第十九話
「……嘘。どうして、あれがここにあるの?」
みやびの唇が、小刻みに震えた。
中央の台座に鎮座していたのは、鈍い銀色の光を放つ、ラグビーボールほどの大きさの多面体。それは、みやびが未来の世界で「九条」として生きていた頃、自らの脳波と同期させ、宇宙のダークマターを統括していた中枢演算ユニット、通称『クロノス・コア』
自分を殺した爆発と共に、時空の彼方へ消えたはずのデバイス。それが今、この2026年の、前時代的なケーブルと粗末な冷却装置に繋がれ、苦しげな脈動を繰り返している。
「……驚いたか。お前がこの世界に『受肉』した際、時空の歪みから零れ落ちたゴミを、我々が数年かけて拾い集めたのさ」
田中が、影の中からゆっくりと姿を現した。その背後には、虚空を見つめるエリカと、薄笑いを浮かべるレンが控えている。
「今中。お前のその細い指先でやる『調律』など、このコアの出力に比べれば子供の火遊びだ。……さあ、これに触れろ。お前の真の記憶、真の力を取り戻し、この停滞した世界を『正しい歴史』へと導くのだ」
みやびの一歩が、磁石に吸い寄せられるように前へと歩き出した。
(……触れれば、分かる。あの時の続きができる。一〇億どころか、一瞬で世界の全資産を書き換え、争いのない完璧な管理社会を作れる。……私が、九条に戻れば)
「……ダメだ、今中さん! 行っちゃいけない!」
阿久津の叫びが、冷え切ったホールに響きました。
「そいつ、泣いてるぞ! その銀色の塊、無理やり動かされて、死にそうになってるじゃないか! そんなの、見てらんねえよ!」
阿久津は『阿久津弐号』を抱え、みやびの前に立ちはだかった。。
「おっさん! あんたはこれを『完璧な力』だと言ったな。……笑わせんな。この機械は、今の今中さんを見てない。昔の、死んだ誰かの影を追ってるだけだ。……そんなの、ただのスクラップだ!」
「阿久津、下がって……。これは、私の問題よ」
「……いいえ、みやび。私たちの問題よ」
麗華が、みやびの肩に手を置いた。その手の温かさが、みやびの凍りついた思考を溶かしていく。
「神宮寺の令嬢として教わったわ。……過去の遺産に縋る者は、新しい価値を生むことができない。みやび、あなたが九条という名の亡霊に戻るなら、私はあなたを買い取る価値を失うわ。……私が投資したのは、未来を作る『今中みやび』なのよ」
「……麗華さん」
嘉納シンジが、トランプを一枚、床に叩きつけた。
「確率論、再計算終了。……今中さんがそのコアに触れた場合、僕らが生き残る確率はゼロ。でも、今中さんがそのコアを『破壊』した場合……。僕らが世界を驚かせる確率は、無限大だ」
三人の仲間が、それぞれの形でみやびを繋ぎ止めていた。
孤独だった修行時代。一人で夜空を見上げ、ダークマターを弄んでいたあの頃。
未来の「九条」は、確かに万能だった。けれど、彼女の周りには、こんなに騒がしくて、勝手で、温かい人間はいなかった。
みやびは、静かに顔を上げた。
銀色の瞳から、迷いが消えていた。
「……田中先生。あなたは、私の『前世』を買い取ろうとした。……けれど、残念ながら、私はもう売約済みなの。……この、お節介な仲間たちにね」
「……何だと?」
みやびは右手を高く掲げました。
「阿久津くん! 弐号の出力を、私のダークマターと同期させて! シンジくん、コアの共振周波数を割り出して! 麗華さん、私が崩したエネルギーの残滓を、ネクサス・コアで吸収して!」
「……了解だ!」
「……任せておけ!」
「……望むところよ!」
三人が同時に動きました。
阿久津のデバイスから放たれたパルスが、みやびの指先で凝縮され、凄まじい密度の「調律波」へと姿を変える。
「……さようなら、九条。……私は、今中みやびとして、この世界を愛するわ」
みやびの手から放たれた光が、クロノス・コアに直撃しました。
未来の英知と、現代の情熱が衝突し、ホール全体が眩い白光に包まれました。
コアは悲鳴のような高周波を上げ、そして
みやびの意志に従い、その膨大なエネルギーを「破壊」ではなく、「拡散」へと変換した。
ドォォォォォン!
衝撃波が海堡を揺らし、田中のサーバー群を次々と焼き切っていく。
レンとエリカが、その光の奔流に飲まれ、姿が消えた。
「……バカな。お前は……神の座を捨てて、人間という泥沼を選んだのか……」
田中は、膝をつき、砕け散ったクロノス・コアの破片を見つめて絶句している。
光が収まった後。
そこには、ボロボロの、息を切らした四人の少女と少年が立っていた。
「……終わった、のか?」
阿久津が、焼け焦げた弐号機を見て、力なく笑った。
「……いいえ。始まったのよ」
麗華が、みやびの腕を支えながらはっきりこたえた。
みやびは、力の喪失感を感じながら自分の手のひらを見つめた。
クロノス・コアを失い、前世の力を取り戻す手段は確かに消えた。
けれど、彼女の胸の中には、それ以上に重く、確かな「財産」が残ってた。
「……田中先生。次は、私たちの学園でお会いしましょう。……あ、でも、不法侵入と不正送金の証拠は、既に麗華さんが検察に送っているはずよ?」
「……フッ。……手厳しいな、今中」
田中は苦笑いを浮かべ、そのまま影の中に消えていった。
ボートでの帰り道。
夜明けの光が、東京湾の水平線から差し始めていた。
「……ねえ、みやび。一〇億円の穴埋め、どうするつもり?」
麗華が、意地悪そうに微笑む
「……そうね。とりあえず、シンジくんの計算で、明日の原油先物を少しだけ……」
「おいおい、またやるのかよ!」
阿久津の突っ込みに、四人は笑い声を上げた。
一〇億円を失い、未来のデバイスを破壊した。
けれど、彼らは世界という巨大な盤面で、最初で最高の「勝利」を収めた。
みやびの帝国の礎は、鉄と数式、そして、決して裏切らない絆によって、完璧に固まっていった。




