七十一話 北原姉弟
「ん、んー、よく寝たぁ」
葛の部屋にプラス二つの布団を引き(部屋の広さ的に超ギリギリだったが)、そうして俺は朝を迎えた。こがらし亭、滞在して二日目の朝となる。今日のミッションとして俺はこの旅館の雑用係として丸一日働くということが会った。
「──おはよう、お寝坊さん」
「……おはよう、早起きさん。って言ってもまだ六時だよ? 全然早い方だと思うけど」
「ボクより遅く起きたら全員お寝坊さんだよ」
「んな暴論……」
麗が起きたのはおそらく五時ぐらいだろうに。体質的にそんなに睡眠を必要としないとは少し前にも言っていたが、六時起きを寝坊扱いはあまりにも酷ではなかろうか。
そうして布団から起き上がり、そのまま体を簡単に伸ばす。途中途中でポキポキと関節のなる音が聞こえた。
「そういえば、前に蒼はランニングを朝にしてるって言ってたけど、今日もするの?」
「そうだなぁ……どうしよう」
「──なら俺一緒に行こうか?」
「あ、おはよう、葛」
「ああ」
隣でごそり、と動く音が消えて向けば、そこにはあくびをしている葛の姿があった。寝相はとても良かったがどうやら寝癖はひどい方らしい。いつもは綺麗に下に伸びている髪が跳ねていた。
「今からだと三十分くらいだが……山を途中まで下って戻るって感じだ。いいか?」
「ん、全然オッケー」
山道と直線上の平坦な道では確かに走るときのフォームがちょっと変わったりするが、まあ体を動かさないよりはマシだろう。それに、涼しい大自然を感じる山道を朝から降りつというのはとても気持ちよさそうだ。
「それじゃあボクも一緒にご同行させてもらおうかな」
「おお、……麗、素振りでもした?」
「なんで分かるの? キモいねー」
「シンプルな罵倒!!」
もはや遠回しとかじゃなくて純粋な言葉で殴ってきてない!? いや、寝てる時に外に出てく麗が見えた気がするだけだってば!!
「案外眠りが浅いタイプなの……? まあ合ってるよ。昨日のうちに葛のお母さんにじゃまにならない場所を聞いててね。これもボクの毎朝のルーティーンみたいなもんだからさ。でもランニングとかウォーキングもたまにするよ?」
「へぇ」
林間学校……より以前の桜との模擬戦とかから思っていたが、本当に麗は身体能力が高い。桜に『術』による強化だと明かされもしたが、逆に常時『術』を発動するとかいう行為にドン引きしたのも今となっては懐かしい。
ていうか、『術』で強化したとしてもそれをコントロールするための技術は別なので、普通に麗は凄いんだろう。
「崇めても良いよ?」
「調子に乗るなぁ……」
乗せたら乗ってくれるタイプは嫌いじゃない。乗せても乗らずに我道を歩むやつなんかよりは数百倍は好感を持てる。我道を歩むやつはどっちかっていうと嫌いだ。
「我道を歩む者に恨みでもあんの……?」
「いや、別に特段これと言った恨みも妬みもないんだけど、本能が何でか拒絶するんだよね」
前世となかんか会ったんじゃないだろうか。知らんけど。
そのまま起き上がって布団をたたみ、葛が昨日案内してくれた洗面所に行く。その際に紙コップと歯磨きを持っていくのも忘れない。朝はちゃんと口をゆすがないと気持ち悪いと思ってしまう。
「ん、……くぁ、」
あくびを噛み殺しながら少しギシギシと鳴る廊下を歩く。そうすると、朝だからか、少し冷たい風が首裏をかすめた。
「……?」
ただその冷たさが少し違うなと、自然ではないように思えてその風邪が吹く方向を見た。ちょうどそれは縁側で、庭へとつながっている。その庭から駐車場に行けて……ようは、そこそこの広さがある庭だ。
──そこに、一人の人影が合った。いや、本当に正確に言うならば人ではないのだが……そこは御愛嬌。
その人影は、美しい黒髪を伸ばしていて、小さな雪が、舞っていた。夏であり、涼しさあれど暑さがほとんどのなかで、雪が。
「────」
それを、俺は知っている。──葛、だ。
見間違えた。髪の長さと身長から、絶対に見間違えるはず無いのに──葛のように、見えてしまった。
「──ぁ、」
「──おはよう、蒼君」
「つ、……氷花、さん」
「? そうだよ、氷花だよ?」
砕け、人懐っこそうな笑みを浮かべながらそう話しかけてくれる。……いや、よくよく考えれば、というか考えなくとも葛の双子の姉ってことはつまり、俺と同い年ということだ。むしろ俺のほうが敬語やらなんやらと距離を開けすぎていたのかもしれない。
──神秘的だった。神々しさすら感じた。雪を舞わせ、その中心にいた氷花さんは美しかった。
……ああ、これが『雪女』か。そう漠然と思った。
「……」
人を惑わし、誘い、拐かす。──この魔性が、『雪女』か。そう漠然と、思ってしまった。
*
「──それでね、葛ったら靴が脱げちゃって……でも一位だったの! 頑張ったのねぇ」
「へぇ」
聞いたのは小学校の頃の北原姉弟のエピソードだった。なんでも小学校の頃の葛がかっけっこの時に靴が脱げたがそのまま走りきったという。葛の負けず嫌いは林間学校の時になんとなく気づいていたが、人であれ妖怪であれ魂は百まで変わらないってことだろう。
「葛は昔から可愛くてねぇ、ちょっとだけえいっ! ってやったら楽しい反応をしてくれるの! うふふっ」
……所々にどことなく「うわぁ」ってなってしまうようなエピソードもあった。葛が好きであったぬいぐるみを「壊れないように」で氷漬けにしたり、じーっと意味もなく三時間以上葛のことを見つめ続けていたり、と。
話を聞いているうちに葛がどうしてあんな反応を氷花さんに見せるのかもわかってきて……同時に、お互いがどれほどに互いを愛しているかも、どことなく感じられた。
──本当に、好きなんだなぁ。
「──それで、葛は高校でどう?」
「どう……そう、ですね。しっかり者で、優しいです。勉強を教えてくれたり、色々と俺も頼らせてもらってます」
実際に勉強、『術』の実験やらなんやらは麗と葛の協力によって成績を保ったまである。それに入学してすぐの部活見学といい、なんやかんやで押しに弱くてお人好しな部分がある。そこに助けてもらったりしてる。あ、ちゃんとその後にお礼としてご飯を奢ったりしてるので貸し借り的にはセーフだ。
「……しっかりやれてて、良かった」
「? 氷花さん?」
「ん? あ、いや、ね。──恵まれてて、良かったなぁって」
そう言った氷花さんの表情は、慈しみに溢れた顔をしていた。
……本心だろう。そう思わせる迫真さが、氷花さんの言葉には合った。家族として、姉としてだろう。
「うふふ。……なんとなく、ね。私じゃあ葛の心は開けないって、ずっと昔にわかってたのよ。だから新しい場所だったら……私も近くで見守ってたかったんだけど、東京行っちゃってね。でも、葛が楽しそうで、良かったわ」
「──。氷花さんは、葛のことが、本当に大事なんですね」
「……? だって、私は葛のお姉ちゃんだもの」
そう当然のように氷花さんは言い切った。──その言い切りが、俺にとってとても心地よく、同時にとても羨ましかったのだった。
*
氷花さんと会話を終えてそのまま洗面所に行き色々と終わらせ、その後に部屋に戻ってジャージに着替えた。そうして持ってくものやら持ってかないものやらを取捨選択し、そうして準備は終わる。
そっからジョギングを三人で行って山を昇り降りし三十分、そして旅館に戻ってきたのだった。
そうして戻って大浴場に行ってシャワーを浴び、旅館の制服に着替えることになったのだった。
「どう? 似合う?」
「まあ馬子にも衣装という感想をボクはとりあえず言っておくよ」
「とんでもなく褒める気が無いね」
しかもスマホ見ながらだし。
麗は本当に和服が似合っている。なんなら普段着は実は和服なんじゃないか? と思うほどには似合っている。葛も顔がよく、美人系であり、そもそも旅館の若旦那であるからこそ似合っている。
そうして着付けが終わると部屋に葛のお母さんが入ってくる。
「……母さん、入るときはちゃんと声をかけてくれ」
「はいはい。それで蒼君、麗ちゃん、頼みたいお仕事はここにリスト化したらお願いね」
「わかりました! よろしくお願いします!」
リストに書いてあるのは氷花さん、葛のお手伝いやら後片付けやらゴミ出しやらであった。簡単に言えば、資格がなくたって誰にでもできるお仕事が。けどなくてはならないもの、ではある。というか仕事である以上は絶対に誰かがしなければならないからこの理論はおかしいか。
──そうして、こがらし亭で働く一日が始まった。




