。白米は滅多に食えんのですわ。」
「い、いえ!」
嘉兵衛は慌てて首を振る。
「某とて、白米などそうそう口にはできませぬ。」
膳を見下ろす。
雑穀飯に青菜の味噌汁、里芋の煮物、こんがり焼けたヤマメ、香ばしい豆腐の味噌焼き。そして大根の漬物。
(質素な膳だな。)
そう思いながら、まず味噌汁へ箸を伸ばした。
一口。
「…………。」
もう一口。思わず目を見開く。
(うまい。)
続けて豆腐、里芋、ヤマメ。
どれも驚くほど丁寧な味付けだった。
気付けば口が勝手に動いていた。
「……でら美味ぇわ。」
部屋が静まり返り嘉兵衛は、はっと我に返った。
「あ……。し、失礼いたしました。」
真智はくすりと笑う。
「お気になさらんでください。」
義藤は満面の笑みを浮かべる。
「せやろ!真智の飯は美味いでっしゃろ!
それにな、その味噌。」
胸を張る。
「うちで仕込んどるんですわ。」
「……なるほど。」
嘉兵衛は思わずもう一口、味噌汁を飲んだ。
「これは……見事なお味噌です。」
「ありがとうございます。」
真智は照れくさそうに頭を下げた。
結局、嘉兵衛は味噌汁を二杯に飯を三杯、きれいに平らげた。
「ご馳走様でした。」
「ええ食べっぷりや!」
義藤は嬉しそうに笑う。
「見てるこっちまで腹一杯になるわ。」
嘉兵衛は照れ笑いを浮かべながら頭を下げた。
「……これほど温かいもてなしを受けたのは、久しぶりにございます。」
義藤は懐から一通の書状を取り出した。
「ほな、本題や。」
一拍。
「綾部様のお誘い。杉下、ありがたく受けさせてもらいます。」
嘉兵衛は両手で書状を受け取る。
「御屋形様も、お喜びになりましょう。」
「今後ともよろしゅう頼んます。」
義藤は立ち上がる。
「……さて。もう遅いから、今日は泊まっていき。」
「……え?」
「今から出ても、今日中に守口までは入られへん。」
嘉兵衛は少し迷った末、深く頭を下げた。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます。」
翌朝。
城門の前で義藤と義長に見送られながら、嘉兵衛は尾張への帰路についた。
その背を見送りながら、義藤は静かに呟く。
「さて……。」
「凶と出るか、吉と出るか。」




