幕間 『小学校のクラスメイト』
──彼は、違う。根本から、彼はあまりにも私たちから違いすぎた。
*
夢を見た。
それは、今よりも己の背丈が短く、幼かったころの夢だ。やけにリアル、というより実体験の記憶を夢として思い出したのだ。だから、夢なのに目覚めてもこれだけ鮮明に覚えている。
それは、自分が小学生だったころの記憶だった。
その子は、クラスの背景として溶け込んでいた。馴染めていたのではない、背景として、人ではない何かとして溶け込んでいたのだ。
喋らず、笑わず、動かず。徹底的に三猿でもしてるのかとツッコみたくなるほどに何もしない生徒であった。
移動教室もいつの間にかいるし、給食だっていつの間にか食べ終わっている。気味が悪かった、気色が悪かった、なんて印象は残っていない。自分自身が覚えている限り見れていた限りいじめなんてなかったから。少し悪ガキな男子生徒も彼には構わず、本当にそこにいないみたいだった。
──そんな置物みたいな彼だったからか、あの日の出来事は嫌でも記憶に残っている。
所属していた四人グループで、その内の二人がクラスで「かっこいい」と言われている男子を好きになったというところが喧嘩の始まりであった。小学生特有の、簡単に結婚だとか、そういったくだらない話が始まりだ。
そもそも、その男子が「かっこいい」と言われていたのだって学年で一番足が速かっただとか、そんな理由であった。
「や、やめなよ」
「そうだよ。危ない、よ」
「なんでゆーちゃんも壮太君のことが好きって、そうゆうの!? 壮太君はさやと”つきあう”の!」
「なんでさやちゃんと”つきあう”の!? わたしだって壮太君が好きなのに!」
……そう。さやちゃんと、ゆりちゃんだった。その二人がクラスの壮太って子を好きになったのだ。そもそも、なんでっ告白すれば絶対に付き合えるだなんて思っているのだろうか。そうだったら世の中で非モテだなんて言葉は生まれていないのに。
子供にとっての”結婚”や”交際”なんて本当に軽いもので、軽い気持ちで言い合える。それを一生引きずるなんてことはまずないだろう。こうして人は黒い、痛々しい歴史を積み上げて成長するものであるとも、そうなんとなく今になって察せる。
「さやちゃんもゆーちゃんも、や、やめよう? 壮太君こまっちゃうよ」
「あいちゃんは黙ってて!」
そう強く言われてしまえば、思わず一歩下がってしまった。それを同じグループに所属しているもう一人の子が助けるようにしてくれたが、そんなのはもうどうだっていい。
愛はそうやって自分自身の無力さを痛感しながら、ただこの喧嘩の成り行きを見守っていた。……そのつもりだった。
「──壮太君は恵奈さんが好きだよ」
──そう、声が聞こえた。
その声は、あまりにも場違いだった。こうして女の子二人が喧嘩していて、なのにあまりにも冷静で……いや、冷静なんかじゃない。思い返せば、それは無関心のあらわれであった。無関心だから、冷淡な声で、真実を突きつけた。
「な、なによ。……えっと、……あおい、君?」
「……壮太君は恵奈さんが好きだよ。だから、沙也さんとも百合さんとも、付き合うだなんてありえないよ」
「は、はぁ!? な、なによ! なんなの!? 壮太君が恵奈ちゃんが好きだなんて、そんなの誰が言ったの!?」
「別に──見てれば、わかる」
何でもないように、言い切った。目の前の……そう、名前は確か、咲崎蒼だったはずだ。小学校で一回だけ同じクラスになった、男の子。クラスにではなく、クラスの背景に溶け込んでいる、そんな影の薄い男の子。
そんな彼が声を上げたことに、愛は純粋に驚き、動くことができなかった。
「なんなのよ! 急に言い出して、急に否定してっ! もう、どっか行って!」
「そ、そうよ! 壮太君はわたしと”つきあう”の!」
「……そんな簡単に、人と人は付き合いないよ。第一、壮太君が沙也さんと百合さんを好きだなんていったいいつ言ったの?」
「──っ! う、うるさいっ!」
「あ」
──パシン。そんな音が、響いた。
もともと教室の後ろで喧嘩をしていたからか、少し教室が静かになっていた。そんな中でこの三人の声は響いていて、だから頬を叩く音も響いたのだ。
「あおい君になにがわかるの!? ほんと、ありえないから!」
「さやちゃん! やめよう? さすがにダメだって」
咄嗟にグループのもう一人が沙也の動きを止めるように抱き着くが、それでも沙也の怒りは収まっていないらしい。それを、蒼はただひたすらに冷たい目で見ていた。
──その瞳は、底がない闇みたいで、見ただけで背筋が凍る思いだ。
「わ、わたし、先生よんでくるっ」
「おれも!」
クラスでさすがにまずいと思った数名が、教員室を目指してパタパタと走り出した。同時に、話題の中心であった壮太が恵奈と共に廊下から戻ってきたらしく、ほかのクラスメイトにこの騒動はなんだと聞いていた。
──そんな中で、愛は、動くことができなかった。
「……? どうかした? 愛さん」
「ぁ、……」
──怖い。その目が、怖い。
別に、だれだれはだれだれが好きだと、そう明かすこと自体を不気味だなんて思わない。そういった恋の矢印を知っていれば、こんな会話が馬鹿馬鹿しく、聞くに堪えないから言ってしまおうと、その感情自体は理解できる。
──でも違う。今この瞬間に、蒼の感情に宿っていたのは、「教えてあげよう」という、善意に似た何かであった。
「──きもちわるい!」
思わず、そんな声が漏れ出てしまった。思ったことをいつもそのまま口に出してしまうと、今まで一貫して担任に言われていたのに。
そんな傷つける言葉を聞いて、蒼は一度だけ大きく目を開き、そのまま口を開いて──
「──咲崎君!」
先生が、焦って教室を開く音が聞こえた。先生の周りにはさきほど教員室に行った数名の生徒がいて、周りをどこか気まずい雰囲気でうろうろとしている。先生の表情は、喧嘩を止めに来たそれではない。もっと、もっと何か、何かが起きてしまった感情だ。
「っ、咲崎君。ごめんだけど、すぐに教員室に来れる? ちょっと、大事な話があるの。──お母さんのことで」
「……わかりました」
そう言って、蒼はそれ以上口を開かず、そのまま先生について行ってしまった。そのまま蒼君は早退してしまい、以降は少し休んでいた。ちょうど学年が変わる節目当たりの出来事であったので、そのまま蒼君と再会することなく別れてしまった。
──その時に謝れなかったのだけが、今でも続く、ひどい後悔だった。




