弔合戦
茶屋の軒先では猫が丸くなって昼寝を決め込んでいる。
煎れたての番茶の匂いと、団子を焼く甘い煙が、縁台のあたりにゆるく漂っていた。
千賀浦部屋の角力だったという勢力富五郎は、平間重助を品定めするように睨めつけた。
「こいつはな、平田の兄貴の弔い合戦だ」
「穏やかじゃねえな」
下村嗣次は、鉄扇の先で顎をかきながら面白がっている。
富五郎の後を継いで、弟分の清滝佐吉が事情を説明した。
「三年前、利根川べりの出入りで、だぁな。こっちは平田三亀って凄腕の剣客を死なせちまった。敵方の飯岡助五郎は、洲崎の政吉っつー右腕を失った」
「ひょっとして、瓦版屋が書き立ててた、大利根河原の決闘てやつか」
その噂は平間も耳にしたことがあった。
一説には侠客二百有余人が入り乱れての死闘であったという。
「そうよ!喧嘩ではうちが勝ったが、結局、親分はお尋ね者として、笹川を追われる羽目になった。なりゆき、一家は離散して、俺たち子分もそれぞれ身を隠したんだ。おかしいじゃねえか?喧嘩両成敗って言うのによ。助五郎の野郎は、十手持ちと二足の草鞋を履いてやがったから、遠山金四郎って町奉行に手を廻して放免さ。そのお奉行ってのは、背中に桜吹雪の彫りもんを入れてるって噂もあって、渡世に半分足を突っ込んでるような、いかがわしい役人だぜ?」
「なるほど。それが今になって、あんたらの親分、笹川の繁蔵が戻ってきた訳か」
平間は横目で下村を睨んだ。
下村は縁台の上で胡坐をかいて、裁着袴の裾を弄っている。
その辺りの事情は既に承知している風だ。
勢力富五郎が、巨体を乗り出して話を引き取った。
「遅かれ早かれ白黒つけなきゃなんねえ。だがぶっちゃけたとこ、俺たちはまだ、昔の仲間を掻き集めたり、以前のシマを取り戻したりで、一家を立て直すのに手一杯だ」
下村は頬杖をついて、不敵な笑みを浮かべた。
「てなわけで、俺たちにお鉢が廻ってきたんだな」
「勘違いすんな。別にあんたらにカチ込めとは言わねえ。落とし前をつけんのは、俺らの仕事だ。助五郎の命は俺が取る」
富五郎が身振りを加えるたびに、古びた縁台がギィと悲鳴を上げた。
「おう待てよ、でっかい旦那。俺らに、まさかお留守番をしろって話じゃねえよな?そりゃねえぜ?」
下村は、情けない声で富五郎にすがった。
その声に、縁台の下で昼寝していた猫が、ちらりと片目を開けて、また眠りに戻った。
「なんの話をしてるんだろ?」
先ほどからずっと、茶屋の少し離れた席で下村たちの様子を窺っていた大蔵が言った。
「またなんか、ややこしそうなのが増えたぞ。後から来た二人、ありゃどう見ても堅気じゃないぜ?」
繁之介は、随分前から袴の股立ちを取っていた。
それは覚悟というより、落ち着かなさの表れだった。
二人は、下村嗣次に掛け合う機会を逸し続け、とうとう府中までついて来てしまった。
「ごめん。わたしがもっと早く踏ん切りをつければ良かったんだ」
「ま、仕方ねえよ」
そう言って慰めたのは、新家粂太郎だった。
「なんでお前までついて来てるんだよ!」
繁之介が頭を小突くと、粂太郎は例の生意気そうな目で睨み返した。
「なんだよ!こんな面白そうな話、放っとけるかよ!俺だけ仲間外れにすんじゃねえよ!」
「はあ…」
ここまでの道中を想って大蔵は嘆息した。
足の裏には、もう土と埃が染みついている。
大貫村まで来たとき、とうとう歩くのが面倒になったものか、下村嗣次が駕籠屋に脚を向けた。
三人は慌てふためき、意を決して近づいて行ったところ、値交渉をしていた下村嗣次は、短気を起こして雲助を殴りつけ、商談は決裂した。
おかげで、三人は徒歩で追跡を続けることができたものの、剣呑な場面を見てしまったせいで、またもや気勢を削がれた。
成田村と子生村の間では、向こうから歩いてきた商家の荷駄に、引き返して次の宿場まで乗せていけと絡んで、断られると馬の額を例の鉄扇で打ち据えて卒倒させてしまった。
今日の下村は何時にも増して危険な存在だった。
「まったくあいつ、ろくな死に方をしないぜ?」
粂太郎がませた口を効くと、大蔵は苦笑した。
「でも、あの大男が来てから、少し機嫌が良くなったように見える」
「お前、あそこに割って入れるのか?」
繁之介が下村たちを指さす。
頬杖をついて物騒な笑みを浮かべる下村を見て、大蔵はうつむいた。
「やっぱり君たちだけでも引き返せ」
結局、大蔵たちは、下村の後を追って汲上村まで来てしまった。
空は不気味な茜色に染まり、潮風が湿った夜の匂いを運んできた。
日が傾き、街道から人影が消え始める。
「どうやら今日はここで野宿になりそうだ」
「帰ったら先生にこっぴどく怒られるな」
灯りのない夜を想像しながら、三人は空を見上げた。
一方、下村一行は、さびれた旅籠に宿をとり、腰を落ち着けたところで勢力富五郎は再び話し始めた。
「これまでの経緯を考えりゃ、なんとしても先を取りたいところだが、奴らはすでに繁蔵親分を付け狙ってやがる」
潮騒の音が遠く響き、海からの風に煤けた行灯の灯が、富五郎の厚い胸板と佐吉の神経質そうな眼光を交互に照らす。
「じゃあよ、俺たちゃ何をすればいい」
焦れたように下村が聞いた。
「おめぇ達には、しばらくのあいだ親分の傍に付いててもらいてえ。あの人は、俺たちがどんなに言い聞かせても、賭場や女のところに行くのを止めねえ」
「ずいぶん長逗留になりそうだな」
平間重助が口を挟んだ。
下村は、それ以上言うなと平間を眼で制した。
「任しときなよ。口を利いてくれた八州さんの顔はつぶさねえ」
先を行く富五郎や佐吉と少し距離をとると、平間は下村に小声で話しかけた。
「どうも下村さんには、何か別に含むところがあるような気がするんだが?」
「中途半端に勘のいい奴は長生きしねえぞ」
下村は相変わらすニヤニヤしている。
「どういう成り行きで、あんないかがわしい連中と関ったんです」
平間は下村をたしなめるような口調で言った。
「聞きてえか?それが面白えんだ。あいつ等、笹川を追ん出されて散り散りになった後、勘定奉行関東取締役、平たく言やぁ八州廻りってやつに、お尋ね者としてさんざ追い回されてやがったのさ。ところがその八州廻りん中に桑山って悪い奴がいてよ。賂を取って水戸領にヤクザ者を逃がしてたんだ。御三家の水戸藩にはさすがの八州さんも手を出せねえからな。その時、水戸側の世話役をやってたのが、俺だったのさ」
「いがみ合ってるヤクザ者がどっちも役人のひも付きとは。世も末だな」
平間は腕組みをして言った。
「そうさ、重助。胸クソ悪い話だが、そうあればこそ、俺たちがつけいる隙もあるってもんだぜ」
下村は自分のことを棚に上げて笑った。
「どういうことです?」
平間はうんざりした顔でたずねた。
「今に世の中ひっくり返って、俺やお前にも名を上げる機会が廻って来るってことさ。近い将来、必ずな」
夜更けの汲上は、不思議なほど音がなかった。
昼間あれほど耳に残っていた人声や足音は消え、遠くで潮が引く気配と、どこかの社から届く鈴の余韻だけが、闇の向こうにたなびいている。
大蔵たちが、旅籠の立ち並ぶ通りから裏手に回ると、冷えた土の匂いが濃くなった。
星明かりだけが、ぼんやりと道を照らしている。
三人は口を結んだまま、地面に横たわり、星を睨んだ。
「腹減った」
粂太郎がぽつりと言った。
「坊やたち、そんなとこで寝てちゃあ野犬に襲われるよ」
闇の中から、かすれた声がした。
振り向くと、盲いた按摩が、白い杖を突いてゆっくりと近づいてくる。
「放っといてくれ。金がないんだよ」
粂太郎がぶっきらぼうに応えた。
「は、そうかい。なら、おいで」
按摩は肩に掛けた琵琶袋を軽く叩いた。
「あたしは、そこの宿に泊まってる。鹿島で少しばかりお布施を頂いたから、今夜の宿代くらいは払ってやれるだろう」
「ほんとか?」
粂太郎の声が弾む。
「座頭さん」
大蔵が立ち上がって言った。
「謂れのない施しを受けるわけにはいきません」
按摩は苦笑して首を振った。
「子供が生意気云うもんじゃない。あたしなんかいい大人だが、この通り旅先の人たちの好意で生きてるようなもんさ」
「でも、あなたは対価として、その琵琶で村の人を愉しませてる」
「やれやれお堅い坊主だ。じゃあ、こうしよう。飯と布団を提供するかわりに、お前さんたちみたいに身なりのいい子供がなんでこんなとこで野宿する羽目になったのか、話を聞かせておくれ」
「そんなんでよければ俺がいくらでも話してやるぜ?」
粂太郎が胸を張る。
大蔵は嘆息した。




