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第二十三話

ウォーレンによる大講堂の襲撃から数日。破壊された窓ガラスが嵌め直されるよりも早く、みやびたちは次なる「弾薬」の調達に動いていた。


「一〇億を溶かし、三〇〇〇億の負債を数字の上で消した。けれど、今の私たちには『自由に動かせる現生げんなま』がなさすぎるわ」


麗華が、ネクサス・コアの端末を叩きながら険しい表情を見せた。ネクサス・コアの維持費、阿久津のデバイス開発費、そして情報戦のコスト。世界を相手にするには、あまりにも軍資金が心許なかったからだ。


「……なら、学園の『裏の金主』を叩くしかないね」

嘉納シンジが、トランプを扇状に広げながら言いった。





聖ガバナンス高校の時計塔が、放課後の終わりを告げる重厚な鐘の音を響かせていた。夕闇が廊下を侵食し始める頃、今中みやび、神宮寺麗華、阿久津、嘉納シンジの四人は、学園の地図にも載っていない「聖域」へと足を踏み入れていた。


旧図書館の地下。かつては貴重な古書が保管されていたはずの書庫は、今や「生徒会広報部別室」という名の、学園最大の闇の心臓部と化している。


重い防音扉を開けると、そこは冷房が効きすぎたサーバールームのような冷気と、複数のディスプレイが放つ青白い光に満ちていた。

部屋の中央、エルゴノミクスチェアに深く腰掛け、三台のスマートフォンと二台のタブレットを同時に操る小柄な少女。高等部三年、銭屋ぜにやカレン。学園理事長の愛娘でありながら、その実態は、校内で学生向けの闇金融と、仮想通貨のロンダリングサービスを牛耳る「学園の銀行家」であった。


「……五分遅いわね。私の時給は、秒刻みのビットコインの変動より高いのよ?」


カレンは、派手なブランド物のカーディガンを肩に羽織り、ガムを膨らませたまま、みやびたちを冷徹な目で見つめた。彼女の周囲には、未決済の約束手形と、匿名性の高いハードウェアウォレットが山積みになっている。


「カレン先輩。挨拶抜きで本題に入るわ」

麗華が、神宮寺の令嬢としての冷徹な交渉術を切り出した。

「ネクサス・コアを拠点に、私たちは今、莫大な資金を生成している。けれど、それを『既存の金融システム』に悟られずに実体化させるための、清潔な導管が足りない。……あなたのネットワークを、私たちの『財布』として提供してほしいの」


カレンは鼻で笑い、ピンク色のガムを噛み潰した。

「一〇億を溶かし、三〇〇〇億の負債を数字の上で消したっていう、今噂の新入生ちゃんね。……麗華、あなたも随分と安っぽい連中とつるむようになったものね。私に『洗濯』を頼みたいなら、それ相応の担保が必要よ。……例えば、そのネクサス・コアの所有権の半分、とか?」


「……先輩。交渉のテーブルを蹴る前に、これを見て」

阿久津が、懐から改良された『阿久津参号』を差し出した。デバイスから放たれた微弱なパルスが、カレンの目の前にあるメインディスプレイに干渉する。

一瞬、カレンが最も隠蔽していた「ドバイ経由の裏帳簿」の暗号化されたデータが、みやびの調律によって可視化され、ホログラムとして空中に浮かび上がった。


「なっ……!? 私の『アイアン・ウォール』を抜いたっていうの? あれ、ホワイトハッカーでも三ヶ月はかかる代物よ!」


「……三ヶ月? ……私なら、三秒あれば十分よ」

みやびが一歩前に出た。彼女がカレンのデスクにそっと指先を触れる。

その瞬間、みやびの内側にある三割のダークマターが、デスクを介してカレンの端末群へと伝播した。画面上の複雑なハッシュ値が、まるで生き物のように蠢き、カレンが半年間放置していた「解読不能な休眠口座」のパスワードが、物理的な論理を無視して次々と入力され、ロックが解除されていく。


「嘘……。……何、今の。あなた、電子の妖精か何かなの?」

カレンの瞳に、初めて恐怖と、それを上回る強烈な「知的好奇心」が灯った。彼女は金への執着以上に、自分の制御を超えた「巨大な現象」に惹かれる根っからの博打打ちだった。


「……ただの、調律師よ。カレン先輩。……あなたのネットワークを私に貸して。その代わりに、あなたがパパの権力を借りても一生拝めないような、『一京円』単位の数字が躍る景色を見せてあげる」


みやびの銀色の瞳が、カレンを射抜いた。

全能を失った今の彼女には、世界を直接書き換える力はない。しかし、カレンのような「欲」に忠実な人間の欲望を、ダークマターの触媒として利用することで、その影響力は無限に拡大できる。


カレンは少し考えてから

「……フン。……いいわ。今中みやび。あなたのその『魔法』、私の口座で踊らせてあげる。……ただし、一円でも焦げ付かせたら、あなたのその細い指、一本一〇億円で買い取らせてもらうからね?」


こうして、今中帝国の「裏の財務担当」が正式に誕生した。




契約が成立したその日の深夜。みやびたちは、ネクサス・コアの最深部、超低温冷却システムが唸るサーバー室に集まっていた。


「シンジくん、予測座標を。……ターゲットは、シカゴとロンドンの裁定取引アービトラージ

みやびは、情報の奔流の中に意識をダイブさせた。


「……了解。ニューヨーク開場まであと十秒。……今だ! シカゴの小麦先物に、計算上〇・〇〇〇一秒の『理論価格との解離』が発生する!」


シンジの言葉が終わる前に、みやびは参号機を介して、光ファイバーの物理的な限界を超えた「情報の超光速伝送」を開始した。ダークマターは空間の情報を直接「転送」する。みやびの意志が、シカゴの取引サーバーのメモリに、光よりも速く買い注文を書き込んでいく。


「……利確。……続けて、ロンドンの金利スワップへ転換!」


一秒間に数万回。一回の取引利益はわずか数円。

しかし、それがみやびの調律によって「全勝」で積み重なる。

カレンが提供した、世界中に分散する数万のダミー口座には、目に見えない情報の砂金が降り積もっていった。


「……ねえ、ちょっと待って。残高の増加速度が、私の端末の描画性能を超えてるんだけど……!」

カレンが、手元のスマホを何度も再起動させながら、戦慄の表情で叫んだ。

「一五分で……三〇億? これ、明日にはこの国の国家予算を超えちゃうわよ!?」


「……だから、そのためにシンジくんの『毒』があるのよ」

麗華が、冷静にモニターを監視していた。

シンジが放つ「ノイズ・プログラム」が、世界中の金融サーバーのログに不自然なエラーを散布し、みやびたちの利益を、統計学上の「誤差」として完全に隠蔽していた。


みやびは、銀色の汗を拭いながら、サーバーの青い光を見つめていた。

資金は揃いつつある。情報の砦も盤石だ。

けれど、みやびの胸の奥には、拭い去れない違和感があった。


(……田中先生。ウォーレン。……あなたたちは、この異常な『数字の膨張』を、あえて泳がせているのではないかしら。……まるで、十分な重さにまで膨らんだ果実を、収穫しようとするかのように)


みやびは、自分の右腕に浮かび上がった銀色の紋様を見つめた。

力を失い、人間としての仲間を得たことで、彼女は強くなった。しかし同時に、その「脆さ」もまた、世界の敵に晒されていた。


「……買い取るのは、世界だけじゃないわ。……私たちの『運命』そのものよ」


みやびの静かな決意と共に、地下倉庫の大型サーバーが、未知のエネルギーを吸い込んで重厚な咆哮を上げた。

一京円の夢。それは、女子高生たちが描くにはあまりに巨大で、あまりに危険な毒でもあった。

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