5 龍の使者
火がついた着物を脱ぎ捨ててきた姫白龍は、体にぴったりの鎖帷子と腰につけた短剣だけの姿で龍神宮に現れた。
「氷魔が来る。第一陣の焼魔のあとに続いてやってくる。氷魔は武器では殺せない。氷魔を殺せるのは龍だけだ。氷魔には龍を向かわせ、龍以外の軍を出してはならない」
泥鬼と別れてから休むことなく駆け通してきた姫白龍は、静香、ズク、美紀がそろっていたところに飛び込んできて、肩で喘ぎながら叫んだ。
「はて、突然やって来られたのはどちらのお方かな?」
物知りなズクも、挨拶もなしで叫んだ少女の素性をはかりかねた。
「私は白龍族の姫白龍」
「白龍じゃと?」
「捷鬼党忍軍と言えばわかる?」
「もちろん捷鬼党は知っておる。ということは辺境地域から来られたのじゃな」
「そう。早く龍軍を辺境地域に出撃させて」
「この子の言っていることは本当だよ。このままじゃカルラ艦隊が氷魔に襲われる。慎吾と衛門も危ない」
美紀はテレパシーでいち早く姫白龍の心を読み取った。
「ズク、急いで龍軍を出撃させてカルラ艦隊と交代させるんだ」
静香も事態が急を要することを悟った。
「承知」
ズクは姿を消して青龍のところに向かった。
「しかし、もう今頃カルラ艦隊は氷魔に遭遇していて手遅れかも知れない」
静香は嫌な予感がした。そして我の先兵の予感は大概当たるのだ。
「手遅れ?まだ魔軍は到着していないでしょ––––––あたしは魔軍の第一陣の船団を追い越して走ってきたんだから」
「カルラ艦隊は既に出撃して、辺境地域で魔軍の船団を迎撃したのだ。カルラ艦隊が攻撃する前に、焼魔は殺されて魔族の船団は燃えていた。カルラ族は消息を絶って久しい降魔軍が先に焼魔を攻撃したとみて、降魔軍を捜索しているところだ」
それを聞いた姫白龍はがっくり肩を落とした。昼夜を分かたず駆け通してきた努力は無駄だった。
「降魔軍なんか探したっていやしないよ。焼魔にユカの毒を盛ったのは私達捷鬼党忍軍なんだから。船が燃えたのは毒で焼魔が死ぬ前に発火したに違いない。焼魔に毒を盛って自滅させるために大勢の仲間が焼かれて犠牲になった。私もかなり危なかったんだけれど、首領の泥鬼に助けられたの。そして泥鬼に言われて全速力で辺境から走ってきたんだよ」
姫白龍はへとへとに疲れ切っていた。
そこへ精霊達が気を利かせて、神酒の杯と龍の刺繍を施した丈の短い着物を持ってきた。
「どうもありがとう!」
姫白龍は杯を一気に飲み干し、手早く着物を身につけた。神酒が全身に染みわたって、疲れた姫白龍の体に力を与えてくれた。天に昇る金色の龍がついた着物は、絵柄も寸法も姫白龍にぴったりでよく似合った。
姫白龍は初めて見た木霊とオハリコ達に思わず微笑んだ。好戦的で性急な気質だが、姫白龍は可愛いものが大好きなのだ。
「私は御子神静香、我の先兵だ」
精霊達に気を取られていた姫白龍に静香が名乗った。静香はもう霊感で姫白龍が龍の力を宿していることを見抜いていた。
姫白龍は上目遣いに静香の品定めをして軽く会釈した。龍の娘は我の先兵の恐るべき戦闘力を感じ取った。
外見は女で凄く綺麗だけれど中身は男みたい––––––
姫白龍には静香は武人以外の何ものでもなかった。
「私は美紀。どうぞよろしく」
明るい性格の美紀は、初めて出会った姫白龍に愛想よく挨拶した。
美紀を見た姫白龍は自然と笑顔になった。
可愛くて女の子らしい!この子とは友達になれそう––––––
姫白龍はヤマの老女から村崎美紀のことについては聞かされていた––––––ヤマの老女は既に美紀が人間界にいたときから目をつけていて動きを見守ってきたのだ。
「遠くから走って来たので疲れたでしょう。私のいる浮御堂で少し休んだらどう?今なら慎吾の部屋も空いてるし」
美紀は親しい友達のように姫白龍の手を取った。
姫白龍は一瞬たじろいだが、美紀の手を握り返してついてきた。
夕焼け時、きらきら煌めく龍神湖に浮かぶ浮御堂は、柔らかな橙色の光に包まれていた。
「ここが今私の家になってるの」
姫白龍はしばし湖畔に立ち尽くして景色に見入った。時折水面上に現れる見たことのない生き物にも目を奪われ、辺境の山岳地帯にはない景観に魅了された様子だった。
降魔戦士の鋭く精悍な目が和らいでみえた時、肩を並べていた美紀は姫白龍が静香にも劣らぬ美形であることに気付いた。白く艶のある髪が夕焼けの光の中で神秘的に輝いている。精霊達が持ってきた龍柄の短い着物は忍び装束だったが、夕日を浴びて佇む姫白龍は、文字通りどこかのお姫様のように見えた。
姫白龍は浮御堂に入っても窓際から離れなかった。白い巨象や鯨が入れ代わり立ち代わり湖面に現れる不思議な光景に心を奪われていた。殺戮者の暗黒剣士と獰猛な白龍の性質を受け継いだ姫白龍が、なぜ美しいものや可愛いものに惹かれるのか––––––その心がどこからきたのかは謎だった。
美紀は後ろから姫白龍の髪に見惚れていた。白く美しい髪に触れてみたい衝動に駆られたが、遠慮して見詰めるだけにした。
姫白龍は視線を感じて美紀のほうに向き直った。
頭からつま先までしげしげと美紀を観察し、小首を傾げた。
この子大丈夫なのかな––––––
姫白龍は心配になった。美紀は降魔戦士の目にはいかにもひ弱そうに映った。姫白龍は美紀の手を握った時、その柔らかさにはっとした––––––剣を握る戦士の手ではなかった。
魔軍がすぐそこまで来ているのに、こんなのでどうするつもりなんだろう––––––
突然、姫白龍は美紀の肩をつかんで二の腕にかけてまさぐり、腰を両手でつかんで揺さぶった。そして改めて呆れた表情になった。
「あんたの体はまるで小鳥のように柔らかいじゃない」
姫白龍は生まれてこの方、鍛え抜かれた屈強の忍びの仲間とともに生きてきたので、美紀のような柔らかな体に触ったのは初めてだった。
その手練れの者達でさえ、焼魔には術も武器も通じず、いとも簡単に殺された。俊敏さを自負していた自分も魔族の速さに及ばず、泥鬼の捨て身の救援がなければ危うく命を落とすところだった。姫白龍には魔族相手の戦いに美紀が短時間でも生き延びられるとは思えなかった。
これじゃ魔族に瞬殺される。でもヤマの老女はこの子のことをヤマの後継者だと言っていた––––––
姫白龍はにわかには理解できなかった。
「私も触らせてもらっていい?」
美紀が目を輝かせて、姫白龍の目を覗き込んでいた。
姫白龍はうなずいた。
美紀の狙いは姫白龍とは違った。美紀は自分の指を姫白龍の白い髪に櫛のように通してその滑らかな感触を味わった。ついでに指先で細くて美しい鼻と形のいい顎にほんの少しだけ触れた。
なんて美しい子なんだろう。龍のお姫様に憧れる––––––
美紀は思わずうっとりしてまじまじと姫白龍を見詰めてしまった。姫白龍には静香と共通する美しさと強さが兼ね備わっていて、美紀を虜にする魅力があった。
美紀の視線に姫白龍はこそばゆいものを感じた。
「そんなところじゃわからないよ」
姫白龍は、見惚れている美紀の手首を握って、自分の硬い胸、腹部、臀部、太腿部を触らせた。引き締まった体はまるで大理石の彫刻のようだった。
「凄い!まるで石みたいに硬い」
美紀の心臓はどきどきしていた。
「あたしは忍びの修行をしたし、もともと龍族だから。正直言って、あんたの体じゃ鍛えてもこうはならない。あんたには魔族との戦闘なんて土台無理だよ」
「私もそう思う」
美紀は今まで誰にもそうはっきり言われたことがなかったが、姫白龍は正直で正しいと思った。
姫白龍は美紀を何とか守ってやりたい気持ちはあったが、魔族相手の戦いでは自分自身が生き延びることでさえ大変なことを知っていた。
「我の先兵が亜空間霊界まで連れてきたからには、あんたには何かあるはずなんだけどね」
「静香は私に剣をくれたし、青龍は守護龍をつけてくれた」
美紀は守護龍が宿っている手の甲を姫白龍に見せた。
「おっ、これは本物の龍じゃないか!」
美紀は姫白龍にも意外な武器を持っていた。姫白龍は自分以外の龍に出会ったのは初めてだった。
「やっぱり我の先兵と青龍がここまでしているんだから、あんたには何かがあるに違いない。あたしはヤマの老女からも、あんたのことは聞いていた」
「そのヤマの老女って誰?」
「死霊界の主だ。ヤマは死者を死霊界に蘇らせることができる」
「その人の狙いが何だか知らないけれど、私は死霊界なんかにかかわりたくない」
「ヤマの老女が目を付けているんだから、あんたには武芸は無理でも何か特別な力があるに違いない」
「私はいわゆる超能力者でテレキネシスとテレパシーは使える」
「ちょっとやって見せて欲しい。見てみないと、本当に魔族との戦闘に使い物になるかどうかわからない。その時になって後悔しても遅い」
美紀は姫白龍の言うことはもっともだと思った。美紀は魔族を見たことさえなかったので、いざという時何が起こるのか想像がつかなかった。
「じゃあ今練習中のテレキネシスの居合切りをやってみようかな」
「おもしろい」
「私は手ではできないんだけれど、テレキネシスなら剣を早く抜けるの。ちょっと下がっててね」
姫白龍は居合の間合いの外に出た。
美紀は左手で剣の鞘をつかんで構えた。
えいっ!
白刃が一瞬閃き、キンという音とともに鞘に戻った。テレキネシスで素早く抜刀してすぐさま鞘に納める瞬間居合切りだった。剣を抜く動作と鞘に収める動作の間に切れ目が無かった。
「へえーっ、これはたいしたもんだ。こんなに素早く剣が鞘に戻るのは初めて見たよ。普通抜刀した剣は一度止まるから」
姫白龍は素直に感心して拍手した。
「へへ、それほどでも」
美紀は褒められて少し得意になった。
しかし、姫白龍の話はそこからだった。
「でも実戦ではなかなかそううまくはいかない。焼魔は遠くから高熱放射で人でもなんでも燃やすことができる。しかも、動きが速い。念動力で戦うなら、よほど遠くから剣を飛ばして突くしかない。剣が燃え尽きずに焼魔に届けば殺せる。でも先に焼魔に高熱放射を撃たれればそれで終わりだ。一瞬で焼き殺される。
さもなければ池や湖に潜んでいて、念動力で焼魔を水中に引き込んで、水が煮えたぎらないうちに刺すかだ。でも実際には自分の息が続かないから難しい。
氷魔はもっと質が悪い。氷魔は斬っても刺しても死なない。触られると一瞬で氷結される。念動力で突き放すか、氷魔が入れないところに隠れるしかない––––––地中とか。氷魔を殺せるのは龍だけだから、龍が氷魔を殺すまでは逃げ回る一手だ。この場合も残念ながら居合切りは役に立たない」
姫白龍の話を聞いて美紀は慄然とした。誰も教えてくれなかった魔族との戦いの現実は、美紀が想像していたのとは全然違っていた。のんびり居合切りの稽古をやっている場合ではなかった。
美紀と同じ年頃に見えるのに、死線を越えてきた本物の降魔戦士の姫白龍の発想はまるで違っていた––––––敵の能力を知っていて、実戦を想定して如何に殺されずに殺すかを考えているのだ。
このままでは超能力を使う暇もなく殺されてしまう。姫白龍に会えてよかった––––––
美紀はつくづくそう思った。
「亜空間では念動力が使いやすくて自信を持ち始めていたんだけど、飛んでもない間違いだった。いったいどうすればいいのかしら」
「念動力は正しい使い方をすれば役に立つ。日頃から妖力を持った魔族と闘うことを想定した訓練をしておくことだ。テレパシーのほうはどういう風に使えるのかな」
「テレパシーは一応心理攻撃には使える。敵の心の中に入り込んで幻覚で恐怖感を与えて精神を破壊したり、錯覚を起こさせて同士討ちさせたりとか」
美紀は自信なさげに言ったが、今度は姫白龍のほうが驚いた。
「ほんとにそんな夢魔みたいなことができるの?」
「夢魔?」
「最も恐れられている上級の妖魔だ。幻覚で相手を殺す。もし夢魔と同じ能力を持つ者が味方にいれば大いに助かる。ちょっと心理攻撃をやってみせておくれよ」
姫白龍は興味津々だった。
「心理攻撃のためにはまず相手の意識に入り込む必要があるし、後味が悪いこともあるけど––––––」
「かまわないから、どうぞあたしにやってみてよ」
姫白龍は全然臆さなかった。
「じゃあ、あなたの心の中にあるものを使って幻覚を見せてみるから驚かないでね」
姫白龍はうなずいて美紀の目を見詰めた。
美紀の目に赤い光が灯った。
赤い光が渦巻いて姫白龍は美紀の目の中に吸い込まれるように感じた。
突如、美紀の姿が消えて、目の前に巨大な白龍が出現した。見るからに強大で押し潰されそうな威圧感があった。頭部に角が何本もある白龍は、鋭い牙が並んだ口を開き、咆哮とともに致命的な白光を姫白龍に浴びせた。
姫白龍は思わず目を閉じて身をすくめた。自分の体が光子の剣で貫かれ、微粒子になって飛び散ったのを感じた。
一瞬の出来事だったが、姫白龍には現実と見分けがつかなかった。
「もう終わったから目を開けて」
美紀の声がして目を開くと、龍は消えていて何もなかったかのように美紀が立っていた。まだ耳に白龍の獰猛な咆哮が響いているような気がした。
「今見たものはあたしの心の中にあったものなの?」
姫白龍は初めて自分の本当の姿を見て、自分で自分に驚いた。
「そうよ。あなたは本当に龍なのね!」
美紀は美紀で姫白龍の正体を見て驚いていた。
「私は自分が龍だとは思っていたけれど、実感がなかった––––––今までは」
「龍の心の中に初めて入ってびっくりした。白龍の力は凄いわね」
美紀は、姫白龍が持っているものをありのままに幻覚に投影しただけだったが、白龍の破壊力を体感した。
「幻覚の強度を上げるとより現実に近づいて、肉体は死ななくても精神を破壊することができるの」
「これは間違いなく魔族に対しても強力な武器になる」
姫白龍はショックから立ち直って本題に戻った。
「幻覚攻撃が飛び交う実戦になると、混乱の中で何が実体で何が幻覚か見分けられなくなる。幻覚の敵や脅威の中に本物の敵や脅威が混じっていて、多くは幻覚だとわかっていてもどれも無視できなくなる。相手の妖術に早く気付いて妖術者を始末しないと、戦いは圧倒的に不利になる」
「そうなんだ。心理攻撃も現実の攻撃と組み合わせるともっと効果があるのね!」
美紀は姫白龍の実戦的な見識に目を開かれた。
私はまだ戦いのイロハもわかっていなかった。超能力があっても実戦経験がないと何の役にも立たないんだ––––––
「どうもありがとう。私はまだ知らないことばかりなの」
美紀はその夜、姫白龍から多くのことを学んだ。
魔族のこと、降魔軍のこと、ヤマ族と須弥族の確執こと、泥鬼と捷鬼党忍軍のこと等々、ズクから聞きかじっていた部分も少しはあったが、ほとんどが初めて聞く話だった。特に、姫白龍と捷鬼党の忍者が焼魔の船団に忍び込んで毒を盛った話と、そのあとの焼魔との苛烈な戦いの話は聞いていて手に汗を握った。
美紀は、姫白龍が静香と同時にこの世界に生まれてきたことと、魔族の抹殺が姫白龍の生まれついての使命であることについても聞いた。
美紀は白い髪の姫白龍を美しいと思ったし、正直で率直な性格が可愛いと思った。美紀はずっと静香に憧れてきたが、我の先兵である静香と比べると、姫白龍はもっと身近に感じられた。そして何より姫白龍が本当の龍の娘であることに魅せられた。
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