7 妖気
氷魔に氷結されたカルラ艦隊の残骸は、辺境地域と暗黒界の境界のあたりに広く散乱していた。静香達は墜落した母艦と単座戦闘機をくまなく捜索したが、慎吾と衛門は見つからなかった。
やはり静香の霊感の通り、どこかに逃れて生き延びているとの期待が高まった。
静香は辺境地域に入ってから、これまでにはなかった自らの精神的な変化を感じていた。辺境地域には自分は来たことがないはずなのに、その風景に不思議に既視感があった。そして、意識に突然ふっと過去に見たことがあるような気がする宮殿や、そこにいる人物の姿が浮かんでくるのだ。
静香は魔族との戦闘があった地域を離れて、霊山龍神宮を辺境地域の山岳地帯へむかわせた。伍部浄が早く暗黒界に進入することを勧めたが、静香の意志は固かった。何かが山岳地帯へ静香を駆り立てていた。
ズクは静香の行動を奇異に感じた。そして我の先兵に何らかの変化が起こっているのでないかと疑った。
「山岳地帯に何か感じるのか?」
ズクの問いに静香はうなずいた。
「自分の過去とつながっているような気がする。暗黒界に深く入る前に、山岳地帯に行けばいろいろ手掛かりが得られる予感がする」
––––––静香は自ら自分の過去を探し始めたのだ。
変化が起こっているのは静香だけではなかった。
龍神宮が山岳地帯にむかって移動を始めてから、美紀も自分の周りに何か妖気のようなものが漂っているのを感じて胸騒ぎがし始めた。
テレパシーでその正体を探っても反応がなく、つかみどころがなかった。
「何かに付き纏われているような気がしてならない」
その夜、美紀は姫白龍に不安を打ち明けた。
「それはきっと美紀が自分の世界に近づいたからじゃないかな」
姫白龍は謎めいたことを言った。
「自分の世界?」
「今むかっている山岳地帯はヤマの聖地なんだ。美紀はヤマの血を引いているんだよ」
「私が?」
「その昔辺境地域に住んでいたユカという穏健な種族が、魔族に追われて人族の世界に移り住んだ。その中にヤマの血を引く者がいたんだよ。ユカ族は人族と同化したけれど、ヤマの属性は何世代もあとになって現れてくる。それがヤマの戻りっていうやつで、美紀はヤマの戻りだといわれているんだよ」
美紀は姫白龍が嘘をついているとは思えなかったが、にわかには信じ難い話だった。
「ヤマ族とかユカ族ってこのあたりに住んでいたの?」
「そう。ユカ族は辺境地域の平原地帯に、ヤマは今霊山龍神宮がむかっている山岳地帯にいたの。私もそこで生まれた」
「姫白龍も!」
「うん。私は龍でヤマではないけれど、白龍も昔は山岳地帯にいたらしい」
「私の祖先が亜空間から来たなんて信じられない」
「千五百年前のことで人間界では伝えられていない。ユカ族は人族に迫害されないように、自分達が亜空間から来たことをひた隠しにしていたんだ。美紀も山岳地帯に行けば自分のことがだんだんわかってくると思う。ついでに言えば須弥族も昔山岳地帯にいたんだよ」
「伍部浄の祖先が?」
「あの伍部浄ってのはいかさま野郎で、あんなのが須弥族の正統なわけがない。名前からして伍部は五人の意味で、五つの種族の混血なんだ。でも須弥族はヤマの仇だから、もしその血が五分の一でも入っていれば、ヤマとしてはあいつを生かしてはおけない」
「伍部浄は何を狙っているのかな」
「あいつは我の先兵を自分の勢力拡張のために利用したいだけなんだよ。私にはわかる。でも静香のことだって用が済めばさっさと裏切るに違いない」
「あたかも自分が魔族の船団に打ち勝ったようなことを言っていたわね」
「あんな大嘘をつけるなんて見上げたもんだ。何でも都合のいいことは自分の手柄にして、そうでないことは人のせいにする輩だよ」
「なんて汚い奴!殺すっ!」
「まあ急がなくてもあいつはいずれ本性を現すから、その時にあたしが葬ってやるよ」
姫白龍はまるで楽しみをあとに取っておくような口振りだった。
その夜美紀はまた妖気を感じて目が覚めた。
長椅子で寝ていたはずの姫白龍はどこに行ったのか見当たらなかった。
衣服を着替え、剣を腰につけて、美紀は浮御堂を出ていった。
龍神湖には提灯をたくさん灯した祭り船が出ていた。夜中に湖上で催しをしているようで、水面に写り込んだ色とりどりの提灯がゆらゆらと揺れて美しく、美紀はしばし湖の光景に見惚れていた。
湖畔に立って眺めている美紀に気付いたのか、祭り船から迎えの手漕ぎ舟がやってきた。船頭は緑色の肌をしたククノチ族で、へり下った態度で美紀を小舟に招き入れた。櫂を握っていて武器を持っている様子もなく、美紀のほうは剣を持っていたので怖がらずに乗り込んだ。
船頭は櫂で舟を漕いでいたが、小舟は実は念動力で動いているようで、湖面を滑るように進んで祭り船に近づいていった。
縄梯子をつたって甲板に上がり、船室に入ると、中は広々とした宮殿造りで、酒宴の最中だった。外から見た船の大きさより内部は遥かに広かったが、霊山龍神宮ではよくあることなので、美紀は驚かなかった。
美紀は杯を交わしながら談笑している人混みの中を、もしや静香がいるのではと思って探し回ったが、その集まりは見知らぬ人ばかりだった。
歩き回っているうちに、そこには二種類の人々がいることに気がついた。一つは美しい刺繍が施された絹の衣装を着ている人々で、こちらは男ばかりだった。もう一方は、質素な亜麻の貫頭衣の人々でこちらは男女入り混じっていた。
美紀は絹の衣装の恰幅のいい人物に杯を渡され、ソーマを注がれた。
「すみません」
「どうぞ、杯を干されよ」
促されるままに美紀は琥珀色の輝きのある液体を飲み干した。一瞬清涼感が迸り、力が漲るような感覚を覚えた。
「美味しいです。よろしければ––––––」
美紀は返杯しようとしたが、恰幅のいい男は辞して歩き去った––––––できるだけ多くの人々にソーマを注いで回っているようだった。
その時、叫び声がして貫頭衣の女性が倒れた。倒れた女性の周りに貫頭衣の人々が集まり人垣ができた。絹の装束の人々はそれを遠巻きに見守っていた。
もう一人、今度は貫頭衣の男性が苦し気な叫び声をあげて倒れた。貫頭衣の集団は何が起こっているのか、ようやく悟った。しかし、もう手遅れだった。毒入りのソーマを飲まされた人々は、次々と倒れて死んでいった。
私も同じものを飲まされた––––––
美紀は全身が痺れ、息ができなくなった。
肺が停止している––––––
静香助けて––––––
美紀は痺れた体をひきずるようにして階段を上がって外に出ると、もはや立っていることもかなわず、倒れた勢いで湖に転がり落ちた。
解毒剤、私は解毒剤を持っているんだ––––––
そう思ったのが最後で、美紀は意識を失って龍神湖に沈んでいった。
美紀!
美紀っ!
目を開いた時、美紀の目の前に姫白龍の顔があった。
「あっ」
夢だった––––––
美紀はまだ胸で大きく息をしていた。
「うなされていた」
「ううっ、頭痛が––––––」
「大丈夫?」
「とても嫌な夢を見ちゃった」
美紀は姫白龍に抱きついて、ベソをかいた。
姫白龍はまた美紀の匂いを嗅ぐ機会を得て、嬉しそうな顔をした。
「夢の中で毒を盛られて湖に落ちて気を失った––––––」
美紀は克明に夢の内容を覚えていて姫白龍に話した。
「それはきっとヤマの妖気のせいだよ。須弥族に毒殺されたヤマ族は、妖気となって漂っている。ヤマの妖気が美紀に自分達の記憶を伝えようとしているに違いないよ」
姫白龍にそう言われると、妖気はまだ美紀の周囲に漂っているように感じられた。
「美紀はヤマの戻りだから」
「ヤマの戻りか何か知らないけれど、嫌な夢を見せたりするのはやめて欲しい」
「警告かも知れないよ。あの伍部浄などは、気を許したら誰にでも毒を盛ったり背中から刺したりする奴だから、油断しないようにと––––––」
「畜生!絶対あんなインチキ野郎に殺されてなるものか」
美紀はいきり立った。
「あいつはこの龍神宮の神兵の軍団を自分のものにしたいんだよ。狙いを疑われないように、氷魔に襲われた生存者の振りをして入り込んだんだ。漂流しているように見せ掛けていたけど、自分の念動力でこちらに向かってきたんだよ。なりすましのために、ククノチ族の船員は初めから犠牲にするつもりだったんだ」
「静香はなぜあんな奴を龍神宮に入れちゃったんだろう」
「人を疑うことを知らない子供みたいだね」
「そうよね。私も人のことは言えないけれど、静香はちょっと世間知らずかも知れない。人間の世界で学校に行っていた時からそうだったから。でも静香は純粋でとてもいい子なんだよ。姫白龍のほうが世の中のことをずっとよく知っているから、助けてあげて欲しい」
「伍部浄が変な真似をしないように、あたしがちゃんと見張っているから」
辺境から来た龍の娘は頼もしい存在だった。おかげで美紀のかき乱された心は安らいだ。
「山岳地帯に着けばまたきっと色々あるよ。朝までもう少し寝よう」
姫白龍に促されて美紀はもう一度目を閉じた––––––今度はいい夢を見るように念じながら。
翌朝、美紀は龍神宮の本殿に入ってぎょっとして立ち止まった。そこには昨晩夢に出てきた男––––––美紀に杯を渡して毒入りのソーマを飲ませた須弥族の男が立っていた。
あれは夢ではなかったんだ––––––
怒りが込み上げてきて、美紀は本能のままにテレキネシスを使った。男は吹き飛ばされて床を滑って柱に激突した。
「この小娘が!」
怒った男が手を伸ばして宙を鷲掴みにすると、美紀の喉が締め上げられた––––––相手も念動力を使えるのだ。
「放せっ」
叫んだが声にならなかった。
相手は宙をつかんだ腕を持ち上げた。美紀は首を掴まれたまま宙吊りになった。
美紀の目に赤い火が灯った。もう一度男を吹き飛ばして激しく壁に叩きつけた。
美紀の首を締めて持ち上げていた力が消えて、美紀の体は床に落ちた。
美紀はテレキネシスで剣を抜いて、男に向かって矢のように飛ばした。
美紀の剣は男を串刺しにする寸前で、横合いから飛び出してきた別な剣に叩き落された––––––静香だった。
「美紀、どうしたんだ。目を覚ませ!」
静香の声で美紀ははっと我にかえった。
よく見ると美紀が戦っていた相手は、夢の中の男ではなくて伍部浄だった。
さっきは須弥族のあの男に見えたのに––––––
美紀は何者かに暗示をかけられて操作されたのだ。
ヤマの妖気の仕業か––––––
伍部浄が悪態をついて起き上がり、美紀に向かってこようとしたが、静香が間に入って制止した。
その時、いつの間にか伍部浄の背後に忍び寄っていた姫白龍が、伍部浄の腰から巻物を抜き取って静香に投げ渡した。
静香は片手で受け取って巻物の紐をほどいて中身をあらためた。そこにはいつの間に調べあげたのか、龍神宮に隠されている神兵の軍団の戦力が克明に記されていた。
「それがこいつの本当の狙いだ。神兵の軍団を我が物にしたくてここに入り込んだんだ」
姫白龍が静香に言った。
「この薄汚いコソ泥め!」
伍部浄は姫白龍を念動力で締めあげようとした。
「コソ泥はお前のほうだろう!」
姫白龍の背後に白い龍の幻影が躍り出た。
「うわっ!」
突如現れた龍に怯えた伍部浄は後退り、その場から逃げるように立ち去った。
「姫白龍、今の見た?」
美紀が姫白龍の背後を指さして言った。
「え?」
「白い龍が出たよ」
姫白龍は自分では気付かなかったらしく、怪訝な顔をしただけだった。
「美紀、いったい何が起こったんだ?」
静香は突如攻撃的になった美紀に何か異変が起こったに違いないと思った。
「何者かの心理操作だと思う。私は暗示にかかりやすくて、伍部浄が他の悪者に見えてしまって––––––多分ヤマの妖気の仕業だよ。昨晩も悪夢を見せられた」
美紀は以前にもドミヌスに精神コントロールされたことがあった。敏感なテレパシー能力を持っていることの裏腹で、外部からの心理操作に敏感に反応してしまうのだ。
「これからはもっと気をつけるようにするよ」
美紀は敵の心理攻撃を察知して遮断することができないと、自分は味方にとってかえって危険な存在になってしまうと思った。
「もうあいつがどんな奴かわかったよね。ヤマの妖気が再度念を入れて警告してくれたんだよ。あのいかさま師を信じちゃ駄目だよ」
姫白龍がわざと静香に聞こえるように言った。
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