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第二十五話

聖ガバナンス高校の北側に位置する、鬱蒼とした竹林。その奥深くにひっそりと佇む茶室『静心庵』は、かつて神宮寺家が学園に寄進した、都内でも有数の格式を誇る空間である。


夕刻の風が竹の葉を揺らし、サワサワと囁くような音を立てていた。その静寂を切り裂くように、黒塗りの最高級セダンが校門を抜け、茶室の入り口へと滑り込んだ。


車から降り立ったのは、和服の上に重厚な外套を羽織った一人の老人、三田村康介であった。日本経済を裏から司る「御三家」の長。彼の放つ威圧感は、周囲の空気さえも物理的に重く変えてしまうかのようだった。


「……ここか。没落した神宮寺の令嬢が、得体の知れぬ『神』を飼っているという場所は」


康介は側近の制止を片手で制し、たった一人で茶室の躙口にじりぐちをくぐった。


室内には、微かな香の匂いと、湯の沸く「松風」の音だけが満ちていた。

点前座てまえざに座るのは、銀色の髪を揺らし、淀みのない所作で道具を清める今中みやび。その傍らには、神宮寺の誇りを背負い、静かに控える麗華。


二人の女子高生を前にして、康介はゆっくりと畳に腰を下ろした。


「……三田村さん。お越しいただき、感謝いたしますわ」

麗華が深く頭を下げた。


「礼には及ばん、神宮寺の娘よ。……お前の父とは、かつてこの国の行末を語り合った仲だ。その娘が、正体不明の奇術師と組んで我が三田村の物流を汚し、経済の秩序を乱していると聞いては、老骨を鞭打って出てこざるを得ん」


康介の視線が、みやびへと向けられた。

「……今中みやびと言ったか。お前の噂は聞いている。……三〇〇〇億の負債を魔法のように消し、ウォール街の犬どもを退けたとな。……だが、娘。……数字を弄ぶことと、この国を『治める』ことは別物だ」


みやびは顔を上げ、銀色の瞳で真っ直ぐに康介を見つめた。

「……治める、ですか。……あなたが千年にわたって行ってきたことは、支配であって治世ではないわ、三田村さん」


「何だと?」


「あなたは、新しい技術、新しい才能が生まれるたびに、それを『伝統』という名の檻に閉じ込め、既存の利権を守るための部品に変えてきた。……阿久津くんが発注したパーツを止めたのも、その歪んだ自衛本能の現れでしょう?」


みやびの声は静かだったが、その一言一言が、茶室の空間を震わせた。

彼女の指先が、茶筅ちゃせんに触れる。その瞬間、彼女の内側にある三割のダークマターが、地下倉庫の阿久津が起動させた『共振装置』と同期し始めた。


阿久津は地下で、モニターにかじりつきながら歯を食いしばっていた。

「……始まったぞ。今中さんの精神波が、空間の『密度』を書き換え始めた。……三田村のおっさん、今に度肝を抜かれるぜ」


茶室内の空気は、次第に粘り気を帯びていった。

康介は、自分の呼吸が重くなるのを感じた。単なる緊張ではない。目の前の少女を中心に、物理的な法則そのものが歪み、この小さな茶室が「宇宙の特異点」へと変貌しつつあった。


「……三田村さん。あなたに、一つだけ聞きたいの」

みやびが茶を点てながら尋ねた。

「あなたは、自分が守っているこの国の『秩序』が、あと何年保つと思っているの? ……ウォーレンや田中先生……私の背後にいる『組織』は、もうすぐ隣まで来ているわ。……あなたの重厚な歴史という名の鎧は、未来の圧倒的な質量を前にして、紙屑のように燃え上がる。……その恐怖を、感じたことはない?」


「……恐怖だと?」

康介は、絞り出すような声で笑った。

「……恐怖など、数十年前に捨てた。……三田村が守っているのは、単なる金ではない。……日本人の『矜持』だ。お前のような、得体の知れぬ力で世界を買い叩こうとする怪物に、この国の背骨を渡すわけにはいかんのだ!」


康介が激昂し、立ち上がろうとした瞬間。

パキィィィン! と、茶室の四隅の柱が、見えない圧力に悲鳴を上げた。


「……なら、お見せしましょう」

みやびが、点てた茶を康介の前に差し出した。

茶碗の中に渦巻いているのは、深い緑色ではない。

それは、銀色の星々が巡り、銀河の渦を形成する、見たこともない「未来の記憶」だった。


「……これが、私が買い取ろうとしている世界の、ほんの入り口よ」


康介は、吸い込まれるようにその茶碗を見つめた。

老いた権力者と、未来から来た少女。

静心庵という名の小宇宙で、二人の魂が激突する音が、竹林のざわめきを飲み込んでいった。

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