六十九話 露天風呂
雪合戦と雪かきが終わり下山。そして旅館へと戻ってきた。時刻はざっくり五時頃、夏とはいえ早めに切り上げたほうが良いという話になったのだ。
そして旅館に戻ると夕飯の仕込みをしてるのか少し慌ただしかった。
「あ、三人ともおかえりー。山行ってたんだってね、何してたの?」
「雪合戦だよ。氷花、なんか手伝うことあるか?」
「今日は大丈夫かな。あ、でも明日は蒼君も麗ちゃんも手伝ってくれるんだよね? じゃあ、うん、そうだね……しっかり皆の動きを見ておいて。見て学ぶ、百聞は一見にしかずってね! ふふっ、それじゃあね!」
パタパタと、そう言って小走りで厨房へと氷花さんは向かっていった。なんというか、若干嵐のような人だ。良くも悪くも、掻き回す。
「それが刺さるか刺さらないかは本当に別れるだろうけどね。──それでさ、葛」
「ん?」
「ボク達は明日は具体的にどこらへんを手伝えばいいかな。流石にプロと同レベルにはならないから……草むしり?」
「も、あればしてもらいたいが……それはこの間に父さんがやってたな。でも実際にやってもらうなら食器の片付けとか、あとは部屋の掃除の補佐とか掃除じゃないか? 地味に人手不足なんだよ」
「りょーかい。蒼も大丈夫?」
「そうだね。でも泊めてもらってるんだしきちんと働かないと」
正当な対価だ。きちんと働いて返さないと不誠実だし、借りっぱなしというのは個人的に嫌いである。だからこそきっちしりっかりやろう。
「それで……夜ご飯までどうするか? 大浴場なら空いてると思うが……」
「入って良いなら俺は先に入っちゃおうかな」
「ボクは夕食後でいいよ」
……麗ってどっちに入るんだろう。性別が無いってことはセクハラには……ならない? まあ、いっか。
「んじゃま、葛! 裸の付き合いってことで、一緒に来て!」
「えぇ……ま、いいけどよ」
「じゃあボクは葛の部屋でダラダラしてますよ〜っと」
「なんか嫌な言い方だな!」
林間学校のときは時間に追われててそんなに湯船に長い間疲れなかったので、今日はのんびりとしよう。夕飯は確か六時三十分くらいだったと記憶しているし。
──そうして、俺と葛は旅館においてある浴衣を持って大浴場へと向かったのだった。
*
「ぁ」
──そういえば、初めてかもしれない。葛の、手袋の下を見ることになるのは。
よくよく考えれば、隠していたものを絶対に暴かないといけない場所に連れて来るって……俺、かなり嫌なやつじゃないか!?
「? どうかしたか、蒼?」
「えッ!? い、いやっ? 全然、何も?」
「……? まあ、ならいいんだがよ」
どこか気まずくて、視線を真正面にやる。パッと服を脱いでサッと髪と体を洗ってダッと風呂に入る。……だと風呂を楽しめないので、流石に却下。
そのまま一枚だけ体を洗うようにタオルを持っていき大浴場へと入っていった。チラッと見た感じ他に三人ほど人がいて、その内の二人は大学生で友人同士、もう一人は高齢なお年寄りだった。
大浴場にはサウナがあって、露天風呂もどうやらあるらしい。
「ああ、露天風呂は混浴だぞ」
「……え!?」
「流石にタオルで隠せってルールはあるけどな。後で行くか?」
「……………………お言葉に、甘えさせて、もらって……」
「素直なヤツは綺麗じゃないぜ」
そのまま葛は桶を手渡してくれて、シャワーへと向かった。──ただ、一つだけ、見てしまった。見えてしまったとも、言えるだろうけど。
「──ぁ。そ、れ」
「んぁ? ……ああ、見せるもんじゃないと思ってな。隠す、ってよりかは蓋をしてたんだよ。見るだけで気分悪くなるだろ?」
「っ、そんなこと!」
桶を手渡した時、葛の手が見えたのだ。──手袋を外した、葛の手が。
──爛れ、消して癒えぬであろう焼け跡が残る、その両手を。
「まあ、なんだ。まずは体洗って、それからだ。──話を、しよう。俺の手と……お前のその、胸元の」
「え? ……ぁ」
──そうだ。今の俺は、今の俺の体は、決して何もないわけではない。あれから、貫かれた心臓には傷跡としてわかる痕跡が残っている。
「……そう、だね。話を、しよう。──お互いの、話を」
葛が話す、その火傷の話。
俺が話す、この傷跡の話。
きちんと聞いて、そこから考えなければいけない。そうでなければならない。憶測で物事を語り、感動的なストーリーを作り上げ、人に対して好き勝手に同情するだなんて、許されざる蛮行だ。
「……」
……まずは、体を洗おう。そう、葛が言っていた。
そう思って俺は、葛の隣のシャワーを使うことにしたのだった。
*
「ぁー、久々に入ったが……やっぱ癒やされるな」
「ん〜。極楽ですなぁ……」
タオルを頭の上に乗っける……は、俺の器用さではできなかったので迷惑にならないように風呂の縁に置いておく。葛なんかは器用に乗せてるが。
幸いにも、俺は言うても方に届くか届かないほどの髪の長さなので普通に浸かっていたら髪が触れてしまうことはない。
「それ、なんで伸ばしてるんだ?」
「え〜? なんでだっけ……まあ、切るのが惜しくなったとか、そんなじゃないかな」
「何で自分のことなのに疑問形なんだよ」
両手で湯を掬いながら、どこか鈍った思考でそう答える。
──混浴と、そう聞いた露天風呂には誰もいなかった。別に、何もがっかりなどしていない。そもそも「がっかり」だなんて俺がなにかに期待していたみたいな言い方だ。俺が、一体、何に何を期待してるっていうんだ。言いがかりだ、人聞きの悪い。……妖怪聞き?
「この時間帯じゃなぁ。まあご飯終わったらもうちょっとは増えるだろぉ……」
葛もまた温泉に入ってるからかどこか語気がふわふわしている。
この露天風呂にどんな効能があるかは俺は知らないが、それでも入っていてとても気持ちがいい。それに、見える景色が綺麗だ。山に囲まれていて、静かで。大自然を感じる。
「──それで、暗くなるが……その胸元の傷は何だ? 左……心臓付近に見えるが。生まれつきの持病だとか、手術痕か?」
「いやぁ、違うよ。これでも生まれてこのかた入院だけはしたことがないんでね、健康体で十五年過ごしてるよ。……ちょっと前、ほんとうにちょっと前に色々あって、なんというか、あー──『怪異』って、そう言ったら信じてくれる?」
「──は、」
俺がそう言うと、葛は目を大きく見開いた。美人というのは、どうやら、呆けた顔を晒しても美人らしい。むしろあれだ、水も滴るいい男として……とても映える。
「『か』、『いい』って……存在、するのか?」
「どうやら事実らしくてねー。それにちょっと、やられちゃった。でもキチンと見てもらったけど後遺症とかはないらしいよ」
ああ、なんでだろう。──何で俺は、こうも簡単に嘘をついてしまうんだろう。確かに、性格には『アレ』を後遺症とは呼ばないのかもしれない。けど、俺の体に不可逆のものが宿ったのは一応の事実だ。
元来、咲崎蒼という人間は、とても性格が悪く、自らのことしか考えていな人間性を持っていて、自身の保身を第一とする、最低最悪の人間だ。だから、今だって──
「蒼?」
「……いや。やっぱりこうして温泉に入ってるとちょっと逆上せてきたかも」
「大丈夫か? 上がったほうが良いんじゃないのか?」
「いやぁ。……まだ、葛の話を聞けてないじゃん」
そう言うと葛はどこかバツが悪そうな表情をしながら俺の方を見て、なにもない、誰もいない空を見上げた。今日の夜空は晴れていて、星がよく見える。あいにくと俺はあまり星座の知識はないが……あれがデネブ、アルタイル、ベガだろうか。
「──。大した、話じゃ、ないんだ」
「それでも、俺は聞きたいよ」
「……昔、俺がまだ子供だった頃の話だ。たぶん、五とか六くらいの。──『先祖返り』が珍しいってのは知ってんだろ」
「なんとなく、だけどね」
麗の発言や反応からして数はいないんだろうことは推測できた。そして、どことなく特殊なことも。
「俺の父さんも母さんもとっくに『雪女』なんかじゃなくて……問題は、俺らが『先祖返り』をしていたってことなんだ。それで……なんというか、『種族』を持つとその影響が色濃く出るんだ」
……向がどこか野性味があるのはそのせいだろうか。なんというか、たまに自身の尻尾に毛づくろいしている、アイツ。始めてみたときはびっくりしすぎて引くとか以前に言葉を失った。
──じゃあ、雪女の場合は何なのだろう。
「『雪女』は文字でわかるけど冬がそもそもの生息環境? なんだ。だから……火に、弱い」
「火、……?」
「ああ。それで……本当に、馬鹿をやったんだ。危ないからさわるなって、ずっとずっと言われてた」
──厨房で、なにか間食がないか、そう思って忍び込んだという。普通のある日で、客も少なくて、従業員もゆっくりと働いていたんだそうだ。
人目が少なかったからこそ、見逃してしまった。──火元に近づく、少年を。
「お茶を入れようとしてたんだ、だから沸かしてた。でも俺は気づかなくて、菓子を取ろうと近くの棚に手を伸ばして……ひっくり返った」
「……それ、で」
「まあ、お察しのとおりだよ。なんとか咄嗟に他の部分は氷を出したんだが……いつもは手で『術』を発動させるからか無意識的に手のあたりは除外してたんだな。──知ってるか? 『雪女』が火傷を負ったら、それは一生治らないらしいぞ」
葛は月明かりに両手を照らしながらどこか自罰的に笑った。──その笑顔は、違うだろう。
「本当に馬鹿な話だったろ? 痕が残るってだけで膿むこととかはないから手袋つけてるんだけど……かえってこっちのほうが目立つか。なんだ、夏休み明けたらイメチェン的に手袋外してみても──」
「──言わないよ。俺は馬鹿だなんて、言わない。そりゃ子供が大人からすれば、今の自分からすれば幼いのは当然だよ。でも、──幼さは、罪なんかじゃない」
幼いことを言い訳に悪事を働くのは悪だ。けど、幼いことで仕方のないことだって、確かにある。幼い失敗が、拙い失敗が、やがて成長して成功へと変わるんだ。だからこそ、そういった小さい頃を否定しては、だめだろう。
「……あお、い」
「──この火傷は治らない、かもしれない。でも、それを恥なんかにしちゃ、駄目だよ」
「────」
「これ以上はっ! 逆上せるので一旦外に出ましょう!」
「お、れもか? 別に俺はまだ……」
「『雪女』は火に弱いんじゃないのー!?」
無理矢理にでも葛を立たせて露天風呂の出口へと連れて行く。──この浴場の端にいるもう一人の気配を、確かに感じながら。




