4 造物師
永き時の経過の果てに、造物師は自分が体を持っていた頃のことを忘れかけていた。造物師は我の者達からはカクリミと呼ばれていた。それは造物師が妖気に化したあと姿無き者という意味で我の者達がつけた呼称であり、正しくは婆羅賀磨というのが造物師の名だった。しかし、婆羅賀磨という名はとうの昔に忘れ去られていて、もう誰一人として使う者はいなかった。
造物師自身自分が婆羅賀磨であろうがカクリミであろうが関心がなかった。自分の体でさえ捨て去った造物師は、自分の名前にはもっとこだわりがなかった。
古代には、造物師といえばすぐに金剛杵と結びつくほど、須弥族の前皇帝、天帝釈の武器の製作者として有名だった。しかし、造物師の仕事は基本秘密裏に行われたので、他の仕事はほとんど世の中に知られていない。
我の者達は霊山龍神宮をつくったのがカクリミであることを知っていたが、亜空間霊界では霊山龍神宮はただ太古から存在していたものと認識されていた。ましてやズク族から派生したカルラ族の誕生に、造物師が密かに関わっていたなどということは、もはや誰の記憶にもなかった。
かつて造物師は岩石質の巨大な体を持っていた。それが長い年月の経過とともに、いつしか大きくて重い体を捨てて身軽になることを覚えた。最初のうちは精神は体から抜け出ても、また住まいのように体に戻ってきていたが、やがてその必要さえ感じなくなった。
物質は朽ちやすい。たとえ強固な巌でさえ永劫の時の流れには抗し得ない。その中に囚われた精神も体とともに滅びる運命にある。然るに体の縛りから切り離されることに成功した精神は、朽ちるまでに遥かに長い時間存在できる。それが結果的に造物師をして途方もなく遥かな年月を長らえさせた。
しかし、亜空間で最も長命と思われる造物師も、永劫の時の流れの中では不死の存在ではない。造物師は最近では自分の老いを感じていた。物を創ることへの興味が失せ、残された寿命がそう長くはないと感じていた。ただ造物師の場合長くないという時間が、何千年なのか、何万年なのか、はたまたもっと桁違いの単位なのかはわからなかった。
我が魔族を時空に消散させ、自らも消え去って以来、この千五百年間の造物師の仕事は、次なる魔族との戦いに備えた神兵の軍団の創出と、時空の歪みの蓄積によって不安定化した亜空間の均衡の回復だった。
造物師は魔族に対抗するために、龍神宮に保存されていた神将、神兵の記録から新たな軍団をつくり出した。軍団の生成には時間を要したが、千五百年の間に魔軍に対抗しうる規模になり、大部隊は龍神宮がつくり出す閉鎖空間に隠されていた。
造物師は千五百年前の失敗の教訓に基づいて、どうしても軍団が必要と考えた––––––我のシズカミ、キリタテ、イヤシビの三人が、魔族を大量に時空転輪力で消散させたことが原因で、亜空間全体の不安定化を大幅に加速させてしまったからだ。新たな龍玉の年に魔族が攻め寄せてきても、もう同じ手を繰り返して使うことはできなかった。
魔族の襲来にも増して造物師が怖れていたのは時空の歪みだった。遠い過去の時代から始まっていた時空の歪みが蓄積し、亜空間全体の崩壊の危機が迫っていた。
内破的時空崩壊の兆候は暗黒界の泡状化になって現れていた––––––亜空間の全面的崩壊を回避するために、亜空間が泡のように分裂しつつあるのだ。
泡状化は、空間を細分化して細切れのセルをつくり、一時的にその空間を支えることによって壊滅的な全面崩壊を回避する自衛的現象と思われた。しかし、何かが引き金になり泡状空間が連鎖崩壊を起こすと、結局亜空間全体の消滅につながるのだ。
造物師はこの現象の原因が亜空間と結晶オロスという物質の不均衡にあることを突き止めた。我が時空を操作するたびに、時空安定化物質である結晶オロスの不足が拡大し、手当されることがなかったので、歪みが蓄積する一方になったのだ。
時空の歪みは亜空間の存在を不安定にするだけでなく、その中に存在するものをも歪ませている––––––我自身が過去の記憶を失くしたり、本来保有する能力を失ったりしていることがその現れだった。
魔族を退散させるべき我が歪んでしまっており、たとえ我が魔族を撃退できたとしても、亜空間全体が消滅してしまえば元も子もない。なんとか我に魔族を処理させつつ、亜空間の安定化を図ることが、造物師の喫緊の課題となった。
造物師は、時空に飛散していた我の再凝縮のプロセスと併行して、広範な時空に薄く存在している結晶オロスを凝縮させて亜空間に持ち込もうと考えた。
魔族の攻撃に備えて、龍玉の年の我の再来は不可欠であり、また結晶オロスを他の時空から取り込む機会もその時しかなかった。
造物師は前回の再凝縮で我とともに危険な彼が生まれてしまったため、今回は間違いを繰り返さぬよう手を打った。造物師自身の創造者の因子を注入して暗黒剣士の破壊者の因子を抑え込み、全く別人のマイナミをつくり出した。
マイナミを形作る微粒子は幅広い時空から結晶オロスを薄く広く吸着して凝集した。時空流動体が結晶オロスに置換されたため、マイナミは我の時空を操る能力「時空転輪力」を持たなかったが、造物師の期待通り結晶オロスでできた体を持ち、造物師同様、物質を生成・変換できる能力を持って生まれてきた。
造物師の手腕で彼の発生は回避され、亜空間安定化の切り札となるマイナミがつくり出された。マイナミを生み出すために自分自身の創造因子を注入したことにより、造物師は残り少なくなっている自分の命を縮めた。造物師は亜空間を守るためにはそれさえも厭わなかった。
しかし、造物師が全く予想していなかったのは、もう一人の娘、姫白龍が辺境地域に生まれ出たことだった。
姫白龍は何者かが再凝縮の過程に介入し、龍の因子を挿入したことで想定外に生まれてきた。造物師は姫白龍を生み出した者が誰かを突き止めようとしたが、巧妙な介入で手掛かりを見つけられなかった。
造物師は予想外の姫白龍の出現に驚き、再凝縮過程を一旦停止して、イヤシビとキリタテの再凝縮を止めた。間違っても二人が彼として再生することがないよう検証に時間をかけたので、イヤシビとキリタテの再生はかなりあとになった。
姫白龍の誕生によりマイナミの組成も影響を受けた。マイナミに凝集すべき時空流動体と結晶オロスの一部が姫白龍に奪われて、互いの存在に依存し合う関係になった。マイナミと姫白龍の二人は同じ時空に存在することでバランスしており、どちらかが失われると、もう一人の存在も不安定になる––––––言い換えれば二人で一つの命を共有していた。
造物師は、姫白龍が想定外に出現し、マイナミの存在まで不安定にしたことを苦々しく思っていた。その気持ちとは裏腹に、マイナミと命を共有しているからには、姫白龍をも守る必要があった。幸い姫白龍はヤマの老女と泥鬼の下にあったので、造物師は自分は遠くから見守ることにした。
我の先兵御子神静香については、造物師は正常には再生しないことを予め予期していた––––––千五百年前にシズカミに起こったことを知っていたからだ。造物師は先兵は霊山龍神宮に任せて、自分はマイナミに時間を使うことにした。御子神静香の問題はシズカミが解決してくれるはずだった。
しかし、シズカミと御子神静香の対決は予想外の結果になった。異常な御子神静香のほうが残ってしまったのだ。我の敵を倒すのが先兵の使命なのだが、記憶のない先兵御子神静香は誰を敵と見做すか知れず、シズカミと親しかった者達にとっても危険な存在になった。
既に魔族との戦いが始まり、対魔族では御子神静香は先兵として機能していたが、造物師は気を許さずに監視していた。
造物師の岩石の体は既に死んで動かない––––––造物師が体を必要としなくなってから既に永劫の時が流れていた。
遠く過ぎ去った過去を振り返る気持ちが生じた時、造物師は久し振りに昔の自分の体を訪れた。
精神を動かない岩の体に滑り込ませると、あたかも古い友達に出会ったような感覚を覚える。忘れていた記憶層がふと夢に現れるように、古の記憶が鮮やかな現実味を帯びて蘇り、決して戻ることのない悠久の時の流れが、一瞬遡ったような錯覚にとらわれる。そして自分の名が婆羅賀磨だったことを思い出す。
造物師は決して復古趣味ではなかった。古い時代に回帰したいと思ったことは一度もなく、未来を見据えてものづくりを行ってきた。過去の記憶や自分の歴史を大切にする性分でもなかった。
造物師は新しいものをつくり出し、それによって未来を変えようとしてきた。しかし、時空の歪みの問題に直面すると、どうしてもそれがどのようにして始まったのか、時間軸を遡って、原因となった事象を一つ一つ辿らなければならなかった。
造物師は自分自身が深くかかわってきたことが、時空の歪みを拡大し、亜空間の寿命を縮めたことを既に悟っていた。そして、それをどうやって正していいのかわからずに悩んでいた。
我の前身の弥の時代に既に問題は始まっていた。太古の時代に弥は時空転輪力を頻繁に使って泡状化現象を引き起こした。その反動で我の時代には、むしろ時空転輪力の使用は抑えられた。それが千五百年前の魔族との戦いで大規模に時空転輪力を使わざるを得なくなり、それによって時空の歪みが大幅に拡大して危機的状況に至ったのだ。時空転輪力で魔族を消散させたことは、我だけでなく造物師自身の責任でもあった。
時空の歪みを解消する追加的な手立てがないと、マイナミの空間安定化力だけでは亜空間の消滅を止められないのではないか––––––
深く考えれば考えるほど、造物師は悲観的になっていった。
造物師は他の者から頼られることはあっても、自分が誰かに頼ったことはなかった。しかし、今は亜空間を救うために頼れる者がいるなら、誰であれ頼りたいと思っていた。
天帝釈は造物師がどこにも見当たらない時は、その場所に帰っていることを知っていた––––––天帝釈は造物師の体と精神が一体であった頃を知っている数少ない者の一人だった。
敵の多い天帝釈にとって、かつて造物師は唯一の盟友だった。
古代、怪物的な魔族に悩まされていた天帝釈のために、造物師は降魔兵器金剛杵を製作した。金剛杵の威力のお陰で、天帝釈は蛇神族を打ち破ることができて名声を博した。金剛杵はその後、須弥族や夜叉族の必須の武器として広まった。
しかし、魔族が高速化したため、大きくて動きが遅い敵には効果があった金剛杵も、今では旧式な武器となっていた。天帝釈は、魔族との戦に新しい武器が必要だと考えた。
太古の記憶に浸っていた造物師は、天帝釈の極めて稀な来訪のせいで、現世に引き戻された。
「私のところにわざわざ出向いてくるからには、何か良からぬことが起こったようだな」
造物師は世を去ったとされていた天帝釈に驚いた様子もなく、突然の訪問の意図を素早く見抜いた。
「白龍の娘が現れて閉鎖空間が破られた。いやがおうにもまた戦乱の世に引き戻される時が来た」
姫白龍については、誰よりも造物師自身が気になっていたが、これほど早く世の中に影響を与えるとは思わなかった。しかも、相手は極めつけの大物だった。
「龍の娘は図らずも我の先兵とともに現れた。それが吉か凶か、私にもわからない」
造物師は、龍の娘について第三者的な物言いをした。
「龍玉の年に白龍の血族が現れたのはさもありなん。何千年もの間、行方が知れなかった白龍の娘が、同じく何千年も隠棲していたこの私を俗世に引き戻したのも何かの因縁だろう」
天帝釈は、白龍の娘についてはさほど気にもしておらず、造物師とかかわりがあるとも思っていなかった。
「また戦の日々に戻る前にここに来た。金剛杵は一世を風靡したが、時代の変遷とともにその威力も色褪せた。時代遅れになった金剛杵に代わる、高速で動く敵を一網打尽にできる新たな武器をつくってもらいたいのだ」
天帝釈は単刀直入に切り出した。
「私はもう武器はつくらない。この千五百年間で神兵の軍をつくって我の先兵に与えた。武力はもう十分ある。あとはその使いようだ」
造物師は天帝釈の依頼を即座に断った。
天帝釈は金剛杵の印象が強かったので新たな武器の製作との発想になったが、造物師は一つ上を行っていて、武器ではなくて軍をつくりあげていたのだ。
智略に富んだ天帝釈は、直ぐに造物師の意のある所を察した。
「軍は遥かに武器に勝る。しかし、それは我の先兵がどちらを向いているかによる」
「我の先兵は再来したが、記憶がなく正常にはほど遠い。しかし、かえって単純で魔族を討つことしか念頭にない。過去からの余計なしがらみはないと考えていい」
我は天帝釈の仇敵のヤマと親しかったが、造物師は御子神静香はそうではないという趣旨を伝えた。
「それは耳寄りなことを聞いた。それならばやりようがありそうだ」
天帝釈は造物師の囁きの通りに、新しく出現した我の先兵と組もうという気になった。
天帝釈は造物師自身もヤマとは古の時代から付き合いがあることを知っていた。しかし、造物師は独自の存在であり、ヤマと共謀して自分に敵対するような者ではないと思っていた。
造物師が新しい先兵はヤマとつながっていないと言うなら、そうなのだろう––––––
「一つ教えてくれ。彼はその後どうなったのだ?」
天帝釈が一番心懸かりだったのは彼の暗黒剣士だった。自分の後継者で自分よりも武術に優れた鳩摩羅王を斬った暗黒剣士のことが、龍の娘や我の先兵よりも気になっていた。
「彼の暗黒剣士の再来は止められた。しかし、キリタテとイヤシビの二人は暗黒界に再生した」
「キリタテとイヤシビが彼になったということか?」
「キリタテとイヤシビは我ではなくなったという意味では彼なのだが、暗黒剣士の彼とは切れている」
「暗黒剣士の再来でないのはいいことだが、二人はどちらを向いているのだ?」
天帝釈はキリタテとイヤシビが自分の敵か味方を問いただした。
「先兵よりは過去との継続性がある」
造物師はキリタテとイヤシビがヤマとの関係を維持していることを仄めかした。
「なるほどそういうことか。それは心して掛からねばならんな。とても参考になった。婆羅賀磨、礼を言うぞ」
天帝釈は敢えて造物師を本当の名で呼んだ。
造物師の言葉尻から、天帝釈はキリタテとイヤシビがヤマに与していて自分の敵であることを汲み取った––––––造物師は中立的な立場を守りながら、かつての盟友にできる限りの情報を与えたのだ。
新兵器を造物師から得る当初の目的は果たさなかったが、天帝釈はより大局的な判断に有益な情報を得て、満足して帰った。
造物師のほうは、過去の記憶の世界から、天帝釈同様、世知辛い現実に引き戻されていた。
やれ、またひと仕事するか––––––
造物師の精神は、昔の自分の体からするりと抜け出した。
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