第十七話
「……なんでだ!僕の計算に、一秒の狂いもなかったはずだ!」
旧校舎の地下倉庫。シンジがホワイトボードを拳で叩きくながら嘆く。
モニターに映し出されているのは、真っ赤に染まった損失グラフ。
みやびがネクサス・コアを拠点に運用していた一〇億円が、わずか数分の間に電子の藻屑と消えていたのだ。
「シンジ、落ち着きなさい。……これは計算ミスじゃないわ」
麗華が、震える指先を隠すように腕を組むと
「見て。私たちが買い注文を入れた瞬間に、市場から『売り板』そのものが消滅している。価格が下がったんじゃない。取引の因果関係そのものが、ブラックホールに吸い込まれるように消されたのよ」
「……エリカ。彼女の力ね」
みやびは、静かに目を閉じた。
エリカの「減算」の力。それは物理的な干渉だけでなく、デジタル化された「情報の期待値」さえも、存在しなかったことに書き換えてしまう。
「一〇億……。僕らが死ぬ気で作った軍資金が……」
阿久津が『阿久津弐号』の数値を虚しく見つめている。
「……いいえ、阿久津くん。これは『授業料』よ」
みやびが目を開けました。その銀色の瞳には、絶望ではなく、冷徹な分析の光が宿っている。
「エリカは私の力を消した。けれど、消した場所には必ず『空白』が残る。シンジくん、その消された一〇億円のパケットが、どの座標で消失したか、逆算できる?」
シンジの瞳に、再び光が戻った。
「……そうか! 期待値がゼロになった場所を特定すれば、それが彼女の、あるいは組織の『ノード』の居所だ!」
シンジが猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。
「出た! 東京湾の人工島、第三海堡。表向きは海上保安庁の施設だけど、地下に莫大な電力消費を確認。……ここに、彼女たちの本陣がある!」
「……乗り込む気か? 今中さん」
阿久津が、不安と興奮が入り混じった顔で尋ねると
「いいえ。今のままでは、エリカの『虚無』に触れた瞬間に、私たちの存在まで消されるわ。……阿久津くん。ダークマターを『自壊』させることはできる?」
「自壊……? 空間のエネルギーを、あえて暴走させるってことか? そんなことしたら、弐号機どころか僕らもタダじゃ済まないぞ」
「だから、指向性を持たせるの。彼女が消そうとするエネルギーの密度を、一瞬だけ臨界点まで引き上げる。……エリカが『零』にしようとする力に、無限大の『一』をぶつけるのよ。名付けて、『対消滅パルス』」
みやびは、自らの指先からダークマターを紡ぎ出した。
それはこれまでの繊細な調律とは違う、凶暴なまでのエネルギーの塊。
「……阿久津くん、設計図は私の脳内にあるわ。あなたの腕で、これを物理的な銃に定着させて」
「……面白くなってきた。世界を買い取る前に、まずはその『掃除屋』を片付けなきゃな!」
阿久津がハンダごてを握り直し、シンジが座標を固定する。麗華は、ネクサス・コアの全リソースをこの一撃のバックアップに回すための指示を飛ばした。
一人では、一〇億円を失って終わっていた。
けれど、今のみやびには仲間がいる。
未来の「九条」が決して持てなかった、不完全で、熱い、人間の繋がり。
「……待ってなさい、白河エリカ。あなたの『無』を、私の『有』で塗りつぶしてあげる」
夜の学園。
少女たちの静かな反撃の準備が、鉄を焼く匂いと共に進んでいた。
田中も、レンも、まだ知らない。
失った一〇億円が、組織を焼き尽くす「導火線」に変わったことを。




