第16話 レティシア来訪
港がざわついたのは、白い帆の船が入ってきた時だった。
「王都の紋章だぞ」
「また視察か?」
人々がひそひそと囁く。
桟橋に降り立ったのは、淡い色のドレスをまとった少女。
風に揺れる柔らかな髪。
不安と決意を混ぜた瞳。
レティシアだった。
「……来てしまいましたわ」
小さく呟く。
王都に残るはずだった。
だが、噂は耳に入る。
王子が辺境へ向かったこと。
そして――金髪の令嬢の存在。
気づけば、船に乗っていた。
――その頃。
「殿下、荷はここでよろしいですか?」
港の倉庫前で、リディエルが帳簿をめくっている。
「構わない」
ライベルトはすっかり港の空気に慣れつつあった。
そこへ。
「ライベルト殿下!」
澄んだ声。
二人同時に振り向く。
白い日傘の下、レティシアが立っていた。
沈黙。
港の喧騒が一瞬遠のく。
「……レティシア?」
ライベルトが目を見開く。
「どうしてここに」
「視察、ですわ」
わずかに視線を逸らす。
明らかに無理のある理由。
リディエルは瞬きを一つ。
「ごきげんよう、レティシア様」
穏やかな挨拶。
敵意も皮肉もない。
それが逆に、レティシアの心を揺らす。
「……ごきげんよう」
かつての“被害者”と“悪役”。
断罪の壇上では対峙していた二人。
だが今は、潮風の中で向かい合っている。
「遠路お疲れでしょう。お茶でもいかが?」
リディエルがさらりと言う。
「お茶……?」
「この港、意外と菓子が美味しいのですの」
にこり。
状況が理解できない。
三角関係の緊張はどこへ。
――数刻後。
「わあ……!」
レティシアの目が輝く。
小高い丘から見下ろす群島。
青い海に点在する島々。
「綺麗……」
「でしょう?」
リディエルが満足げに頷く。
「次はあちらの島へ参りますの」
「次……?」
「島巡りですわ」
横でライベルトが咳払いする。
「私はまだ参加を決めたわけでは」
「ですが降りませんでしたわね、前の島」
痛いところを突く。
レティシアは二人を交互に見る。
「……お二人で、旅を?」
声がわずかに揺れる。
胸の奥がちくりと痛む。
嫉妬。
そのはずだった。
だが。
「殿下は海に弱いのです」
リディエルが真顔で言う。
「え?」
「船上で青ざめていらして」
「言うな」
「ですが嵐では大変頼もしく」
「嵐!?」
話の方向がおかしい。
恋の駆け引きではなく、冒険譚。
「レティシア様もご覧になります?」
リディエルが地図を広げる。
「この灯台の島はですね――」
「ちょ、ちょっと待ってくださいませ」
頭が追いつかない。
「わたくしは……その……」
王子を取り戻すために来た。
はずだった。
だが目の前の二人は、妙に健全だ。
「敵がいない世界は退屈でしたでしょう?」
不意にリディエルが言う。
レティシアの心臓が跳ねる。
図星。
「ここは退屈しませんわ」
にっこり。
「敵もいませんけれど」
悪意はない。
本当にない。
だからこそ混乱する。
「……わたくしも、行ってよろしいのですか」
思わず出た言葉。
リディエルは即答した。
「もちろん」
「危険もあります」
ライベルトが真面目に補足する。
「嵐も来ますし、海賊もおりますし」
「元海賊ですわ」
「どちらでも同じだ」
言い合い。
レティシアはぽかんとする。
三角関係の火花はどこだ。
緊張は。
嫉妬は。
「……観光、ですの?」
「制覇ですわ」
「制覇?」
また知らない単語。
「島を一つずつ」
誇らしげ。
レティシアはふっと笑ってしまう。
馬鹿らしい。
けれど楽しそうだ。
王都では味わえなかった風。
役割のない空間。
「では……少しだけ」
決意する。
ヒロインとしてではなく。
一人の少女として。
リディエルが手を差し出す。
「歓迎いたしますわ」
その手を、レティシアは取る。
柔らかい。
温かい。
敵ではない感触。
横でライベルトが小さく息を吐く。
三角関係になるはずだった。
修羅場になるはずだった。
だが現実は。
「次の島、何があるのですか?」
「まだ不明ですわ!」
「不明なのか」
「だから楽しいのです」
三人で海を見つめる。
緊張よりも、好奇心が勝つ。
物語は恋の争奪戦を期待していたかもしれない。
だが当人たちは。
ただの観光――否、制覇ツアーへ向かおうとしている。
潮風が笑う。
三角関係のはずが、なぜか団体旅行。
そして物語は、さらに予想外の方向へ進み始めるのだった。




