堺奉行は喧しい
堺。
義藤が朝廷より官位を賜ってから、二週間。
杉下近江守義藤は、従弟の正義、そして義弟・義昭を伴い、再び堺の地を訪れていた。
目的は一つ。
この度、新たに堺奉行へ任じられた木浪繁吉へ、祝いの挨拶に来たのである。
もっとも――。
義藤は、もう一人の奉行とは面識がなかった。
前野半兵衛忠盛。
綾部家重臣として信綱の信頼厚い人物であり、繁吉と共に堺奉行を任された男である。
◇◇◇
堺奉行所。
「杉下近江守様にございます。」
門番が声を掛けると、一人の小姓が駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。」
三人は小姓の案内で奉行所の奥へと進んでいくと。
「義藤殿ぉぉーー!」
廊下の向こうから、よく通る声が響いた。
「……いや、失礼!」
慌てて姿勢を正す。
「近江守様、ご無沙汰にございます!」
義藤は思わず吹き出した。
「はっはっはっ!いつも通りでええがな!」
「……よろしいんで?」
「ええ。」
義藤は笑って頷く。
「それに、お前も官位貰うたやろ。」
繁吉は照れ臭そうに頭を掻いた。
「へへ……。」
繁吉はこの度、従五位下・筑前守に叙され、正式に堺奉行へ任じられたのである。
「そういや、もう一人居る聞いたけど。」
「ああ、前野の兄ぃですね。」
繁吉は義藤たちを奥の詰所へ案内した。
「兄ぃー!」
障子を開けながら叫ぶ。
「杉下様がお越しになられましたで!」
文机へ向かっていた男が、静かに顔を上げた。
四十前後だろうか。穏やかな眼差しの中に、武人らしい鋭さも感じられる。
男は手にしていた書状を丁寧に畳み、立ち上がると深々と一礼した。
「木浪筑前守と共に堺奉行を仰せつかりました、前野主計頭忠盛にございます。
まだまだ不慣れではございますが、ご助力賜りますようお願い申し上げます。」
義藤も一礼を返した。
「杉下近江守義藤にございます。
堺のことなら、何でも聞いてくだされ。」
忠盛は柔らかく微笑む。
「ありがたきお言葉。心強うございます。」
義昭は小さく頷いた。
(……ええ人や。)
その時、廊下から足音が聞こえてくる。
一人の若武者が、何冊もの帳面を抱えて部屋へ入って来た。
忠盛は表情を和らげる。
「おお、信盛。」
しかし、信盛は義藤たちを一瞥しただけで、そのまま文机へ帳面を置いた。
繁吉が気さくに声を掛ける。
「新兵衛、杉下様やで。」
「……。」
返事はない。繁吉をチラリと見て、僅かに眉を顰めた。
そして、そのまま詰所を出ようとしたので、忠盛が呼び止めた。
「……信盛。」
忠盛の声が低くなる。
「挨拶はどうした。」
信盛は立ち止まり、不機嫌そうに振り返った。
「……どうも。」
それだけ言うと、再び歩き出し、足早に詰所を後にした。
部屋の中に気まずい沈黙が流れ、忠盛は深く頭を下げた。
「……申し訳ございませぬ。」
義藤は苦笑した。
「いやいや。……まだ若いやろ。」
義昭も笑う。
「十七、八なんて、あんなもんですわ。
気にせんといてください。」
忠盛はなおも申し訳なさそうに頭を下げる。
その横で、正義だけは閉まった障子をじっと見つめていた。
(……なんや、あいつ。世間知らずにも程があるやろ。)
胸の奥に、小さな引っ掛かりだけが残っていた。




