八十七話 のらりくらり
──紅葉サマ、とそう呼ばれた男がいた。
緑と青の中間色あたりの暗い頭髪、そして何よりもその額に生えている二本の角が特徴的である男だ。和服をまとい、その身からは確かな高貴さと、気品と、威圧を感じる。
「なあ、紗鬼。俺は聞いているんだ、問ているんだ。──誰の許可をもって、その低級妖怪共にこの家の敷居を跨がせたんだ?」
「これらは全て桜様のご指示によるもの。私がこうしてこのお三方を桜様の元まで案内するのは命令でございます」
「はっ。随分と偉そうなこった。当主付きの女中、立場は俺よりかは全然下の癖によ」
「それ以上言いたいことがないようでしたら、私はこのまま命令を実行いたします。それでは」
「──待ちなさい、紗鬼」
緊張により俺たち三人が動けていない中、その場にいたもう一人が紗鬼さんの行く手を阻み、その腕をつかんだ。
薄い金髪の髪を腰まで伸ばし、三つ編みにして黒いリボンで結んだ美少女であった。
「────。その手を放しなさい遜鬼。あなたに、私の行く手を阻む権限などないわ。最も、それを所持しているのはこの家で正当なる血を引継ぎし方々だけれども」
遜鬼と呼ばれたメイドは、それこそとても申し訳そうな、同時にどこか恨めしそうに紗鬼さんの行く手を拒んだ。
見た目だけ見れば美少女同士のいちゃつきだ。
「お前……」
「やめてよ、麗。それ以上俺を蔑むような視線で見ないで」
言いたいことはわかるので声にしないでくださいお願いします。でも、さ? 男の子的に萌えない? 性別がない麗にはわかんないかもだけど!!
「紗鬼。私は……私はもう、この鬼城院家の女中頭よ。立場を考えなさい」
「あなたこそ考えているの? 私は当主様直々の専属女中。……そして、当主様は私にこう、命令いたしたわ。──『桜様の命を、主様の命と同じく聞き届けよ』とね。私にとって、桜様からの命は主様からの命も同然。だからこそ、それを破ることなどありえない。許されない。万死に値するわ」
「──ッ! あたなはっ! いつも、そうよ! いつだってそう、自分ばっかり! 自分ばっかりで考えて、なんにも私にっ……! あんたが勝手に頭をやめて、私が、あなたに慣れると──」
「紗鬼。お前のその言葉は本当か?」
紅葉さんはそれに飽きたのか、それに心配したのか。その真意はわからないけれど、遜鬼さんの肩を叩き、そのまま紗鬼さんに問いただした。
それに対して紗鬼さんは一切の表情も変えずに、きちんと言葉にして言い張る。
「すべて事実でございます、紅葉様。……ご当主様からの命を違えることは、桜様にも許されておりません。ですからそこをどうかどいてください」
冷静だった。冷静すぎるほどに、紗鬼さんは紅葉さんと話していた。その傍らでどこか涙目な遜鬼さんを置き去りにして。
「──え。先輩?」
ふと、そんな葛の驚くような声が聞こえた。振り返ると、葛はまっすぐに遜鬼さんの方を見ている。その視線に気が付いたのか、遜鬼さんはどこか気まずそうだった。
……先輩? って、この場合は遜鬼さん、だよな。……二人も!?
「……流石に、母さんの命令を反故にはできねぇな」
「……あの、紅葉さん」
「あ?」
ふと、気になったことがあった。別に、聞かなくてもよかったと、後々から後悔する。だって、それはあまりにもくだらなくて、それはあまりにも推測で、それはあまりにも失礼かと、そう思ってしまったから。
けど気になってしまった。好奇心は猫をも殺す、だなんてよく言ったものだ。本当に、雑草みたく抜いても切っても生えてくる。これは除草剤が必要だ。
「──なんでそこまで、桜のことを気にかけるんですか?」
「────。は、ぁ?」
気の抜けた、間抜けな声だ。あまりにもその見た目のオーラのようなものから察せられないほどに、呆気にとられたような声。
そして、それはすぐさま怒りに代わっていった。
「……なんだ、お前。なんなんだよ、お前。何様なんだ、お前。勝手に変な憶測をしないでくれるか?」
「憶測……それは、今この場で紅葉さんが俺の問いに返答してくれればいいので、は──」
パチリ。一度だけ目が乾いたから瞬きをした。そうしたら、紅葉さんが、目の前にいた。目と鼻の先に、いた。
とんでもない速度で紅葉さんは俺との間にあった二メートルほどの距離を一瞬にして詰め、俺の顎を乱雑につかみ上げる。顎クイ、遠慮なしバージョン。絶対に首を痛めた。痛い。
「俺が一体、いつ、名前で呼ぶことを許した? 身の程をわきまえろよ」
「……すみません」
桜のお兄さん、ということは、あれだろう。次期当主とか、そういう役職。そうすれば俺の行動は失礼極まりないことだ。流石に裏界において常識知らず世間知らずの俺であっても、この半年未満で『御三家』の存在の大きさについてはある程度知ることができた。だとすれば、俺みたいな平民からすれば天のような存在であり、話しかけることがまず罪に当たる可能性がある。
けど、言い訳ならある。そもそも友人のお兄さんに話しかけることが罪に当たるだなんてどんな乱世だ。あくまでも「友人のお兄さんにちょっと話しかけた」だけであり、咎めないでほしい。……なんて、思っている目ではない。
でも、前言撤回は腹が立つ。それにまだ質問に答えてもらっていない。質問に対しては返答でしか返してはいけない、ということを知らないのか、コイツ。
「……行くぞ、遜鬼」
「かしこまりました」
「ぁ、……」
あと一声、話しかけようと一歩踏み出したら、思いっきり背後から手で口をふさがれた。
「ふごご」
「──もういいから黙ってろ! 麗! お前も面白そ~だなんて下らねえこと考えてないでちゃんと止めてくれ!」
手のゴツサ……っていうか、手袋で口をふさいでいたから察せていたが、手の正体は葛だったようだ。珍しく汗を額に浮かべている。冷静沈着が似合う氷属性には似合わない慌て具合だ。
あっと、思ってまわりをみれば、キャリーケースが転がっている。
「あーあ。もうちょっとしたら面白くなるかなーって思ったのに」
「その享楽的な主義主張、本当にいつか身を滅ぼすからやめろよ」
「はいはい。じゃ、紗鬼さん、さっさと鬼城院君のことまで案内してくれる?」
その言い方だと先の紅葉さんも当てはまってしまうがさすがはメイド。ちゃんと桜の部屋まで案内してくれる。
庭を通り、そこから大きな建物から距離をとって敷地の端にある場所に行く。そこには、一つの建物があった。
……なるほど。金持ちというのは建物一つを部屋だと言うらしい。いやはや、俺という平凡な一般家庭出身の人間からすればまったくもって理解できない思考だが。
「豪華だな……」
「さすがは『御三家』だね」
さすがの一言で片づけられていいものか。と、麗と葛の会話を聞きながら思った。
その間にこの短い間のやり取りだけでも優秀だと察せてしまうほどの紗鬼さんは扉を叩き、中にいる桜を呼び出してくれていた。仕事が速い。頼んでもいないのに、すごすぎる。察して動くという奴だろうか。
「桜様。ご友人様方をお連れいたしました」
「──ありがとう、紗鬼」
──いつもと違った声だ。
ありていに言えば、元気がない声だ。覇気もなく、落ち込んでいる……どちらかというとやつれているような声だった。
どこか古そうな扉はギイ、と音を立てて開き、中から小さな照明の明かりが漏れ出してきた。──そして、和服に身を包んだ、「良家の次男坊」たる桜が、俺たちを招き入れてくれたのだった。
*
「──来てくれたところ悪いんだが、ちょっと今は色々と立て込んでてな。できるかぎり、早めに帰ってほしい」
なんというか、本当に何があったという具合だった。もしや、こういった古く伝統のある家特有の折檻とかだろうか。
「……そういう自罰的なことは、やめた方がいいよ。鬼城院君」
「──。ああ、そういえば、頭内は『さとり』だったな。くそ、忘れてた。……大丈夫だ、俺は」
「大丈夫な妖怪の見た目じゃないからボクがこうしてわざわざ気にかけてやってんじゃん。そうした言葉だけの、上っ面だけの言葉が聞きたくてボクはわざわざ声に出したんじゃないんだよ」
そう言った麗は、どこか怒っているような様子だった。隠し事を、自らに通じないとわかっているくせしてされたことに憤っているのだろうか。
それに対して桜はどこか曖昧な笑みを浮かべ、のらりくらりとしている。
「──桜。俺は、もし桜が困ってるんだったら力になりたいよ。……なれなくたって、寄り添える相手でありたい」
──桜は、俺が人間だと明かすことができた友達だ。その優しさに漬け込むように、俺は桜に自らの正体を明かした。そのせいで、一体どれほどの苦悩や葛藤を桜が抱えることになったのか、その大きさに気づかずに、無神経にも明かしたのだ。
だから、力になりたい。罪の、償いのようなものだ。
「──何があったのか、話してくれたら、俺はとっても嬉しい。……卑怯な言い方をしてるってのは、わかってるよ」
結局、そうやって優しさにまた漬け込んでるんだから、なんとも救えない救い方しか選べないものだ。
──だから、こんな表情をさせてしまう。
「──俺は、」




