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愛想がないと結婚0日目に離縁されたアラサー会計士 ~複式簿記で辺境領地を再建します~  作者: かな


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第21話:鋼鉄の銀行(フーガー商会)と「嫉妬」の計上

ヴァイス領が王国の認める「自律統治区」としての地位を確立し、カナリスが王国全体の財政再建指南役という重責を担うようになってから数ヶ月が経過した。北の荒野には、かつての絶望的な沈黙に代わり、槌音と商人たちの活気が響き渡っていた。道路網の整備によって物流速度は向上し、以前は3日かかっていた輸送が1日に短縮されるなど、劇的な「物流費用の削減」が実現していた。

だが、成功は常に新たな、そしてより巨大な外敵を呼び寄せる。

領主館の執務室。カナリスは、眼鏡を指で静かに支え、目の前に置かれた一通の通告書を冷徹に見つめていた。

カナリス:「……ついに来ましたか。大陸全土の貸付市場を支配する『鋼鉄の銀行』……フーガー商会ですね」

隣で自慢の愛剣を磨いていたグロックが、怪訝そうに顔を上げた。

グロック:「あ? フーガーだかフーガだか知らねぇが、王都の役人より偉いのか? カナがそんなに険しい顔をするなんて珍しいじゃねぇか」

カナリス:「役人よりもはるかに厄介です、閣下。彼らは王国の軍事費や帝国の選挙資金すら裏で操る、いわば『影の主権者』です。……彼らにとって、ヴァイス領が構築した独自の信用圏……この穀物引換券による払いの仕組みは、自分たちの市場独占を脅かす不快な雑音に過ぎないのでしょう」

カナリス:(巨大な資本を持つ者は、常に新しい理を嫌う。情報の淀みを突いて利益を得てきた彼らにとって、透明性の高い私の帳簿は排除すべき対象なのだ。不当な略奪を防ぐには、相手が何を狙っているのかを正確に読み解かなければならない)

その時、執務室の重厚な扉がノックもなしに開かれた。現れたのは、フーガー商会の紋章が刻まれた豪奢な外套を纏う使者だった。

使者:「ヴァイス伯爵グロカール殿。そして会計顧問ベルク殿。……我らが主より、貴領の益々の発展を祝し、一つの『共同事業』の提案を持って参りました」

使者が机に置いたのは、協力の申し出ではなく、事実上の「買収通告」であった。内容は、フーガー商会がヴァイス領の運河建設費を全額出資する代わりに、今後50年間の通行税徴収権を譲渡せよというもの。そして、その契約を確固たるものにするための「担保」として、王国の名門・ヴァロワ公爵家の令嬢とグロックとの縁談が添えられていた。

グロック:「……縁談? なんで俺が、見たこともねぇ公爵の娘とくっつかなきゃならねぇんだ。俺はヴァイスの連中を守るだけで手一杯だっての」

グロックは鼻で笑って一蹴しようとしたが、使者の視線は彼ではなく、背後に立つカナリスに向けられた。

使者:「ベルク殿。貴殿のような合理的な実務家なら、これがどれほど得られる成果に優れた提案か、理解できるはずだ。……一人の男の婚姻と引き換えに、この領地は返済義務のない莫大な元手を得て、北の覇権を約束される。……違うかね?」

カナリスは表情を変えず、ただ事務的な声で応えた。

カナリス:「……検討の余地はあります。書面を置いていってください」

その夜。執務室に一人残ったカナリスは、計算盤を叩き、フーガー商会からの提案を「事業計画書」として整理しようとしていた。かなりの長時間、彼女は沈黙していた。

カナリス:(……事実を整理しましょう。グロック閣下がヴァロワ公爵家と結ばれれば、ヴァイス領の政治的な価値は飛躍的に向上する。フーガーの返済不要な出資があれば、インフラ整備の速度は3倍に跳ね上がり、領民の未来も確定する。平穏な隠居への道筋としては、これ以上ない最高の結果のはずだ……)

だが、羽ペンを持つ彼女の指先が、わずかに震えていた。帳簿の余白に、彼女は無意識に「グロック」という項目を書き加え、その横に「維持費用:なし」「資産価値:測定不能」と記した。

カナリス:(……おかしい。論理的な結論は出ているはずなのに。なぜ、この項目を『他へ譲る』として処理することに、これほどの拒絶反応が出るのだろう。双方が同じ情報を持たなければ、不当な略奪は防げない……。私は、彼という存在がもたらす安心を、失いたくないと感じているのか?)

胸の奥が、冷たい石を飲み込んだように重い。前の人生の職場時代、どんなに粉飾された帳簿を前にしても冷静だった彼女が、今、自分自身の心の天秤に現れた「非合理な変数」に翻弄されていた。

その時、音も立てずに背後に忍び寄った影が、彼女の肩を掴んだ。

グロック:「……カナ。お前、さっきからペンが止まってるぞ。……また難しすぎて計算が合わねぇのか?」

カナリスは肩を跳ねさせ、慌てて帳簿を閉じた。

カナリス:「閣下……! 三歩下がってくださいと何度も……」

グロック:「嫌だね。……お前、さっきの使いの話、本気で考えてるのか?」

グロックは無遠慮に上体を乗り出し、カナリスの顔を覗き込んできた。

カナリス:「……当然です。公爵家との繋がりとフーガーの出資は、現在の我が領の地盤を盤石にするための、極めて有力な資産活用案ですから。……閣下の感情を抜きにすれば、利害の分かれ目は大幅にプラスに振れます」

グロック:「……ふーん。……じゃあ、なんでそんなに顔色が悪いんだ?」

グロックはニヤリと不敵に笑い、カナリスの手から震える羽ペンを奪い取った。

グロック:「お前、俺が他の女のところに行くのが、そんなに嫌なのか? ……数字の話じゃなくて、お前の心の計算はどうなってんだよ、カナ」

カナリス:「……! 私はただ、組織の利益を……」

グロック:「嘘をつけ。……お前が必死に隠してるその帳簿の端っこに、俺の名前が書いてあるのは見えたぜ。……俺を売却する計算なんて、一生かかったって合わせさせねぇよ」

グロックの大きな手が、カナリスの頬を包み込むように近づいた。カナリスは、眼鏡の奥の瞳を揺らし、初めて自分の中の「不純物」を認めた。

カナリス:(……計上してしまった。嫉妬という名の、最も非合理的で、最も巨大な……負債になるはずの感情を。一銭の狂いもない人生を求めていたはずなのに、この男という変数が、私の理を根底から書き換えていく)

鋼鉄の銀行という最強の敵。その猛攻の前に、会計士カナリスの冷徹な仮面は、かつてないほど脆く、崩れ去ろうとしていた。

自己資本比率100%の人生――。その聖域に、今、他者の熱という名の不確定要素が、決定的な定数として書き加えられた。

だが、感情の乱れに浸る余裕を、敵は与えてはくれなかった。

翌朝、カナリスが手元の帳簿を改めて確認した際、彼女の目は一箇所で止まった。街道の通行税収が、前日の予測を大幅に下回っている。さらに、周辺の宿場からは「商人が関所で不当な手数料を要求され、立ち往生している」という緊急の知らせが相次いで届き始めた。

情報の淀みと、金銭の障壁。巨大資本によるヴァイス領への「兵糧攻め」が、今まさに静かに牙を剥き始めていた。

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