遺物の守護者
魔人態リロイ・ブラウンとゴーモトの封印に成功したヒューゴたち一行は、間もなく目当ての遺物、覇剣・神聖喜劇が安置された宝物庫に到着した。
宝物庫の扉は強力な魔力によって閉ざされていたが、ザムジードが一行には理解できない古代語を唱えると直ちに音もなく開いた。
じつのところ、その開門の呪文は精霊アガレスが精神感応でザムジードに示したものであったのであるが。
いずれにせよ、今一行の目の前には様々な宝物や魔法の品が山積みされ、その部屋の最深部には見紛うことなき覇剣・神聖喜劇が突き立てられた祭壇が、魔法結界に覆われて鎮座していた。
一行はその厳かさに心を打たれ、一時声も挙げられずにいたが、やがてグィードが進み出て、ゆっくりと祭壇に近づいた。
そして、そのままグィードが、おもむろに結界に手を伸ばし触れると、その手に激しい電撃のような痛みが走り、結界に弾かれた。
「まあ、予想通りだな」
そう言ってグィードがザムジードを振り向いた時、一行の背後から落ち着き払ったような女の声が響いた。
「まさかアガレスまでが裏切るとは、ガムビエル様はつくづく人望のないお方」
一行が声の方を振り返る。
そこに立っていたのはガムビエルの守護精霊、宝瓶宮の精霊グラであった。
とは言え、ザムジード以外の冒険者たちにとっては、これがグラとの初対面であったのだが。
それでも一行は、一目見てグラが人間ではなく精霊であることを認識し、そこから当然の如くガムビエルとの関係を、ほぼ正確に理解していた。
その時、それまで姿を隠していたアガレスが一瞬にしてザムジードの傍らに実体化して口を開いた。
「裏切ったとは人聞きが悪いな。もとより我が忠誠は魔王様にのみ捧げられているもの。おまえの主人とは、たまたまこれまで利害が一致していたというだけの話だ。だが、彼奴に人望がないというのは事実。その点ではおまえに同情もしている」
そう言ったアガレスの美しい貌には、嘲るような微笑が浮かんでいた。
しかしグラは表情を変えず、どこか勝ち誇ったように答えた。
「あの方は私に絶対的な信頼を置いてくださる。それこそが我ら精霊の無上の喜びであり、唯一の存在意義だということをお忘れかしら?」
するとアガレスは表情を正し、グラの目をまっすぐに見ながら謝罪した。
「すまない。どうやら道化が過ぎたようだ」
「そんなことよりも、ザムジード」
そう言って、グラの視線はザムジードの顔に移された。
ザムジードの顔に気まずさが滲む。
言ってしまえば、ザムジードにとってグラは養母のような存在であったからだ。
「あなたには期待していたのに、残念ね」
ザムジードが何も答えられず俯いているのを眺めながら、グィードが口を開いた。
「人の故郷を滅ぼして誘拐した奴がよく言うぜ」
ザムジードの故郷であるファールーシ王国はスカーレットにとっても故郷であることを、今やグィードは知っていたから、その怒りは単なる義憤以上のものであった。
しかし、その割にグィードは怒りを上手く押し殺していたと言える。
すなわち、グィードは至って冷静で、現在の一行の目的が復讐のために目の前のグラを倒すことではなく、ともかく祭壇に封印された覇剣・神聖喜劇を奪って万魔殿から脱出することであることを忘れてはいなかった。
「それにしても、たった一人で俺たちの前に姿を現わすとは舐められたものだな」
グィードがそう続けた。
するとグラが嘲笑うように答えた。
「おまえたちも精霊を従えているのなら、この世界で精霊同士が直接戦うことは無いことを知っているはず。私はただ警告をしに来たのよ。アガレスの口車に乗って覇剣をここから持ち去れば、あなたがたは全人類を、さらなる苦境に追い込むことになると」
その言葉を聞いて、ウァサゴ以外の一同の視線がアガレスの顔に張り付く。
「単なる時間稼ぎだ」
アガレスが美しい微笑を湛えたまま短く口にした。
恐らくその通りであろうと思いながらも、一行は次の行動に移ることができなかった。
「トイフェルスドレック、どう思う」
グィードが古い友人に訪ねた。
一行はまだアガレスを全面的に信頼することは出来なかったが、トイフェルスドレックに対するグィードの信頼は本物であることを理解していた。
「たとえこの精霊の言葉が真実であったとしても、我々に他の選択肢はない」
それは一行の迷いを取り去るための最良の答えであった。
「だな」
グィードが一同の顔を見回しながら答えた。
「ふっ、さすがに肝が据わっている」
グラが清々しいものを見るように答えた。
「それでは一端、私は引き下がるとしよう。だがこの万魔殿から簡単に脱出できるとは思わぬことだ。先の戦いに生き残った不死隊は前世の力をさらに取り戻しつつある。彼奴等はまことの英雄たち。おまえたちはこれから、この大陸の歴史そのものを相手に戦うことになるのだからな」
そう言い残すと、グラは空気に溶け込むようにその姿を消した。
するとグラに替わるように、今度はアガレスが口を開いた。
「ではこれから祭壇の結界を解くが、直後に現われる守護者はなかなかに手強い。もともとは私が生み出した魔獣だが、覇剣の霊力をふんだん取り込んでいるからな、古代龍クラスを相手にするつもりでいてくれたまえ」
言い終えるとアガレスはおもむろに祭壇に近づき、古代語の詠唱を始めた。
まもなく、結界に変化が現れ、その変化に同調するかのように、宝物庫全体に危険な気配が満ち始めた。
そして、結界が完全に消滅すると同時に、一行の目の前に次元の歪みが生まれ、その歪みは次第に巨大な獣の姿に収斂し、やがて三つの頭を持った猛獣の姿となった。
「ケルベロスか」
グィードがつぶやいた。
「素体はな」
アガレスが口元に美しい微笑を湛えながら答えた。
確かに、その魔獣の姿は地獄の番犬と呼ばれるケルベロスによく似ていた。
だが、そもそもその大きさが通常のケルベロスとはまったく異なっていた。
ケルベロス自体、大陸でも稀少な魔物であって、グィードやスカーレットでさえ、かつてザムジードと共に探索した深淵の牢獄の深層で何度か遭遇したことがある程度であった。
そして、今グィードの目の前で牙をむいている魔獣は、かつて深淵の牢獄で見たケルベロスの五、六倍ほども大きく、一行はその巨大な三つの頭を見上げるほどであった。
また、その魔獣の身体は獣毛に加え、トカゲや龍が持つような鱗にも覆われ、また三つの頭の額にそれぞれ一本ずつの角を持ち、よく見れば見るほど通常のケルベロスとはまったく異なる魔獣であることが判明した。
「便宜上、ケルベロス可能態とでも呼んでおくか」
おもむろに、そう口にしたのはトイフェルスドレックであった。
「ってことは、そのうちこいつの現実態ともやることになるのか、俺たちは?」
グィードが振り返りながらトイフェルスドレックに尋ねた。
「さあな。思い付きで言ってみただけだ」
二人がそんなやり取りをしている間に、魔獣ケルベロス可能態は一行を害敵と判断したらしく、威嚇の咆哮を上げた。
その威嚇の咆哮には、強力な金縛りの効果が含まれていたが、一瞬早くヒューゴが展開した英雄波動共振の効果によって、パーティー全員が抵抗に成功していた。
同時に一行はトイフェルスドレックによって無詠唱で発動された鳳翼飛翔陣によって亜空戦術による戦闘態勢に入っている。
三つの頭を持つケルベロス可能態を攪乱するために、一行もまた三組に分かれて戦うことを集合意識の中で決定する。
とは言え、いつも通りトイフェルスドレックは全体を俯瞰しながらサポートに集中するため、その三組には含まれない。
ところで一行は、結界解除の流れから、今回初めてアガレスが実体を持って戦闘に加わっていることを知覚していた。
そして、今や英雄波動共振による集合意識に加えられたザムジードによれば、それはザムジードにとっても初めての経験であったから、一同はアガレスがいったいどのような戦い方をするのであろうかという興味を隠すことができなかった。
ウァサゴやアガレスは精霊であるため、集合意識には直接加わってはいない。
だが精霊たちは契約者の意志や思考を感じ取っているため、戦略上はパーティーと完全に同調して戦うことが可能であった。
そこで一行は、ザムジードとアガレスを一組とすることを決定した。
続いて、グィードとスカーレットで一組。
残るヒューゴとレーナとスオウ、ここにウァサゴが加わって戦力的には最大の一組であるようにも感じられるが、実際のところ他の二組の実力は未知数であって、単純に比較できるものではないことを皆が理解していた。
その時、威嚇の咆哮が狙い通りの効力を発揮しなかったことに苛立ったケルベロス可能態が、その怒りを爆発させるように動いた。
颶風の如く突進するその先には、飛翔状態のグィードとスカーレットが戦闘態勢を取っていた。
二人はその突進を神速で躱した。
しかし、ケルベロス可能態の突進は止まらず、正面の壁に激突するかに見えた瞬間、その巨体に見合わぬ身軽さで身を翻し、壁を蹴り、その反動を利用して跳躍したのである。
そしてその先には、飛翔するザムジードとアガレスの姿があった。
予想外の俊敏さに、一行は驚きつつもザムジードとアガレスの反応に興味津々であった。
その時ザムジードは、アガレスが身近で実体化していることによって、先の邪妖忍軍との戦闘の際に発動した暗黒魔力による自己強化をより容易く発動できるようになっていることを感じていた。
そして冒険者としての直感から、その能力に命名することによって聖霊からの加護をも上乗せできることを瞬時に理解していた。
「暗黒の安息日!」
その瞬間、傍らに飛翔するアガレスの身体から黒紫の光気がザムジードに流れ込み、その身体を覆った。
次瞬、ザムジードが目前まで迫ったケルベロス可能態に向けて左手を伸ばした。
「禁じられた遊び!」
するとその左手をから黒紫の光気で編み上げられた巨大な蜘蛛の巣のようなものが放たれ、鼻先まで迫っていたケルベロス可能態の全身を覆った。
「ほう、拘束魔法か」
そう言って感心したのはトイフェルスドレックであった。
トイフェルスドレック自身も拘束魔法を用いることはあったが、通常は敵を十分弱らせた後、実験用に連れ帰るために用いることがほとんどであった。
それをザムジードは、咄嗟の防御用に用いたのである。
それはかなりの力技であって、絶対的な力量差がある相手にしか通用しない方法であった。
つまり、ザムジードは自分の魔力に、それほどまでの自信があったということである。
黒紫の蜘蛛の巣に捕らえられたケルベロス可能態は落下し、すぐに拘束から逃れようと床をのた打ち回っていたが、案の定ほんの数秒のうちにその身体を覆う蜘蛛の巣は消滅してしまった。
上空からそれを眺めていたザムジードが納得したように頷く。
初めて発動した魔法の効果を冷静に確認したのであった。
ケルベロス可能態は起き上がり体勢を立て直すと、怒り狂ったように再び咆哮を放った。
その声はあたかも本当の戦いはこれからだと叫んでいるかのようであった。




