堺奉行による、華麗なる土下座
玄関から慌ただしい足音が響いてくる。
「ただいま戻りましたぁぁ!」
障子が勢いよく開いた。
「お美津ちゃん!」
八重に腕を引っ張られるようにして、木浪繁吉が転がり込んでくる。
「父上!」
「八重、よう知らせてくれた!」
息を切らしながら部屋へ入ると――。
「…………。」
そこには、先ほどまで泣き崩れていたはずのお品が、お茶を飲みながら落ち着きを取り戻していた。
弥生は穏やかに微笑み、お菓子を勧めている。
「甘いもん食べると、少し落ち着きますよ。」
「……へえ。」
「まだありますからね〜。」
「おおきに。」
繁吉はその光景を見て、思わず肩の力が抜けた。
「……良かった。」
美津も胸を撫で下ろす。
「落ち着いたみたいや。」
繁吉は姿勢を正す。
「奥方。差し支えなければ……何があったか、お聞かせ願えますでしょうか。」
お品は静かに頷いた。
「今日は店先で、お得意様のお見送りをしておりました時ですわ。
突然、あのお方に声を掛けられまして……。」
◇◇◇
「其方、美しいのぉ。」
信盛が、お品の頬へ手を伸ばす。
(……遊郭と勘違いしてはるんやろか。)
お品は内心首を傾げた。
(うち、呉服屋なんやけど。)
だが、接客中である。顔には一切出さない。
「ありがとうございます。
ようお似合いのお召物でございますね。」
柔らかく笑って受け流すが、信盛は満足そうに頷いた。
「照れておるのか。」
(違います。)
心の中だけで全力否定する。
「参れ。」
信盛がお品の腕を掴んだ。
「えっ?」
「若様!」
付き従っていた家臣たちが慌てて前へ出る。
「その御婦人には、ご家族がおられます!」
店の者たちも飛び出してくる。
「若旦那の奥様でございます!」
「お離しください!」
だが、信盛は一喝した。
「黙れ!前野家嫡男たる俺に指図する気か!商人風情が!」
そのまま、お品を連れて歩き出した。
「…………。」
話を聞き終えた部屋は、静まり返った。
繁吉は両手で顔を覆う。
「……お美津ちゃん。」
「はい。」
「大和屋って……。」
恐る恐る尋ねる。
「堺一の呉服屋やんな。」
美津は静かに頷いた。
「……はい。」
繁吉は天井を見上げた。
「終わった……。」
そして、勢いよく畳へ額を擦り付けた。
「面目次第もございませぬぅぅぅ!!」
「木浪様!」
お品が慌てる。
「頭を上げてください!これでは私が申し訳のうございます!」
繁吉はなおも頭を下げ続ける。
「奉行として!合わせる顔がありませぬ!」
「あきませんてぇぇ!!奉行様がそない頭下げんといてぇぇ!!」
美津が苦笑する。
「……木浪様。」
「なんや?」
「謝る相手、まだ他にもいてます。」
繁吉ははっと顔を上げた。
「……せや。」
立ち上がる。
「儂、今から大和屋行ってくる。
迎え寄越してもらうから!奥方はもう少しここで休んでください!」
「えっ。」
お品が目を丸くする。
「奉行様自らですか?」
繁吉は真顔だった。
「それだけの事を、新兵衛はやっとる。」
そして美津を見る。
「お美津ちゃん……新兵衛は?」
「義父上が、しこたま殴りました。」
「……ほな。」
繁吉は頷く。
「兄ぃには兄ぃの仕事がある。大和屋は儂が行く。後は頼んだで。」
「お任せ下さい。」
繁吉は庭へ飛び出した。
「馬引けぇぇぇ!」
家臣が慌てて駆ける。
「殿!」
「急げ!」
二人の供を連れ、繁吉は馬へ飛び乗った。
「大和屋や!」
砂煙を巻き上げながら、堺の町へ駆け出していく。
◇◇◇
その頃、大和屋は大騒ぎだった。
「若奥様が!」
「まだ見つからんのか!」
丁稚たちが町中を走り回る。
番頭は若旦那を必死に宥めていた。
「若旦那様、どうかお気を確かに……。」
若旦那は力なく俯く。
「お品……。」
その時だった。
「若旦那ぁぁぁ!!」
店先へ馬が止まる。
繁吉は飛び降りるなり、一直線に若旦那の前まで走った。
そして……ドォンッ!!
勢いよく土下座した。
「面目次第もございませぬぅぅぅ!!」
店中の者が固まる。
「奉行様!?」
「ちょっ!」
「やめてぇぇぇ!!」
若旦那は慌てて繁吉の肩を掴んだ。
「頭を上げてください!まず事情を!」
繁吉は顔を上げる。
「奥方はご無事です!木浪の屋敷で保護しております!」
若旦那の目に涙が滲んだ。
「……ほんまですか。」
「はい。」
若旦那は深く息を吐き、ゆっくり立ち上がる。
「お品が無事なんは分かった。」
一度だけ繁吉を見る。
「迎えに行きます。話は、それからや。」
繁吉は深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます。」
「木浪様、案内してください。」
「此方です。」
堺一の呉服屋と、堺奉行。
その場には、怒鳴り声ではなく、互いの信用を守ろうとする静かな緊張が流れていた。




