5 古き者達
暗黒界から長駆して辺境地域に帰ってきた姫白龍は、疲労困憊して意識が朦朧としていた。
泥鬼は、馬から降りて倒れ込んできた姫白龍が深傷を負っているのを見て、急いで手当てをした。
姫白龍の肩は着込んでいた鎖帷子ごと切り裂かれていた。名手が斬ったと見えて傷口は綺麗だったが、深く斬られたので龍の生命力がなければ生き延びることは難しかったと思われた。
泥鬼が傷を縫っているうちに、痛みで姫白龍は意識がはっきりした。
「誰にやられた?」
「天帝釈の隠し空間に忍び込んで、四天王の一人に斬られた。近衛軍もいる」
「まだ天帝釈は生きていたのか!」
「閉鎖空間の中に隠れ住んでいた。彼のキリタテとイヤシビに場所を教えられた」
「彼に出会ったのか!」
「降魔軍の夜叉族の将軍、毘羯羅大将に場所を聞いた。不可思議な青白く光る力場に覆われていて、魔族の拠点かと思ったが、実は彼の隠れ家だった」
「降魔軍がまだ生き残っていたのか!」
姫白龍の報告はいちいち泥鬼を驚嘆させた。
「夜叉軍の将は毘羯羅を除いては全て魔将軍に討たれた。魔将軍は瞬間的に現れて将を殺す。速過ぎてあとを追うことも難しい。阿修羅軍につては夜叉軍も長年見ていない。その行方は毘羯羅も探しているが未だに不明だ」
泥鬼は龍の娘が一度にやってのけたことに大いに感心した。いずれも大きな謎だった天帝釈と彼と降魔軍の情報をたった一人で集めて持ち帰ったのだ。どんな優れた忍びでも、これほどのことができる者が他にいようとは思えなかった。
相当命知らずな危ない橋を渡ったに違いなかったし、その証拠に危うく命を落としかねない深傷を負って、それでも生き伸びて帰還したのだ。
泥鬼はあまり言葉には出さなかったが、腹の中で姫白龍を賞賛せずにはいられなかった。
これほどの働きをしていて何一つ褒賞もないのだから不憫な奴だ––––––
泥鬼は姫白龍が何のために生まれてきた娘なのか、もう一度不思議に思わざるを得なかった。
「あたしは天帝釈のすぐそばまで忍び寄った。手を伸ばせば短剣で刺すことができた。でも龍の力がないと短剣では殺せないと思った」
姫白龍は天帝釈を刺す機会を断念せざるを得なかったことを悔しがった。
「忍びは敵を刺してもそこで殺されては仕事をしたことにならん。生きて情報を持ち帰ってこそ忍びだ。四天王の包囲を突破して、生きて帰ったことは並の忍びにはできぬことだ」
泥鬼は姫白龍が大きな仕事を成し遂げたことを喜んだが、それ以上に生きて帰ってきたことが嬉しかった。
泥鬼から姫白龍の話を聞いたヤマの老女は、改めて姫白龍の大胆さに驚いた。
「流石に白龍の娘はやることが違うのう。何にもまして、キリタテとイヤシビが再生して、姫白龍を助けてくれたのは本当に心強いことじゃ!」
ヤマの老女は天帝釈についてはさほど驚いた様子はなかった––––––もともと天帝釈が世を去ったという話しを本気で信じていなかったと見えた。むしろ、キリタテとイヤシビがヤマの側にいることがヤマの老女を喜ばせた––––––キリタテとイヤシビは古い時代はヤマと親しかったが、最近は疎遠になっていたのだ。
「須弥族の古狸が舞い戻って役者が揃ったところで世の中がどう動くかのう」
「どうせ婆やは天帝釈を生かしておく気はないのだろう」
「姫白龍が天帝釈を刺そうとして思い止まったのはよかった。彼奴はそう簡単に倒せる手合いではない。必ず打ち果たせる機会を選ばねばならん。銀の矢を射るべき最適な時を待つのじゃ」
泥鬼もヤマの老女の言う通りだと思った。
天帝釈は並大抵のことでは殺せない。一太刀浴びせるだけでは意味がない。しかも、恐るべき手練の四天王がついている––––––
大胆不敵な泥鬼も、天帝釈と四天王をどうやって仕留めればいいのか、にわかには打つ手が浮かばなかった。
それこそ龍の力でも使わなければ––––––
泥鬼が帰ってからヤマの老女は長い間忘れていた一種独特な妖気に感づいた。
妖気を見ることのできるヤマの目に、造物師の姿が映った。造物師は立っていると大き過ぎてヤマの老女は仰ぎ見なければならなかった。
造物師は腰を降ろして結跏趺坐したが、それでも造物師の前ではヤマの老女はまるで小人のように見えた。
ヤマの老女の目に映った造物師は、四面の顔を持ち、そのうち二面は左右を向き、もう一面は頭の上にあった––––––妖気にこそ造物師の真の姿が現れていた。
造物師とヤマの老女はともに亜空間でも最も長く生きている者達だった。当然お互いを知っていて、関係は中立的だった。ヤマの老女は造物師が天帝釈のために金剛杵をつくったことを知っていたが、造物師が天帝釈からは完全に独立した存在であることもわかっていた。
「龍玉の年に白龍の娘が現れ、天帝釈の隠れ家を見つけ出した。天帝釈は魔軍との戦いに参戦するだろう」
造物師は挨拶もなしに切り出した。
「ヤマにとって天帝釈は魔族よりも先に滅ぼさねばならぬ相手じゃ」
ヤマの老女は、何の隠し立てもしなかった。
「天帝釈はそう簡単に滅ぼせる者ではない。ヤマの力では難しいだろう」
造物師も思っていることをそのままに言った。
「暗黒剣士は再来したのか?あの殺人鬼ならば天帝釈を仕留められるじゃろう」
ヤマの老女は冗談半分で言った。
「暗黒剣士の再来は止めた。その代わり予期せざる白龍の娘が現れた」
「なるほど、それは耳寄りなことをきいた。言ってみれば龍の娘は暗黒剣士の生まれ変わりなのじゃな」
「私が意図したところではない」
「龍の力が備われば、龍の娘は我の先兵並みの破壊力を持つじゃろう。白龍の力と銀の矢があれば天帝釈を仕留められる」
ヤマの老女には天帝釈との戦いに勝算があった。
ヤマの老女の思惑を造物師は否定しなかった。
「それはそうと新しい先兵はどちらにつきそうじゃ?シズカミならいざ知らず、今の先兵の刃がどちらに向くか知っておきたい」
––––––ヤマの老女の懸念は、御子神静香が天帝釈と結びつくことだった。
「私にも先兵がどうなっているのかわからないのだ。記憶が正常に継承されなかったので、過去の経緯にかかわらず動くだろう」
「情けないことを言うじゃないか。あんたならもう少し先兵をしっかり握っていると思ったのに––––––」
「この世界の事象はすべからく、私の力の及ばないところで動いている」
ヤマの老女は造物師の力量に一目置いていたが、造物師はより大きな事象に視点があるので謙虚な物言いになる。
「さすればやはり先兵がどちらを向いて何をしでかすか気にしておかねばならんのう。私は先兵は時間とともに覚醒して記憶が戻るような気がしておるが––––––」
造物師はヤマの老女の言葉に対して黙していた。先兵が天帝釈と組むかも知れないことは口に出さなかった。
「それで、今日はなぜわざわざ出向いてきたのじゃ?」
ヤマの老女は造物師の本題は他にあると思った。
「時空の歪みが蓄積したせいで、亜空間の泡状化が進んでいる。泡が弾けて全てが吹き飛ぶ可能性がある。つまり亜空間全体が消滅するかも知れない。打てる手は打っているが、私の力では止められない。ヤマに亜空間の崩壊を防ぐ手立てがあるだろうか?」
造物師は虚心坦懐にきいた。
「その話は千五百年前にシズカミから聞いた。やっぱり先兵の予知は正しかったのじゃな。でもヤマに時空の歪みを正す力があるわけないじゃないか」
ヤマの老女は笑った。
「亜空間がもし消滅した場合、死霊界はどうなるのだろうか?」
「もし死霊界だけ残っても、もう何も生まれず、誰も死にもしないなら、存続の意味はないじゃろう」
「亜空間の消滅を回避すべく、できる限りのことはするつもりだ。それでも消滅が避けられない場合、死霊界を退避場所として使えるだろうか?」
「死霊界に生きた者を移すというのか?」
「一時的にでも退避できれば、亜空間が消滅後再生した時に、もとに戻せるのではないか」
「亜空間は消滅後再生するのか?」
「多分そうだ。ただ消滅時にそこにいる者は全て消去されて戻らないだろう。たとえ戻ったとしても全く違ったものに変化してしまう可能性が高い。知的な生命が残らない可能性もある」
造物師の話に、ヤマの老女は死霊界に通じている両界鏡を見詰めて少し考えた。
「やはり、私の勘では死霊界も消えるような気がする。死霊界と亜空間とは裏腹の関係にあるが、多分根は一つなのではないかのう」
ヤマの老女の結論は否定的だった。
「だとすれば成す術はない」
「そう簡単にあきらめるんじゃないよ。亜空間が消える前に、実空間の人間界に逃れる手はあるんじゃから」
ヤマの老女は辺境種族のユカ族が人間界に移住した時から、人間界とつながっていた。実は造物師も人間界とは秘かにかかわりを持っていた。
「実空間では生きていけない者も多いだろう。鬼族などのように。龍もどうだろうか––––––」
「全部が全部駄目というわけじゃないさ。ヤマの戻りは、亜空間から人間界に移り住んだユカ族からきておるんじゃから」
造物師は、亜空間霊界の種族の人間界への移住は考えても見なかった。ヤマの老女が自分にはない発想を持っていたので、会いに来てよかったと思った。
ヤマの老女のほうは、そう言ってはみたものの、死霊界無しでヤマがただ存在することに意味があるとは思えなかった。
古き者達は話し合ったが、亜空間の消滅に対処する妙案がないことを確認し合っただけだった。
「ヤマの老女、久々に話ができてよかった。亜空間が生き延びんことを」
そう言い残して造物師の姿は揺らめき、希薄になって消えていった。
ヤマの老女は造物師が消えたあとも、しばらくその空間を見詰めていた。
まあ古き者のよしみで、亜空間の消滅を予め知らせに来たということなのじゃろうな––––––
ヤマの老女は造物師の突然の来訪をそう解釈した。
全てが消え去るなら世話がない。だからと言って何千年もの怨みを忘れるわけにはいかない。こだわっても仕方がないと言えばそれまでじゃが、亜空間が存在し、ヤマが在るうちは、復讐こそが生き残った者の務め。この時空が消える前に、ヤマは何としても天帝釈を滅ぼさねばならん––––––
ヤマの老女は、永年の怨みさえも消えてなくなる時がくるかも知れないことを承知しつつも、今までにも増して天帝釈殺害の決意を固くした。
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