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愛想がないと結婚0日目に離縁されたアラサー会計士 ~複式簿記で辺境領地を再建します~  作者: かな


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第19話:共生の積立金と次世代の監査官

ヴァイス領の片隅に新設された「育成校」。かつて戦火や貧困で親を失い、カナリスが正規雇用という名の希望を与えた元傭兵の家族や、領内の孤児たちが集められた場所だった。

そこには、かつて王都の社交界を震撼させた会計士の姿があった。だが、今の彼女は冷徹に相手を追い詰めるのではなく、小さな子供たちの前に立ち、見たこともない奇妙な「木札」を並べていた。

カナリス:「……いいですか。この『麦の絵』が描かれた木札は、倉庫に入った富を示します。そして、この『横線』が刻まれた木札は、そこから出ていった対価です。文字が読めなくても、この札を天秤の図が描かれた板の左右に正しく並べれば、嘘はつけなくなります。貸借の一致により、数字の辻褄が合う、という理に照らせば、不当な略奪は防げるのです」

彼女が教えているのは、前の人生の職場で培った教育の手法を極限まで簡略化した「記号簿記」だった。複雑な数字や専門用語は一切使わない。ただ、モノの動きを物理的な記号に置き換え、左右の合計を一致させるという複式簿記の理そのものを、子供たちの脳に刻み込んでいた。

そこへ、音を立てずにグロックが姿を現した。彼は教室の入り口に寄りかかり、身を乗り出すような無遠慮な好奇心でその光景を眺めていた。

グロック:「カナ、相変わらず妙なことをしてるな。そのガキどもに、お前の『呪文』を仕込んでどうするつもりだ? まさか、このチビたちが俺の領地の財布を握るわけじゃねぇだろ?」

カナリス:「……閣下、三歩下がってください。これは呪文ではなく、生き残るための知恵です。私が一人で全ての記録を管理するのは、組織の運営において極めて危険な状態です。私が不在になっても、この地の理が自動で守られる仕組み……そのためのシステムの永続化に着手しているのです」

カナリスは手元の木札を整え、一人の少年に声をかけた。

カナリス:「テオ君、この『鍛冶場の炭』の木札と、『倉庫の金貨』の木札を照合して。……もし、ここにおかしなズレがあったら、それは誰かが嘘をついているか、炭が盗まれた証拠です」

テオと呼ばれた少年は、真剣な眼差しで木札を並べ替え、胸を張った。

テオ:「ベルク殿! 炭の札が3枚足りません! これは昨日の夕方、役人が勝手に持ち出した分だ!」

グロック:「ほう……。大したもんだ。このガキ、俺の騎士団の連中よりよっぽど目ざといじゃねぇか」

カナリス:「子供は先入観がありませんから。彼らは私の次世代の監査官です。閣下、彼らが一人前になる頃には、この領地から『横領』という言葉は消え去っているはずですよ」

数日後。ヴァイス領に、王都からの不穏な知らせが届いた。現れたのは、豪奢な馬車から降り立った、埃一つついていない絹の法衣を纏う老官僚たち。王都財務府から派遣された「特別経済区・適格審査団」だった。

団長であるレドランジュという老官僚は、案内された領主館の執務室に入るなり、鼻をつまむような仕草をしてカナリスを見下ろした。

レドランジュ:「……やれやれ。辺境の自立を認めるという陛下の慈悲が、このような無愛想な女一人に委ねられているとは。ベルク殿と言ったか。貴殿がこの地で魔術的な算術を弄し、王都の徴税を妨げているという噂がある。今日はその実態を精査させてもらう」

レドランジュの背後には、山のような厚い紙の束を抱えた文官たちが控えていた。彼らが使うのは、この世界の旧態依然とした、入った金と出た金を時系列に並べるだけの単式簿記だった。

カナリス:「……精査していただけるというのなら、歓迎いたします。ただし、私たちのやり方は、あなた方の古い形式とは少々異なりますが」

レドランジュ:「ふん、子供騙しの工夫だろう。さあ、帳簿を出せ。我ら王都財務府の目が、一銭の不正も見逃しはせん」

レドランジュは意気揚々と、自らの文官たちに指示を出し、ヴァイス領の調査を開始した。だが、カナリスが提示したのは、数冊の美しい革装丁の帳簿と、それから「次世代の監査官」となった子供たちが抱える、膨大な数の記号木札だった。

監査が始まって1時間もしないうちに、レドランジュの顔から余裕が消え去った。

レドランジュ:「……何だ、これは! この『麦の支出』に対応するはずの『農具の修繕費』が、このページには載っていないではないか! 貴様、やはり数字を誤魔化して――」

テオ:「おじさん、それは見方が違うよ。ここを見て。その修繕費は、こっちの『鍛冶場』を合わせた帳簿の方に載ってるんだ。おじさんたちの一本道の書き方じゃ見えないかもしれないけど、倉庫から炭を出した時点で、僕たちの記録では麦との交換価値として差し引きされているんだよ」

レドランジュ:「……あわせた帳簿? さしひき……? 何を言っているのだ、このガキは!」

レドランジュは困惑し、自身の抱える文官たちを振り返った。だが、文官たちもまた、子供たちが差し出す木札の羅列と、カナリスが設計した高度な計算構造の前に、言葉を失っていた。

カナリスは、金縁の眼鏡を指で静かに直し、冷徹な一撃を放った。

カナリス:「レドランジュ殿。あなた方のやり方は、一つの場所での金の出入りしか見ていない。ですが、この地では、全ての施設が網の目のように繋がっています。倉庫の麦が減れば、それはどこかで資産に変わっている。あなたの手元にある不透明な矛盾の正体は、単なるあなた方の管理不足、あるいは情報の淀みです」

レドランジュ:「ば……馬鹿な! 国の威信にかけて、我らの計算が間違っているはずが――」

テオ:「おじさんの計算、10ページ前で3リブラ合ってないよ。ほら、ここ。繰り越しのところで、インクを二度書きしてるでしょ。僕たちが教わった理なら、一銭でもズレたら天秤は釣り合わないんだ」

レドランジュの顔が、赤黒く染まっていく。王都のベテラン官僚が、文字も満足に書けない辺境の孤児に、数字の初歩的なミスを指摘され、その管理システムの不備を完膚なきまでに露呈させられた。

レドランジュ:「……き、貴様ら……! 陛下に報告してやる! この地は、子供まで使って公的な監査を弄ぶ、不浄の地であるとな!」

捨て台詞を残し、レドランジュたちは逃げるように馬車へと戻っていった。

夕暮れ時。夕日に染まる育成校の庭で、子供たちが木札を片付け、誇らしげに笑い合っていた。

グロックは、その光景を遠くから眺め、隣に立つカナリスの横顔を見て、不意に豪快に笑い声を上げた。

グロック:「……はっはっは! 見たかよ、カナ。あの王都の狸ども、ガキに説教されて逃げ帰りやがった。お前、本当に凄まじい奴だな。あんな弱そうなガキどもを、一瞬で最強の番犬に仕立て上げちまうとはよ」

カナリス:「……番犬ではありません。プロの実務家です。彼らにとって数字は、嘘をつかずに自分たちを守ってくれる盾なのですから」

カナリスは眼鏡を外し、少しだけ安堵の息を吐いた。

グロック:「……なぁ、カナ。お前、今のあいつらを見てる時、なんていうか……。その、もうこの地の『母ちゃん』みたいな顔してたぞ」

カナリス:「……。……はい?」

カナリスは、あまりにも予想外で、かつ非論理的な言葉を投げかけられ、一瞬だけ硬直した。

グロック:「いや、冗談じゃねぇよ。厳しくしつけながらも、誰よりもあいつらの腹が膨らむことを考えてる。あいつらも、お前のことをベルク殿なんて呼んでるが、目は完全に懐いた雛鳥そのもんだ。いいなぁ、俺もあの中に混じりてぇよ」

グロックは嬉しそうに、カナリスの至近距離に踏み込み、彼女の肩を軽く叩いた。

カナリス:「……閣下、三歩下がってください。私は教育による人的資源の最適化を行っているだけで、母性などという感情的な項目は私の帳簿には計上されていません。それと、混じるのは勝手ですが、テオ君に計算ミスを指摘されて泣きついてくるのはやめてくださいね」

カナリスは不機嫌そうに背を向けたが、その頬が夕日のせいか、あるいは別の理由か、わずかに朱に染まっているのを、グロックは見逃さなかった。

カナリス:(……情報の淀みを見つける者が、敵の刃を先読みする。目に見えない脅威を可視化できる。双方が同じ情報を持たなければ、不当な略奪は防げない。前の職場で学んだこの理が、この地で小さな芽を出し始めているのだ。私の自己資本比率100%の人生は、この子たちの未来とも繋がっている)

不毛の地に蒔かれた「理の芽」たち。それは、会計士カナリスが築き上げた、何者にも奪われない最強の次世代資産だった。

しかし、翌日。育成校の勝利を祝う静かな冬の朝を、王都から届いた一通の「警告書」が残酷に切り裂くことになる。赤い封蝋に刻まれた王室財務府の紋章。それは、ヴァイス領の自立そのものを根底から否定する、最悪の知らせであった。

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