突然ですが、近江守に任命されました
京都・御所。
綾部家の配下となって、早くも一年。
杉下家は相変わらず貧乏ではあったが、以前より幾分か暮らしに余裕が生まれていた。
……本当に、幾分かである。
照り付ける夏の日差しが、白い砂利を眩しく照らしていた。
その日、杉下家当主・義藤と嫡男・藤嗣は、京都御所へ登っていた。
理由は一つ。
この度、朝廷より官位を賜ることとなったのである。
「いや、急やな。」
そう思われるかもしれない。
だが、これにはきちんと理由がある。
将軍家へ正式に出仕するにも、公の場で諸大名と席を同じくするにも、無官では体裁が整わない。
いわば、今後のためである。
いくら杉下家が醍醐将軍家と同じ大原氏の一門とはいえ、その辺りは疎かには出来ない。
つまり今回は――。
杉下義藤、出世のお話である。
◇◇◇
紫宸殿。
義藤は普段の飄々とした様子はどこへやら、珍しく緊張した面持ちで畳へ手を付いていた。
その少し後ろでは、藤嗣も背筋を伸ばし、畳の縁だけをじっと見つめている。
いつもの泥まみれの着物ではなく、真っ黒な衣冠束帯で身を固めている為、より一層緊張感が増す。
静寂が辺りを包む。
やがて、殿内に声が響いた。
「お上の御成にあらせられます。」
居並ぶ者たちが一斉に頭を垂れる。
御簾の向こうへ人影が映る。
今上帝は静かに御座へ腰を下ろされた。
ほどなくして、小さく鈴の音が鳴る。
ちりん――。
その合図とともに、御簾の左右へ控えていた女房が、静かに御簾を掲げた。
「大原真人義藤、並びに嫡男・藤嗣、前へ。」
「「はっ。」」
二人は膝で静かに進み、再び深く頭を下げると、宣旨を手にした公卿が、一歩前へ出た。
「主上の思し召しにより、大原真人義藤。」
義藤は頭を下げたまま応える。
「はっ。」
「従五位下に叙し、近江守に任ず。」
広間の空気が僅かに動いた。
没落したとはいえ、将軍家と同じ大原氏の一族。
その当主が、正式に朝廷より官位を賜ったのである。
公卿は続けて宣旨を読み上げる。
「大原真人藤嗣。」
「はっ。」
「従六位上に叙す。」
「恐悦至極に存じます。」
義藤と藤嗣は、深々と頭を垂れた。
朝廷の儀式は、静かに終わりを告げた。
◇◇◇
御所を後にした二人は、ようやく張り詰めていた肩の力を抜いた。
「いや〜……お上から官位貰うてしもうたな〜。」
藤嗣は小さく息を吐く。
「……父上。」
「ん?」
「今日から近江守ですね。」
義藤は少し考えてから、真顔で答えた。
「近江守いうても、近江の田んぼが増える訳やないからなぁ。」
「そこですか。」
「米が増えるんやったら嬉しいんやけど。」
藤嗣は思わず吹き出した。
「その考え、父上だけやと思います。」
義藤もつられて笑う。
「さぁて。」
空を見上げながら、大きく伸びをした。
「せっかく都まで来たんや。土産でも見て帰ろか。」
厳粛な叙任式を終えた親子は、いつもの杉下家へ戻っていた。




