八十六話 四年生
──美しい黒髪を三つ編みにし、肩から前に垂らしている。その顔は、マスクで半分ほど覆われているというのに、それでもなお溢れんばかりの美しさが伝わった。どことなく機動性に優れた和服を纏い、コツコツとヒールと思わしき靴を慣らしてこちらにくる。
「────」
見惚れるほどの、美しさだった。いや、確かに麗も葛も桜も、全員が美人だ。けれど、目の前にいる人……妖怪は、そういう次元ではない。美しい顔立ちに、決して目が逸らせない。それこそ、それがなにかの『術』でないかと疑ってしまうほどに──
「──何してんのよ、クグイナ」
そう、声がした。
気の強さを感じさせる、女の子の声だった。
「彼女は……」
ふと麗がそう言葉をこぼす。麗の視線の先には、一人の、赤い着物をまとった少女がいた。少女、と言っても同い年ぐらいであろう。金髪を二つに結び、赤く燃えるような双眸を持った少女。
「──熊魅」
「ええ、そうよ。あなたのどうきゅうせいである星江熊魅よ。それで? ここで何をしてるの? ──鵠鳴。あんたの家は、ここじゃないでしょう」
「……何をしようとも、関係、ない。いいだろう。自由だ」
「あら、それなら残念。あなたがここにいるのに、私は決して無関係じゃないの。──ここは私の婚約者の言えよ」
へー。この人は熊魅さんで、あの美人さんが鵠鳴、へー。…………え!?
「──婚約者ぁ!?」
「きゃあっ! え、なによ!? 急にびっくりしたじゃない!」
思わず思いっきり声を張り上げてしまい、途端に周囲の視線をかっさらてしまった。こんなことで集めたくなかったが。
それよりも、問題が、大問題が今俺の目の前にいる。
「……え!? 婚約っ……まさか、桜の!?」
前にいるとは聞いていた。でも、まさかだ。そのまさかが、こんなところで明らかになってしまうのだろうか!? そんな、同級生の、同じ部屋の、友人の、婚約者が……!?
「え、ええ。というか、あなた達は桜のお知り合い……こほん。星江家の三女、星江熊魅。──鬼城院家の次男、その婚約者よ」
*
「──ここに入るためには、特定の”鍵”が必要になるの。私はこれでも当主の息子であり正当なる鬼城院家の血を継いでいる……チッ。ともあれ、きちんとした正式な婚約者。だから”鍵”は持たされているは」
その”鍵”は大事なものであるからか見せてもらうことなどはなかったが、それでも一つ、俺達の目標は達成された。──鬼城院家の、庭を踏んだ。
きちんと自分の素性を話し、そしてなんとか頼んで熊魅さんに桜の家に入れてもらえた。そんなにも不用心でいいのか、と麗が熊魅さんに問いかければ。
「別にあなたたちが有害な妖怪であっても私には関係ないわ。苦しむのは鬼城院だけ。それに、そもそも私がここにいるのは桜からの呼び出しだからね。『友達が外で迷ってる』って。そんなことでこの私を動かさないでほしいのだけど」
イラついているのを前面に出しながら、熊魅さんはずかずかと進んでいく。
ちなみに。俺が熊魅さんを名前で呼んでるのは、「名字が嫌いだから呼ぶな」という理由である。目つきを鋭く言われたので、思わずうなずいてしまった。
「──それで、鵠鳴はいつまでここにいるつもりなの? さっさとお家に帰りなさいな」
「…………」
「またお得意のだんまり? 本当に腹立たしい。……立ち去りなさいと、そう言っているのが理解できないの?」
「…………また、明日」
「あら、ようやく喋ったと思ったら気色の悪いこと。明日だなんて約束、簡単につけないでくださる? あなたなんて、学校でも姿を見たくないというのに」
それら全てを鵠鳴さんは甘んじて聞き、ようやく罵倒が終わったというところで姿を消した。
「──。鵠鳴さんって、」
「口に出さないでくださる? 私、嫌いなのよね、彼」
「へぇ。……ってか、やっぱり男の人だったか」
「……え!? 男、なのか!? あの妖怪!?」
葛がすっごい驚いている。
なんとなく、中性的だと最初は思っていた。そしてチラ、と見てみればその首元にはきちんと喉仏があった。声自体はそもそも聴きとれるか怪しいレベルで小さく、どことなく高かった。けれど肩幅やら体つきが男性のそれである。だから憶測ではあれど男であるのだろうとは思っていたが……本当にそうだったとは。
「えーと。あなたたち、名前は?」
「あ、俺は咲崎蒼っていいます。桜と寮で同じ部屋で……」
「ボクは頭内麗。クラスメイトです」
「北原葛って言います。俺も、同じくクラスメイトで」
「……そう。──あら、着いたわよ」
見定めるような目線をもらいつつ、そのまま一つの門があった。それは正面にあった門とはまた色が違う。けれど、細かな装飾をたくさん施されていて美しい。
「私が連れてきたって、秘密にしてね? 桜ならいいけど、ほかの妖怪に知られたら怒られちゃうから」
「わかりました」
熊魅さんはそうして着物から”鍵”を取り出して、門の鍵穴へと入れる。そしてガシャンと音が響いて門が開いた。
「──それじゃあ、気を付けて」
どこか、不穏な言葉を残し、熊魅さんはその場から立ち去って行った。
そのまま、キャリースーツをどうしようか悩み、持っていこうと門をくぐると──
「──お待ちしておりました、咲崎様、頭内様、北原様」
「……え、っと」
白い髪を腰まで伸ばし、そこに黒いリボンで結んだサイドのツインテールがあった。身を和風のメイド服に包んでおり、その立場が服装から察することができた。
ようは、この屋敷のメイドということだろう。
「私は鬼城院家の女中──メイドを務めています、紗鬼と申します。桜様の命により皆様を案内しにまいりました。桜様の下まで、私が絶対に案内いたします」
ペコリ、と綺麗に俺という素人目からでもわかるほどに礼をした。
──鬼城院家は、それこそ『御三家』なんて呼ばれるにふさわしいほど豪華で、特に庭がとても綺麗に整えられていた。なんだか、俺という人間がこの敷地をまたぐこと、それがこの家の品位を落としてしまっているのかと錯覚しそうにもなってしまう。
「さすがは『御三家』だ。──それで、紗鬼さん、だっけ? 一つ、ボクから聞いておきたいことがあるのだけど」
「私ごときに敬称など不要でございます」
「いや、そうは言っても学校の年上に、ましてや学校の先輩にため口で話せだなんてリスキーすぎない? ボクは嫌だね」
「……え、先輩!?」
「嘘だろ!?」
麗にそう言われた紗鬼さんはそれを決して否定せず、ただ沈黙を貫いている。けれど、こういったパターンであれば、沈黙は肯定である。つまりは、この妖怪は俺たちの先輩にあたるということで……
「────。そうでございます。頭内様のおっしゃる通りでございます。私は境妖学園四年三組所属で間違いございません」
まさかの最高学年。マジか。確かに四年生にため口とか無理だわ。この学校、地味に上下関係が厳しく、ため口だなんて絶対に許されないから。
けれど、つまりはこの人……妖怪は俺のたった三つほど年上ということだろうか? 別に、見た目はとても若々しく、そう言われても信じてしまいそうにはなる。けれど、そんな十八とか十九の妖怪が『御三家』という名前だけでも仰々しい家でメイドをしているという事実は……なんというか、違和感だ。
「……私が。私がこうして境妖学園に入学した理由は、たった一つでございます。──桜様の、護衛」
「桜の、護衛──?」
そう言われ、咄嗟に言葉が出なかった。
護衛、という単語に聞き覚えがなかったからだろう。というか、現代日本でその単語を聞いたことがある方が少ないのではなかろうか。けど、でも紗鬼さんは今年で卒業となる、よな。理屈的に言えば。それこそ、留年を複数回繰り返すだなんてことがなければ。
「護衛って、途中で終わっちゃっていいんですか? ……もしかして、教師に!?」
「いえ。あの学園の教員の採用基準は厳しいことで有名ですから……先に入学し危険がないかの調査。あとは桜様自身の力でどうにかする、というのが主様……ご当主様の方針でございます」
当主……確か、桜のお母さんだったはずだ。なんというか、意外と厳しめの家らしい。いや、鬼という言葉が付くのだから別に優しいとかはないのだろうけども。
どんな人か、とは気になるけど。
「それにしても、桜はどこに?」
「桜様でしたら、今は自らのお部屋に。ですから私が案内するのもそこで、──」
「……? 紗鬼さん?」
「お止りくださいませ」
バッと、紗鬼さんが腕を伸ばして俺たちの足を止めた。なんだ、と話しかけたかったが紗鬼さんの表情がそれを許さない。まっすぐを見つめていて、その目には確かな力が、迫力ともいうべきものが籠っている。無意識に、喉が音を鳴らした。
その先に何があるのか。誰がいるのか。好奇心などではない……これは、生存本能に近しい何かだ。
「──俺は、聞いてないんだけどな」
「──紅葉様」
「なあ、紗鬼。お前、誰の許可をもって、そいつらを敷地に入れたんだ?」




