表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/23

別離

翌朝早く、大蔵おおくらは桜井家の下男げなんと連れ立って、小桜村川俣を出て行った。


ここ数年、水戸領には侠客きょうかくくずれのごろつきや、野盗やとうたぐいが増えたという話が伝わっている。

心配する家族をよそに、鈴木大蔵すずきおおくらは涼しい顔をして、水戸街道みとかいどう稲吉宿いなよしじゅくからは一人で行くと言って聞かなかった。

しかし結局、心配する祖母や母に押し切られる形で、水戸沢小路(さわこうじ)にある道場まで、この下男げなんが同行することになった。


その朝、母の眼は赤く泣きはらしていた。

それが大蔵おおくらのことを想ってか、

琴の不憫ふびんなげいてなのか、

その両方なのか、琴には分からなかった。


琴は母の隣で大蔵おおくらを見送り、ただ短い言葉を交わした。

大蔵おおくらには奉公の話は明かしていない。


「頼んだよ」

その一言に込められた様々な思いに、琴は返す言葉が見つからなかった。

そしてただ、黙って大蔵おおくらにうなずいた。



水戸街道みとかいどう日光街道にっこうかいどうに向かう道が分かれる三叉路さんさろに差し掛かった時、大蔵おおくらは使用人の勝蔵かつぞうに声をかけた。

「ちょっと、ここで待ってて」


「へえ」

勝蔵かつぞうが歩みを止めると、大蔵おおくらは三叉路の又にある小さな社の鳥居をくぐり、境内けいだいに駆けていった。


大蔵おおくらはそのまま無造作むぞうさにおやしろの扉を開け放つと、床の片隅かたすみ羽目板はめいたを引きはががした。

そこには、まだ少年の大蔵おおくらには不釣り合いな、長刀が隠してあった。

大蔵おおくらは、満足げにそれを腰に帯びると、宝物を守ってくれた御神体ごしんたいに手を合わせ、扉を閉めた。

その時、大蔵おおくらは、此処ここ筑波山つくばやま神社の分社である事を思い出した。



何年か前、まだ郷目付ごうめつけだった頃の父と、琴、三人で筑波山つくばやまに登った時の事だ。

拝殿の前に立って、父、専右衛門せんえもんは言った。

「あれが男体山なんたいさん、あっちが女体山にょたいさん。それぞれイザナギの命とイザナミの命がまつられてる。一緒に生まれた、国産くにうみの神様だ。なんだか、お前たちのようだな」

父の言葉に深い意味など無かったのかも知れないが、あの言葉が今でも耳から離れない。


この刀は、当時住んでいた屋敷から持ち出せた唯一の財産だった。

もっとも、無銘むめいのこの刀に如何いかほどの値打ちがあるのか、大蔵おおくらは知らない。

しかし、美しいものに執着しゅうちゃくする大蔵おおくらにとって、その刀身のなまめかしい光は、今まで目にしたどんな大業物おおわざものよりも魅力的に映った。

私財を切り売りしながら生活費を工面していた頃も、これだけは手放すつもりはなかった。

それが、残された幼い当主が出した結論だった。


大蔵おおくらは駆け戻ってくると、勝蔵かつぞうの肩をポンと叩いた。

「行こうか」




近江屋三八おうみやさんぱちは、抜け目のない眼つきで、ためつすがめつ琴の周りを一周した。

「ちょこっと線は細いが、お嬢ちゃん、様子はいいし、きっとお店でも可愛がってもらえるよ」


この近江屋がその店の主本人だと思っていた琴は、先の言葉をいぶかしんだが、口にはしなかった。


大蔵おおくらが旅立ってから三日と置かずに、このいかがわしい老人がまた現れた時、

母の顔から血の気が引くのを見て、琴はこの取引の意味をなかば理解していた。

本当の事情を知っているのは、伯母おばと、母だけのようだった。


門前に立った近江屋三八おうみやさんぱちの後ろには、琴の予感を裏付けるように、自分と同じか、少し年下の少女が一人、たたずんでいた。

もはや、伯母おばがクドクドと耳元で因果いんがを含める声も、琴の頭には入ってこなかった。


琴の脳裏のうりには、数年前、父や大蔵おおくら筑波山つくばやま神社に参った帰り道の情景があった。


志津しづ~、志津しづ~!」

男に手を引かれる少女と、それを追いすがって少女の名前を叫ぶ女。

少女は、大蔵おおくらが通う村塾そんじゅくの学友の妹だった。

少女に駆け寄ろうとする大蔵おおくらを、父の大きな手がさえぎった-


「母上、泣かないで。大丈夫だから」

琴はそう言って、訳もわからずオロオロする弟多聞たもんの頭を数回()でた。




品川宿で遊んだ客は、「侍」と、にんべんがない「寺」、つまり「僧侶」のこと。幕末の記録によると、芝増上寺の僧と、三田に藩邸のあった薩摩藩士が客の大半だったという。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ