第6話 第二島:沈黙の修道島
船酔いという試練を越え、リディエルは第二島へと降り立った。
修道島。
その名の通り、島の中央には白い石造りの修道院がぽつんと建っている。鐘楼はあるが、鐘は鳴らない。風が吹き抜けるだけだ。
桟橋には誰もいない。
「ここは半分、世捨て人の島だ」
船乗りが言う。
「外とほとんど交流しねえ。必要な分だけ交易する。あとは祈りと畑だ」
「素敵ですわ」
「どこがだ」
リディエルはにっこり笑った。
静かだった。
灯台島のように波の音が主役でもない。
港町のように怒号が飛び交うわけでもない。
音が、少ない。
自分の足音がやけに大きく響く。
修道院の扉を叩くと、しばらくして小さな窓が開いた。
中から覗くのは、灰色の修道服をまとった女性。
「……ご用件は」
「旅の者ですわ。少し見学を」
女性はしばらくリディエルを観察し、それから静かに扉を開けた。
「騒がぬこと。祈りの時間を乱さぬこと。それが守れるなら」
「承知いたしました」
中庭には小さな畑がある。
数人の修道女が無言で作業している。
誰も彼女を歓迎しない。
だが拒絶もしない。
ただ、存在を受け入れ、干渉しない。
(楽ですわ……)
王都では常に視線があった。
「悪役令嬢」という役割が彼女を包囲していた。
ここでは、誰も知らない。
彼女はただの来訪者。
廊下を歩く。
足音が石に吸い込まれる。
礼拝堂に入ると、数人が祈っている。
言葉は小さく、風よりも静かだ。
リディエルは後ろの席に座った。
祈りの意味はわからない。
だが、時間の流れが違うことはわかる。
急がない。
競わない。
証明しない。
王都では、常に何かを示さなければならなかった。
優雅さ。
家格。
優位。
ここでは何も求められない。
ただ、いるだけ。
しばらくして、年配の修道女が隣に座った。
「あなたは、何から逃げてきましたか」
唐突な問い。
リディエルは少し考える。
「逃げてはおりませんわ」
「では、何を追いかけているのです」
その問いは、柔らかく、しかし鋭い。
「島です」
「……島?」
「はい。わたくし、島を巡っておりますの」
修道女は微かに微笑んだ。
「理由は」
理由。
考えたことはあっただろうか。
ただ、行きたかった。
王都の外へ。
決められた役割の外へ。
「……静かな場所が、好きなのかもしれません」
気づけば、そう口にしていた。
修道女は頷く。
「沈黙は、何もないことではありません」
「何も、ない……?」
「余計なものがない、ということです」
その言葉は、波のように胸へ広がった。
余計なもの。
称賛。
嫉妬。
断罪。
それらがない場所。
ここでは誰も、彼女を悪役と呼ばない。
夕方、畑仕事を少し手伝った。
ぎこちない手つきで土をいじる。
「貴族の手ですね」
若い修道女が小さく言う。
「今は旅人の手ですわ」
返すと、相手はわずかに笑った。
笑い声も、すぐに風に溶ける。
帰り際、年配の修道女が言った。
「また来なさい。ここは何も変わりません」
「それは、安心ですわね」
船へ戻る道すがら、リディエルは振り返った。
白い建物は、夕日に染まり、静かに立っている。
動かない。
主張しない。
それでも、そこにある。
(静寂には、重さがありますのね)
何もないのではない。
余白がある。
その余白に、自分の心が落ち着いていく。
船に乗り込む。
「どうだった」
船乗りが聞く。
「とても、静かでしたわ」
「退屈じゃなかったか」
リディエルは少しだけ考え、首を振る。
「退屈とは、騒がしさがないことではありませんのね」
「難しいこと言うなあ」
船が島を離れる。
修道島はすぐに小さくなる。
だが不思議と、消えた気がしない。
胸のどこかに、白い空間ができたような気がする。
悪役令嬢は、静寂を知った。
それは歓声よりも強く、
断罪よりも深いものだった。




