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愛想がないと結婚0日目に離縁されたアラサー会計士 ~複式簿記で辺境領地を再建します~  作者: かな


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第18話:自己資本100%の聖域

王都での公開審問から数日後。メルシエ侯爵邸の広間に、冷徹な事務作業の音が響いていた。没収された家財を整理する王宮の執行官たちが慌ただしく動き回る中、カナリスは国王の筆頭法務官、ヴォークリューズと対峙していた。

ヴォークリューズ:「……さて、ベルク殿。事務的な確認は済んだ。本題に入ろう。あなたの実家であるベルク男爵家が、メルシエ侯爵家に対して負っている膨大な借財。その債権は現在、あなたの元夫であるロラン・ド・メルシエ殿がすべて買い取っている」

ヴォークリューズは数枚の羊皮紙をめくり、カナリスを真っ直ぐに見つめた。

ヴォークリューズ:「ロラン殿がこれだけの負債を買い取った理由は、言うまでもなくあなたを繋ぎ止めるための『首輪』にするためだった。だが、彼が家門の資産を横領金によって形成していた以上、この債権そのものの正当性が失われたのだ」

カナリス:「……つまり、実家の借金は無効になるということですか?」

ヴォークリューズ:「厳密に言えば、王家がメルシエ家の資産を差し押さえる過程で、この負債も王家が引き継いだ。だが、陛下はヴァイス領の復興、そして今回の汚職摘発への功績を鑑み、この借財を『相殺』されることを決められた。相殺とは、互いの貸し借りを差し引いて帳消しにする理だ。おめでとう。ベルク男爵家は、名実ともに借金から解放されたのだよ」

カナリスは小さく息を吐いた。ロランが自分の価値を認めながら、それを支配するための道具として実家を利用し続けてきた事実。その歪んだ執着が、彼自身の破滅によって霧散した。かつて披露宴の夜、自分を縛っていたあの重いドレスのような呪縛は、もうどこにも存在しなかった。

カナリス:「……承知いたしました。これでベルク家との間に残っていた負の連鎖も、完全に清算されました」

ヴァイス領への帰路。馬車の中で、カナリスは国王から授けられた新たな勅許状を広げていた。

そこには、ヴァイス領が王都の既存の税制や法規制から大幅に免除される「自律統治区(独立経済特区)」として認可されたことが記されている。カナリスが示した「数字による透明な統治」は、国家の財政危機に直面していた王にとって、一つの理想的な再建モデルとして映ったのだ。

領主館に戻ったカナリスが真っ先に着手したのは、自身の出口戦略――「静かな引退後の生活」のための制度設計だった。

彼女は領主館の別館に、開拓農民や警備隊となったヴァルグたち元傭兵のための「相互扶助型年金基金」を設立した。

カナリス:「皆さん、よく聞いてください。これは領主からの施しではありません。皆さんが今日生み出した余剰の富を、数十年後の自分たちへの投資として積み立てる仕組みです。不慮の怪我や、老いて働けなくなった時、この基金が皆さんの生活の盾となります」

ヴァルグ:「……なあ、顧問。あんた、俺たちが戦い終わった後のことまで、もう紙に書き留めているのか?」

カナリス:「当然です。引退後の安心がなければ、現在の労働効率は最大化されません。働き手としての力が発揮できなくなることを防ぐためです。……私は、一分の隙もない安心という名の資産を、この地に定着させたいだけです」

領民たちは、以前のような困惑は見せなかった。彼らは知っている。この愛想のない会計士が引く定規の線の先には、必ず自分たちの生活を守る実利があることを。

その夜、静まり返った執務室で、カナリスは自身の私的な帳簿を開いた。キャンドルの火に照らされたページ。そこには、王都での審問の結果、そして実家の負債の清算が詳細に記されている。

カナリスは震えることのない筆致で、その末尾に一行の言葉を刻んだ。

『自己資本比率100%』

誰の所有物でもない。誰の意志にも左右されない。己の才と理ことわりだけで、この世界に確固たる聖域を築き上げた。自己資本比率100%とは、他人の資本に依存せず、自分だけの蓄えで人生のすべてを賄える状態を指す。その達成感は、前の人生の職場で感じていたあの胃を焼くような焦燥とは対極にある、澄み渡るような安らぎだった。

心拍がわずかに早まるが、それはかつての過労による動悸ではない。自らの人生の主導権を完全に掌握したことによる、静かな高揚だった。

そこへ、重厚な扉がノックも待たずに開かれた。

グロック:「……カナ。お前、またそんなところで数字を抱きしめて寝るつもりか」

グロックは当然のように彼女の机の前に歩み寄り、椅子を鳴らして座り込んだ。

カナリス:「閣下。……何度も申し上げますが、入室の際は手順を遵守してください。それと、私は今、基金の運用計画を整理している最中です」

グロック:「ハッ、お前のその『整理』ってやつが、俺には一番の魔術に見えるぜ。……だが、今日だけは手を止めろ。俺は、お前に言わなきゃならないことがあるんだ」

グロックは真剣な眼差しで、カナリスの顔を覗き込んだ。

グロック:「王宮の使いから聞いたぞ。お前、もう誰の許しをもらわなくても、どこへでも行ける身分になったんだってな。……俺の領地を救って、ロランの野郎をぶっ飛ばして、ついには自分の家の借金まで消しちまった」

カナリス:「……事実を整理すれば、そうなりますね」

グロック:「なら……。お前がここを去る理由も、もうなくなったはずだ」

グロックは身を乗り出し、カナリスの冷たい指先を、熱を帯びた大きな手で包み込んだ。

グロック:「カナ。俺は理屈なんて知らねぇし、お前の言う数字の話も半分も分からねぇ。……だがな、俺はお前がいない景色なんて、もう想像もしたくねぇんだ。……お前の隣にいたい。いや、俺の隣にお前がいてほしい。死ぬまで、俺と一緒にこの地で生きてくれ!」

カナリスは、繋がれた手の熱に一瞬、思考が停止しそうになった。

カナリス:(……非合理です。あまりにも情熱的すぎて、私の計算式には当てはまらない不確定な要素なのだ。……でも)

カナリスはゆっくりと眼鏡を直し、視線をグロックの手から、自身の帳簿へと移した。

カナリス:「……閣下。その提案は、現在の我が領の地盤の安定度、そして今後の王国財政の不透明さを鑑みれば、極めて危険な決断です。……ですが、この地の金の流れが完全に安定し、誰の手を借りずとも理が回るようになった時……。その時に改めて、その生涯の契約についての再考を検討しましょう」

グロック:「……はっ! それって、お前の得意な『先延ばし』か? それとも、『俺がもっと頑張れば頷く』って意味か?」

カナリス:「……そうですね。一銭の狂いもない、確定した未来など存在しませんから。……ですが、少なくとも私の帳簿には、あなたの名前が『最重要資産』として計上され続けていますよ」

カナリスは微かに、本当に微かに微笑んだ。グロックはその一瞬の表情に、勝利を確信したかのように豪快に笑い、彼女の手をさらに強く握りしめた。

グロック:「よし、言ったな! なら俺は、お前が『参りました』と頷くまで、何度でもお前の懐に飛び込んでやるよ。覚悟しとけよ、カナ!」

不毛の地に確立された、自己資本100%の聖域。だがその聖域には、数字では測りきれない熱を帯びた「共同経営者」の存在が、不可欠なものとして刻み込まれていた。

翌朝、カナリスは領内の孤児たちや元傭兵の家族を招集し、自分が不在でも理が守られる仕組みの永続化を目指して、新たな学び舎……「育成校」の設立を宣言した。不毛の地に、次世代の監査官を育てるための新たな種が蒔かれようとしていた。

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