第二十七話
「……システム全開放! 三田村の物流ゲート、認証クリア! 阿久津、今だ! 止まってたトラックを全部こっちに回せ!」
地下倉庫で、シンジの怒号が響いた。茶室での「因果の点前」が成立した瞬間、三田村財閥の鉄壁のセキュリティは、みやびたちを排除すべき「敵」から、最優先で守るべき「主君」へと書き換えられたのだ。
「おうよ! 待たせやがって、三田村のジジイ……! 『超硬ダイヤモンドエンドミル』、現時刻をもって地下倉庫に搬入完了だ!」
阿久津は、届いたばかりの木箱をバールで叩き割り、中から現れた銀色の刃先を、まるで聖遺物を扱うような手つきで掲げる。これで『阿久津参号・改』の完成を阻む壁はすべて消え去った。
一方、生徒会広報部別室では、銭屋カレンが狂気的な笑みを浮かべていた。
「……信じられない。三田村康介の個人署名が、本当に私の口座にリンクされてる。……シンジくん、聞こえる? これ、ただの『物流の解放』じゃないわ。……三田村財閥の全資産を担保にした、無制限の信用枠が手に入ったのよ!」
カレンの指先が、キーボードの上で火を吹くような速さで動きました。彼女は三田村という巨大な「信用」をレバレッジ(梃子)にして、世界のデリバティブ市場に十兆円規模の巨大な楔を打ち込み始めたのです。
「……買いなさい。売られている日本の未来を、全部買い叩くのよ! 三田村の金で、三田村を超える帝国を築いてあげるわ!」
学園の一角で、女子高生による「国家予算級」のマネー・ゲームが爆発的に加速していた。
茶室の中では、ようやく意識を取り戻したみやびが、麗華の膝枕で静かに目を開けた。
「……麗華、さん……」
「動かないで、みやび。……髪の色が、まだ戻っていないわ」
麗華の言葉通り、みやびの銀髪は、毛先から透き通るような白へと変色していました。ダークマターの過剰な燃焼が、彼女の生命維持に必要な因果エネルギーまで消費してしまった証拠です。
「……三田村さんは……?」
「帰られたわ。……『次は、隠居部屋で会おう』って。……みやび、あなたは勝ったのよ。この国の千年の壁を、たった一杯のお茶で崩したんだわ」
麗華の瞳には、友への深い敬意と、それ以上の痛ましさが混ざり合っていた。
みやびは弱々しく微笑み、震える手で自分の胸元を押さえる。
「……勝ったんじゃないわ。……ようやく、同じ土俵に立っただけ。……三田村さんは、私の中に『人間』を見た。だから、賭けてくれたの」
その時、みやびの胸ポケットで、一台のスマートフォンが不自然な振動を上げました。それはカレンが用意した暗号化端末ではなく、かつて田中先生から渡された「古い連絡用」の端末でした。
画面に表示されたのは、一通の短いメール。
『講義は終わった。今中みやび、お前は「力」で人を屈服させるのではなく、「夢」で人を汚染することを選んだな。……だが、美しすぎる夢は、目覚めた時の絶望も深い。……理事長室に来い。最後の「卒業試験」だ。……田中』
みやびの表情から、安らぎが消えた。
三田村との和解という、今中帝国にとって最大の「外交的勝利」を収めた瞬間に、組織は待っていたかのように牙を剥いてきたのだ。
「……田中先生。……やっぱり、最初から見ていたのね」
みやびは、麗華の支えを借りて、ふらふらと立ち上がった。
「みやび! 行くつもり!? その体で……」
「……ええ。逃げれば、三田村さんも、阿久津くんたちも巻き込まれる。……これは、私という『神の残骸』が、この学園から退場するための儀式なのよ」
放課後の廊下は、茜色の夕日に染まり、長い影が不気味に伸びていた。
みやびは一人、重厚な理事長室の扉の前に立った。
扉の向こうからは、古い蓄音機が奏でるような、掠れたクラシック音楽が漏れ聞こえてくる。
扉を開けると、そこには理事長の椅子に深く腰掛けた田中と、その傍らで無機質に立つ九条レン、そして窓際で夕陽を背にする白河エリカの姿があった。
「……よく来たな、今中。……いや、九条みやび、と言うべきか」
田中は、机の上に一冊の古いアルバムを広げていました。そこには、みやびが知らない「この学園の本当の歴史」が記されいた。
「……田中先生。三田村さんは、私の味方になったわ。……あなたたちが狙っていた物流網も、資金も、もう自由にはさせない」
「……ああ、三田村康介か。あの老人は、お前に『日本の良心』を見たのだろうな。……だが、今中。お前が三田村の重力を味方につけた瞬間、お前はこの世界の『均衡』という名の天秤を、致命的に傾けてしまったんだ」
田中が指を鳴らすと、理事長室の壁一面がホログラムスクリーンへと変わった。
そこには、世界中の主要都市で、原因不明の「空間の歪み」が発生し、建物や人々が次々と消失していく衛星映像が映し出されていた。
「……何、これ……」
「お前が静心庵で放った、あの『未来の質量』の余波だよ。……不完全な神が、一国の重鎮の精神を書き換えるために放った因果の波は、地球の裏側で『現実の剥離』を引き起こした。……お前が一人を救うたびに、世界は少しずつ壊れていく。……それが、お前という存在の呪いだ」
九条レンが、一歩前に出ました。
「……今中さん。君の『帝国』が大きくなればなるほど、この世界の物理定数は耐えきれなくなる。……君が世界を買う時、その世界はもう、住める場所ではなくなっているだろう」
白河エリカが、悲しげな瞳でみやびを見つめた。
「……だから、消しましょう、今中さん。……あなたの夢も、私たちの組織も。……全てを虚無に還すのが、唯一の救済なのよ」
みやびは、膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えた。
自分が仲間を守るために振るった力が、世界を壊している。
十兆円の資金も、三田村の誇りも、その「崩壊」を加速させる燃料でしかないという残酷な事実。
「……嘘よ。……私は、そんなことのために……」
「……卒業試験だ、今中」
田中が、一つの小さなスイッチを机に置いた。
「これを押せば、お前が今日までに築き上げたお前の『帝国』の全てのデータ、資金、そして三田村との契約は消滅する。……同時に、世界を侵食している空間異常も止まるだろう。……仲間を守るために世界を壊すか、世界を守るために仲間の努力を無に帰すか。……選べ」
沈黙が室内に満ちている。
窓の外では、阿久津たちが完成したばかりの参号機を掲げ、夕陽の中で歓声を上げている声が微かに聞こえてくる。
みやびの指が、震えながらスイッチへと伸びていった。




