孤鴉変心
今、ヒューゴたちの目の前には巨人化した暗黒卿リロイ・ブラウンが、その所有者であるゴーモトを吸収して巨大化した魔剣、魂喰らいを右手に握って立っていた。
また、その両肩と両肘、そして胸部の左右に一つずつ、獣染みた牙を持つ口が開いている。
「ちょっと人間様のまねごとをしたかと思えば、また化け物に戻りやがったなぁ」
グィードが絞り出すように、しかしどこか面白がって相手を揶揄するように口にした。
この直前、リロイ・ブラウンは自らを魔人真祖と名乗った。
そこで一行は、このときリロイ・ブラウンとゴーモトの身に発現した現象を魔人化、また、魔人化した姿を魔人態と呼ぶことに集合意識の中で合意した。
一行は未知の実力を秘めた、文字通りの巨大な敵を前に、臨戦態勢を取りながら様子を窺っていた。
その時、魔人態リロイ・ブラウンの上半身に開いた六つの口が、同時に、それぞれ異なる古代語の詠唱を開始した。
同時に、トイフェルスドレックが極大結界魔法を展開して攻撃に備える。
だが、極大結界魔法は魔人態リロイ・ブラウンが無造作に振るったゴーモトの魔人態である巨大化した魔剣、魂喰らいの一撃によって、一瞬にして粉砕されてしまった。
その瞬間、その破壊の原因が単なる物理的な破壊力によるものではなく、魂喰らいによる魔力の吸収にあることをトイフェルスドレックは悟った。
それは、あの玉座の間の戦闘において、バキエルが既に経験したものではあったが、その時破壊されたのはバキエルが反射的に発動した簡易的な魔力の盾であったので、トイフェルスドレックもそれほど警戒していなかったのである。
だが、今やゴーモトの魔人態として巨大化した魂喰らいは、トイフェルスドレックの極大結界魔法をさえ、一撃で消し去る能力を具えていることがこの時、判明したのである。
それはもはや、祭司系の最上位魔法の一つである魔法消去に匹敵するものであるとトイフェルスドレックは判断し、その情報が一行の集合意識に共有される。
ちょうどその時、魔人態リロイ・ブラウンが上半身に持つ六つの口が詠唱を完了した。
一行の足元から複数の強大な氷柱が出現したかと思うと、それぞれが瞬く間に膨れ上がり、一つの巨大な氷の山が出現した。
一行は皆、その一瞬前に神速による飛翔によってそれを回避していたが、彼らの身体がまだ空中にあるうちに、今度は激しい爆炎がそれぞれに襲い掛かった。
グィードとヒューゴは、それぞれ再度の神速移動によってそれを躱した。
スオウはなんと、空中で一瞬にして鬼人化すると、神通力によってその爆炎に匹敵する巨大な火球を発生させて爆炎を相殺させてしまった。
スカーレットは、神聖守護霊装の盾から発生する魔力の盾で全身を覆って爆炎から身を守った。
ザムジードもまた、黒紫の光を放つ暗黒魔力による結界で全身を覆って爆炎を凌いだ。
トイフェルスドレックもまた個人用の魔力の盾を展開して自分の身を守った。
ウァサゴはと言えば、いつも身に着けている黒衣の背から同色の花が咲き、一瞬にして閉じたようにしてその全身を覆い、一切の害を受けていないようであった。
そしてレーナは、グィードやヒューゴたちのように神速で躱すことも可能ではあったが、その一瞬に心に閃いた冒険を実行した。
すなわち、祭司系の最上位魔法の一つである魔法消去を発動したのである。
レーナの目の前で爆炎が一瞬にして消滅した。
祭司系の上位固有職である神仙となったレーナは、あらゆる祭司系の魔法を自在に行使できるのであったが、その能力に経験が追い付いていないために、それらを常に適切に用いるということは未だできずにいた。
しかしこの時、直前に一行の集合意識に共有された魔法消去の情報を受けて、レーナはそれを実行したのであった。
そしてその経験は、今後の戦闘におけるレーナの役割と一行の戦術に、大きな可能性を生み出すものであった。
最初に反撃に移ったのはグィードであった。
神速で魔人態リロイ・ブラウンの右背後に移動したグィードが渾身の気迫を込めて斬りかかる。
「死神による速弾きの追奏曲!!!」
グィードの闘気を受けて巨大化した愛剣から、無数の死神の鎌による斬撃が繰り出されてリロイ・ブラウンの右腕を一瞬にして斬り刻んだ。
無数の肉塊が巨大化した魔剣、魂喰らいもろとも床に落ち、ガシャンという音を立てた。
同時に、ヒューゴもまたリロイ・ブラウンの左背後に神速移動して斬りかかっている。
「王殺しの速弾きの追奏曲!!!」
ヒューゴの闘気を受けて巨大化した愛剣から、グィードによって王殺しと名付けられた斬撃が無数に繰り出され、リロイ・ブラウンの左腕を斬り刻んだ。
そして、その瞬間を待っていたかのようにリロイ・ブラウンの正面に飛翔した鬼人が渾身の力を込めて顔面を殴り付ける。
両腕を失ったリロイ・ブラウンの巨体が真後ろに吹っ飛んで倒れる。
しかし、次の瞬間には床に散らばる肉塊が、それぞれ単細胞生物のようにもぞもぞと動き、あたかも共喰いでもするかのように次々に組み合わされて二本の腕の形を取り戻すと、右腕は傍に転がる魂喰らいを握り、倒れたままのリロイ・ブラウンの両肩から伸びた無数の腱に引かれるようにして元に戻った。
やがてリロイ・ブラウンがゆっくりと立ち上がろうとする動作を見せた。
それは一行も予想していたことではあったが、実際にそれを目にすると皆、一様に怖気立たずにはいられなかった。
「さて、トイフェルスドレック。何か彼奴をやっつける良い手はあるのか?」
グィードが敢えて声に出して尋ねた。
それは一行を安心させるためであった。
「そうだな。奴を滅することが不可能だとは言わないが、今の我々には時間が一瞬でも惜しい。となれば我々が遺物を回収して脱出する間、奴を行動不能にするというのが最善手だな」
「分かった。そういう訳だスカーレット、久しぶりにこれを使おう」
そう言ってグィードは、腰の皮袋からちょうど手のひらに収まるほどの金属製の立方体を取り出した。
立方体の表面には細やかな幾何学的な意匠と超古代のものと思われる文字が刻まれていた。
その立方体を見て、トイフェルスドレックとウァサゴが同時に「ほう」とだけ言った。
そしてウァサゴの口元は何とも言えない歪みを見せた。
その何とも言えないウァサゴの表情を眺めながら、スカーレットがグィードの方へ右手を伸ばして口を開く。
「分かったわ。任せて」
グィードが立方体をスカーレットの方へ放った。
スカーレットが立方体をキャッチする。
そうこうしているうちに、完全に立ち上がったリロイ・ブラウンの六つの口が再び詠唱を始めていた。
今度は一行は、その詠唱が終わるのを待たなかった。
グィードとザムジードとウァサゴ、そしてヒューゴとレーナとスオウが、それぞれ息を合わせて神速でリロイ・ブラウンを包囲して、同時に攻撃を仕掛ける。
それはそれぞれ烏の数え歌、善良なる隣人と呼ばれる連携攻撃であって、並みの敵であればそれを一人で凌ぎ切ることなど不可能なほどに激しい波状攻撃であった。
しかし、魔人態リロイ・ブラウンはその巨体に似合わぬ素早い動きと剣捌きによってそれを凌ぎ、且つ、六つの口の詠唱もまた途切れさせなかった。
詠唱が完了し、またも強力な破壊魔法が発動するかに見えた瞬間、リロイ・ブラウンの頭上に神速飛翔したレーナが発動した魔法消去によって、六つすべての魔法が掻き消されたのであった。
魔法消去とは、個々の魔法に対してではなく、術者の力量に応じて一定の空間内に発生する魔力を完全に無効化するものであるから、術者が対象に接近して発動すれば、対象の魔力の一切を打ち消すことができるのであった。
ただ通常の祭司職であれば、なかなかそこまで対象に接近して発動するということはできないのであるが、レーナは体術による接近戦においても最上級の実力を具えた神仙であったために、それが可能であったのだ。
警戒していた魔法による反撃を完全に封じ込めることに成功した一行は、勝負に出る。
先ほどよりも徹底的にリロイ・ブラウンの身体を破壊するために、一同は一斉に奥義級の攻撃を仕掛ける。
「死神による速弾きの追奏曲!!!」
「猛鴉爪襲乱舞!!!」
「凶刃輪転乱舞!!!」
「王殺しの速弾きの追奏曲!!!」
「駆逐者の速弾き追奏曲!!!」
「鬼功法、百鬼繚乱!!!」
瞬きの間に無限に繰り返される斬撃と乱打の前に、リロイ・ブラウンは成す術もなく立ち尽くしている。
だがその肉体は斬り刻まれ、削り取られながら、異常な速度で再生を繰り返していた。
このままでは神話に謳われる永劫の戦いのように、戦いが永遠に終わらないのではないかとレーナが考え始めた時、トイフェルスドレックが魔法の詠唱に入った。
巨大な魔力の気配を感じ取って、一同が神速で飛び退く。
「雷神の鉄鎚!!」
その瞬間、一同の耳を劈くような轟音が起こった。
そこは屋内であり当然、雲一つ存在しなかったが、斬り刻まれ、まだ完全に再生しきっていないリロイ・ブラウンの巨体を落雷が襲ったのであった。
焼け焦げた肉塊が辺りに飛び散ったが、肉塊は消滅せず、そのまま放置すれば数十秒のうちに再生を開始するであろうことをトイフェルスドレックが一行の集合意識に共有した。
その時、スカーレットが先ほどの立方体を肉塊が飛び散った辺りの中心に放った。
チリーン、チリーンという音を立てて、立方体が賽子のように転がり、やがて止まった。
それを見ながらスカーレットが超古代語の詠唱を始める。
その時初めて、一行の集合意識にも立方体の正体が共有された。
それはかつてグィードとスカーレットがウァサゴを封印するために用いた対魔族用の封印の秘宝なのであった。
そしてそれは大変な貴重品であったから、当然グィードはあのウァサゴとの戦いの直後に回収していた。
ただそれを発動することは聖騎士であり、しかもウァサゴの加護によって無尽蔵とも言える神聖魔力を持ったスカーレットにしかできないのであった。
つまりウァサゴはかつて、自らの加護を受けたスカーレットによってこそ初めて発動可能な封印の秘宝によって封印されていたということになる。
その点から考えても、今思えばウァサゴは初めからグィードとスカーレットに敵意など持っていなかったことは明らかなのであったが、若き日のグィードとスカーレットは、そのようなことは露とも知らず、ウァサゴもまたそのように仕向けていたために、言ってしまえばウァサゴは、ついうっかりと封印されてしまったのであった。
それが先ほど立方体を見てウァサゴが何とも言えない表情をした理由であった。
いずれにせよ、今や封印の秘宝はスカーレットによって発動され、その場からリロイ・ブラウンとゴーモトの気配は全く消え去っていた。
ただその封印を完全なものとするためには、ウァサゴの場合のように聖域を定めて儀式を施す必要があることをグィードやスカーレット、トイフェルスドレックらは知っていた。
封印が完了したことを知るとグィードはおもむろに封印の秘宝に近づき、無造作に拾い上げた。
そしてそれを右手の中で弄びながら口を開いた。
「これまでずいぶんこいつらには悩まされたが、終わっちまえば案外呆気ないもんだったな」
その勝利を可能にしたのはスカーレットの存在であることに気付いて、ヒューゴがスカーレットの横顔を眺める。
その視線に気付いてスカーレットが振り返り、ヒューゴに微笑む。
その微笑みにヒューゴは、優しさと共に頼もしさを見た。
そして改めて、かつてのグィードとスカーレットは確かに無敵の冒険者であったろうと確信して、誇らしい気持ちになった。
自分はその二人の息子なのだ。
その時、ヒューゴの心を読み取ったようにグィードが口を開いた。
「俺たち三人は無敵の家族だ。魔王だって大したことは無いさ」
「うん」
ヒューゴが少年らしい笑顔で力強く頷く。
それからグィードは、封印の秘宝をトイフェルスドレックの方へと放った。
「そいつはおまえに任せる。煮るなり焼くなり好きにすればいい」
ふとグィードが床の一点に視線を向けた。
そこには通常の大きさに戻った魔剣、魂喰らいが転がっていた。
「ザムジード、その剣はおまえと相性が良さそうだ。貰って行けよ」
グィードがそう言ったのを聞いてザムジードは一瞬、戸惑ったが、そのとき腰の長剣からザムジードにだけ聞こえる声でアガレスが語り掛けた。
「そいつは良い。その方が私も力を振るい易くなるからな」
それを聞いてザムジードは決心し、これまでの長剣を捨てて魂喰らいを拾い上げた。
すると不思議なことに、これまで大剣ほどの大きさであった魂喰らいが一回り小さくなり、ザムジードの腰の鞘にピッタリと収まる長剣に変化した。
それを見てグィードが興味深げに尋ねた。
「それもアガレスの力か?」
「恐らくな」
ザムジードが苦笑いしながら答えた。
正直なところ、ザムジードはアガレスのことをほとんど理解していなかった。
これまでザムジードにとってアガレスとは、魔王の依代である自分を見張る存在であり、加護と呼ばれる超常的な力をもたらす人外の存在に過ぎなかった。
だがグィードたちに同行する精霊ウァサゴやグレモリーを見るうちに、同じく精霊であるアガレスに対するザムジードの見方は変化し始めていた。
また何よりもアガレスは、今やザムジードをガムビエルの元から解放しようとしているのである。
とは言え、その道の先にも魔王の依代であるという運命は付いて回るらしい。
だが今やザムジードは孤独ではないことを知っていた。
直前の戦闘においてザムジードは初めて、ヒューゴが発動した英雄波動共振によって一行と集合意識を共有した。
その経験がザムジードの心から、何か硬い殻のようなものを引き剥がしてしまったのであった。
一行は再びザムジードを先頭にして歩み始めた。




