2 マイナミ(舞波)
それは初めは夜空の星のさざめきかと思われた。
しかし、亜空間暗黒界に星はない。その撒き散らした砂金の如き煌めきは、他の時空から呼び寄せられ、漂い流れてこの世界に到達したものだった。
空中に静止した霊山龍神宮は、失われた種族の再来のために、時空に飛散していた我の微粒子に再凝縮を促している最中だった。微粒子の一つ一つに命が宿っている。一粒たりとも残さずに凝集させないと完全な我の復元はできない。ほんの僅かな異物が混入しても変異が生じる。再凝縮は繊細極まりない操作を要求されるプロセスだった。
微かな星の煌めきは次第に力を増し、天の川のような縞をいくつも形成した。縞状の光は濃度が高まるにつれて紫がかったアメジストの色味を帯び、オーロラのように暗黒界の夜空を彩った。
たなびく光の帯の中で、微細な粒子が互いに結び付き、無数の結晶に成長した。
結晶は十分な質量を持ったものから、雪のようにふわふわと舞い降り始めた。
降下した結晶の粒は決して地面に落ちることはなく、紫色の小さな灯をともした蛍の群れのように、方向性なく入り乱れて飛び交った。
しばらく飛び回るうちに、蛍の群れは密度を増して溶け合い、紫色の濃密な雲になった。
紫雲はまたそれ自体が生命体のように、しばし形状を探って蠢いていたが、やがてコアを形成してその周囲に凝縮し始めた。いったん始まると凝縮は急速に進み、雲は晴れ上がるように消えていった。
紫雲が消え去ったあとに、一人の少女の姿が現れた。
少女の体は無数のアメジスト色の結晶でできていて、ほのかな蛍光を発していた。形の良い頭部には髪がなく、均整がとれた流麗な姿態を持ち、全身が宝石でつくられたアートの人形のようだった。
少女の出現と同時に、周辺に様々な結晶の生成が走り、空間全体の景観が一変した。紫水晶、紅水晶、黄水晶、緑水晶、青水晶が世界を美しく彩り、光沢のある金属系の結晶が金色や銀色の耀きを添えた––––––少女の物質生成能力が、空間の環境を一瞬のうちにつくり変えた。
環境形成が終わると、どこからともなくこぶし大の太さの長い鉄の棒が現れた。粗野で剛直な赤褐色の物体は、少女がつくり出したものではなく、この空間に存在すること自体違和感があった。
それはずっしりとした重みがあるはずなのに軽々と宙に浮いていて、円錐形に尖った先端部を少女のほうに向けて浮遊してきた。鉄の棒自体には生命も動力もないので、何者かが念動力で動かしているに違いなかった。
少女はその物体が何なのかわからなかったが、ゆっくりとした動きだったので、自分に危害を及ぼすものではなさそうだと思った。しかし、少女の判断は間違っていた––––––重い金属の棒材は、使い様によっては致命的な武器になり得る。
鉄棒の先端が少女の身の丈ほどの距離まで近づいた時、それは動きを止めて急に先端を支点にして勢いよく旋回し、少女の結晶体の体を横薙ぎに打ち砕いた。
少女の胴体と両腕が、音を立てて無数の水晶の欠片になって飛び散った。
何者の何故の仕業か、生まれてきたばかりの華奢な体は、無残に破壊されたガラス人形のように、上体と下半身に分断されて宙を漂った。
少女は驚いた表情になったが、叫び声は上げなかった。
粉砕された体は修復不可能に見えた。しかし、少女は落ち着いていて、驚きの表情はすぐにもとの穏やかな表情に戻った。
少女の眼がきらきらとした光を放った。
飛散して漂っていた結晶の破片は、少女の意志の力で吸い寄せられるように元の配置に戻ってきた。粉々に砕かれた胴体と両腕が形を取り戻し始めた。
胴体部分が成型されると、それを介して再び上体と下半身がつながった。千切れていた両腕が上体に接続して、分断されていた体が一体化した。残された腹部や両腕の欠損箇所に最後の部品がぴったりと組み込まれ、全身に紫色の光のサージが走った。光が消えた時、少女の体は何事もなかったかのように完全に復元していた。
それを見た野蛮な破壊者が姿を現した––––––少女の背丈の二倍以上もある大きな石仏の頭部が少女の目の前に浮かんだ。
少女はたった今自分を破壊した巨大な相手を、静かな眼差しで見上げた。
「見事だ」
破壊者は深く艶のある男の声で満足げに言った。それとともに、まだ宙に浮いていた鉄の棒が消えてなくなった。相手は少女同様物質を自在に操る能力を持っていた。少女は凝縮の過程で、既にその実体を持たない精神だけの存在を察知しており、巨大な岩石の頭部は映像の投影に過ぎないことを知っていた。
「あなたが造物師ですね。またの名をカクリミ」
「いかにも」
「私はマイナミ。過去にはカゲリビという名がありましたが、むしろ暗黒剣士と呼ばれていました」
「そうか。やはり暗黒剣士の記憶が残っているのか––––––」
造物師は、マイナミがかつての暗黒剣士の微粒子を変換して生み出されたので、ある程度記憶が残ることは避けられないと思っていた。
「どの程度自分の過去を覚えている?」
「暗黒剣士は敵の殺戮のために生きていました。殺戮への執念はまるで阿修羅のようでした」
「細かい事実の記憶はあるか?例えば我の先兵シズカミと戦ったことは覚えているか?」
「いいえ。具体的なことは何も。私が思い出せるのは、かつて私は暗黒剣士として存在し、殺戮を目的としていたことくらいのものです」
「暗黒剣士が持っていた殺戮の衝動を少しでも感じるか?」
「破壊的性質は私ではなくて、私と同時に生まれたもう一人のほうに備わったと思います––––––多分、あなたがそうされたのでは」
マイナミは造物師の目を見た。
「滅相もないことだ」
造物師は強く否定した。
造物師は予期していなかったもう一人の娘が辺境地域に誕生したことについては当惑していた。再凝縮の過程に大きな手違いはなかったはずなので、何者か第三者の介入としか思えなかった。
しかもあろうことか、肝心の我の先兵は亜空間霊界ではなく、人族の実空間に出現していた。異常を感知した霊山龍神宮は、既に実空間に再来した先兵、御子神静香のもとへ急行していた。
造物師は、再凝縮のプロセスをそこまででいったん中断して、我のキリタテとイヤシビの再生を見合わせた。予期せざる異常が立て続けに起こったので、二人の再凝縮にも影響が及ぶことを恐れたのだ。
「暗黒剣士の破壊の因子を抑制し、創造の因子に置き換えることが私の狙いだった。然るに、またしても破壊を旨とする者が生まれてきてしまったのは不本意極まりない。年甲斐もなく私の制御が不十分だったといわざるを得ない」
造物師の口調には自嘲的なニュアンスが込められていた。
「造物師は何でも思い通りにできるものだと思っていました」
「もしそうなら苦労はしない」
「私も不完全な生まれ方をしたのでしょうか?」
「何事にも完璧はないが、想定された能力は十分に備わっている」
造物師はマイナミに対して慎重に言葉を選んだ。予期せざるもう一人の娘の出現でマイナミも影響を受けていたが、必要以上に不安に陥れないように気を配った。
「それでは私には暗黒剣士の記憶がなく、殺戮の衝動がなくても、かまわないのですね」
「もちろんなくていいのだ。私はお前が暗黒剣士の再来にならないように手を尽くしたのだから」
マイナミはそれを聞いて少し安心した。
「私の前身の暗黒剣士がほぼ完全に消去されているせいか、私は今の自分のことがほとんど何もわかりません––––––名前以外は。自分が何のために生まれてきたのか、自分が何をしたいのかさえも」
マイナミに記憶がないのはむしろ歓迎すべきことだった。しかし、造物師はマイナミが白紙の状態であることを今一度自分に言い聞かせた。自分には自明のことがマイナミにはそうではなく、教えていかねばならないことがたくさんあるのだ。
「お前には物質を生成したり変成させたりする能力が備わっている。破壊ではなく創造のための力だ。しかも、お前の体の大部分は結晶オロスという希少な時空安定化物質でできている。お前の存在自体がこの亜空間の安定化のためにとても大切なのだ」
造物師はマイナミが創造と安定の女神であることから教えた。
「でもいったい何のためにその創造の力を使ったらよいのでしょう。結晶オロスで体ができていれば、ただ存在しているだけで亜空間の安定のために役立っているのでしょうか?」
マイナミは小首を傾げた。自分の存在意義がはっきりしないのでまだ不安そうだった。
「それはやがてわかる時がくる。まずは実際に何かつくってみて自分の能力を確かめてみるがいい」
そう言われたマイナミは、少し考えてから自分の体の結晶のブロックを組み替えて変形し始めた。マイナミの体は細かい結晶質でできていて、結晶の組み立てを変えるとともに、結晶の大きさを大粒にしたり、逆にナノレベルに極小化したりして、自在に変形することができる。
マイナミは何度か試行錯誤を繰り返し、一つの姿に落ち着いた。それは編み笠をかぶり長剣を帯びた暗黒剣士の姿だった。
「マイナミ、悪い冗談だ」
それを見た造物師は、やや憤然として吐き捨てるように言った。
悪意のない作例を頭ごなしに拒絶されたマイナミは、うなだれて元の自分の姿に戻った。
「何かつくろうと思っても、私の中には今お見せしたようなイメージしか浮かんでこないのです」
「二度と暗黒剣士の姿を真似してはならん。わかったな」
「はい」
マイナミは脳裏に浮かんできたイメージが暗黒剣士のものであることさえ知らなかった。造物師はやや一方的だったが、マイナミは素直にうなずいた。
「お前は自分自身を自由自在に変形することができるが、外部にものを造り出すこともできる。例えば––––––」
造物師は暗い空に、象や鯨や翼竜の三次元映像を浮かび上がらせた。三次元映像はマイナミに全体像を理解させるために様々な軸で回転した。
「わかるか?」
それを見てマイナミは表情を輝かせた。
「はい。やってみます」
マイナミは造物師が投影した映像を観察しながら、オーケストラの指揮者のように両手を動かした。
透明な結晶質でみるみるうちに象が形成され、長い鼻を振りながらゆっくりと地面を歩いた。きらきら光るガラス細工のような象は歩きながら羽をはやし、胴体が細くなって翼竜に変形して空中に舞い上がった。翼竜は上空を何度か旋回したあと、翼を失い、今度は鯨に変身した。鯨は空中を泳ぐようにして地面まで降りてくると、再び象の姿に戻った。
「上出来だ、マイナミ。これほどの造物力の持ち主は、亜空間広しといえども他にはいないだろう」
造物師は、まだ粗削りながらマイナミの造物力が自分自身にも劣らぬことをつぶさに見てとった––––––自らの努力の成果を垣間見たのだ。
「もっと他にも色々つくってみたいです」
褒められたマイナミは少し元気になった。
「何でも思いつくものをつくればいい」
「私は何かを見てつくることはできても、自分で思いつくことはできそうにありません。思いつくにも、私の中はまるっきり空っぽなのです」
マイナミは申し訳なさそうに目を伏せた。
造物師はマイナミが本来の能力を発揮するには、知識的にあまりにも無垢な状態であることに気がついた。創造にも事前の知識が必要なのだ。
これはじっくり時間を掛けて教えてやらないと、宝の持ち腐れになってしまうな––––––
創造の対象になる無数のものを、その外形だけではなく中味まで理解させるには、相当な手間暇が掛かりそうだった。
しかし、造物師はかえってそれを喜ばしく思った。造物師にしてみれば、マイナミは愛すべき自分の娘に他ならなかった––––––造物師はマイナミを生み出すために、自分の妖気の一部を切り裂いて、再凝縮のプロセスに注入したのだ。太古から生き長らえている亜空間の古き者達の一人の造物師にとっても、マイナミは娘といえる初めての存在だった。
造物師はマイナミの教育に優先的に時間を割こうと思った。辺境地域に生まれた破壊に根差したもう一人の娘は無論のこと、実空間に出現した我の先兵御子神静香のことでさえ、マイナミほどには気に掛けていなかった。
マイナミは造物師にとって、全亜空間の中で最も大切なものだったのだ。
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