第20話 レティシアの本音
夜が更けても、レティシアは眠れなかった。
宿の窓から見える港は静まり返り、波音だけが規則正しく響いている。
――私は、光。
王都の人々がそう呼んだ。
清らかで、優しくて、健気で。
悪役令嬢にいじめられながらも前向きに努力し、最後には王子に選ばれる存在。
それが“物語”だった。
けれど。
「……違う」
小さく呟く。
扉の向こう、廊下に足音がする。
リディエルだった。
「起きていらっしゃるの?」
「はい」
少し迷ってから、レティシアは扉を開けた。
月明かりの廊下。
二人きり。
「眠れませんの?」
リディエルが尋ねる。
「少しだけ」
正直に答える。
沈黙。
やがてレティシアはぽつりとこぼした。
「……羨ましいのです」
「わたくしが?」
「はい」
意外そうに目を瞬くリディエル。
「あなたは、やりたいことをはっきり言える」
島を制覇したい。
悪役はしない。
嫌なら逃げる。
単純で、真っ直ぐで、強い。
「私は……何を望んでいるのか、ずっと分からなかった」
王子に選ばれること?
王妃になること?
みんなに祝福されること?
どれも、間違いではない。
けれど。
「王都にいた頃、ずっと息が詰まりそうでした」
初めて口にする本音。
「期待される“ヒロイン”でいなければならなかった」
弱音を吐かない。
悪役に怯えない。
常に微笑んでいる。
それが役割。
「リディエル様が断罪を催促したとき、本当は驚いたんです」
「そうでしょうね」
「でも……少しだけ、羨ましかった」
自分の破滅さえ選び取ろうとする強さ。
あのときから、何かが揺らいでいた。
「私も」
言葉が震える。
「私も、ただ旅がしたいだけだったのかもしれません」
静寂。
波音が遠く響く。
リディエルは、すぐには答えなかった。
やがて、ゆっくりと微笑む。
「それは素敵ですわ」
「素敵、ですか?」
「ええ。王妃よりずっと」
さらりと言う。
レティシアは思わず笑ってしまう。
「でも、王都は許しません」
「許させなければよろしいのです」
簡単そうに言う。
「ヒロインは王子と結ばれるべき。悪役は破滅すべき。そう決めたのは誰かしら?」
「……王都」
「では王都に任せておけばよろしい」
肩をすくめる。
「わたくしたちは、わたくしたちで勝手に生きましょう」
レティシアの胸の奥で、何かがほどける。
王子に選ばれるためではなく。
誰かに称賛されるためでもなく。
ただ、自分が見たい景色を見るために。
「灯台の島、綺麗でしたね」
「ええ」
「砂浜も」
「ええ」
「次の島も、見たいです」
それは願い。
静かだが、確かな。
リディエルは満足そうに頷いた。
「でしたら決まりですわ」
「何がですか?」
「ヒロイン再定義」
きっぱりと宣言する。
「ヒロインは王子を待つ存在ではなく、自分で船に乗る存在」
月明かりに照らされたその横顔は、どこまでも自由だ。
「レティシア様」
「はい」
「あなたは光でも影でもございません」
まっすぐに見つめる。
「ただの旅人ですわ」
その言葉に、レティシアは目を潤ませた。
「……はい」
小さく、しかしはっきりと頷く。
そのとき、階段の陰から声がした。
「二人とも、こんなところで何をしている」
ライベルトだった。
腕を組み、呆れたような顔。
「内緒話ですわ」
「殿下にはまだ早いお話です」
「私が蚊帳の外か?」
不満げな声。
だが二人は顔を見合わせて笑う。
「殿下も旅人ですわよ」
リディエルが言う。
「王子ではなく?」
「ええ」
レティシアも続ける。
「王子でなくても、いいのです」
ライベルトは一瞬言葉を失う。
そして、苦笑した。
「……ずいぶん勝手だな」
「はい」
二人同時に答える。
夜風が三人の間を通り抜ける。
役割は揺らぎ始めた。
悪役は拒絶し。
ヒロインは再定義され。
王子もまた、肩書きから少しずつ解放されていく。
港町の夜。
三人は並んで海を見つめる。
物語ではなく、航路を。
誰のためでもなく、自分のために。
次の島へ向かう理由は、もう十分だった。




