第5話 コイツは“無価値”なんかじゃない
ガザルム坑道の中は、外とはまるで空気が違っていた。
湿った冷気が肌へまとわりつき、ランタンの火が揺れるたび、岩壁に映る影まで蠢いて見える。
奥から響くのは、水滴の落ちる音だけだった。
静かすぎる坑道は、まるで巨大な生き物の腹の中みたいで、妙に落ち着かなかった。
帰還者ほぼゼロ。
危険度B。
改めて考えなくても、完全に来る場所を間違えている。
少なくとも、商人見習いと元奴隷が気軽に入っていい場所じゃなかった。
「……現地調達って、何を調達したらいいんだよ」
俺はぼやきながら、背負ったリュックを揺らした。
坑道に入る直前、ヴェルカは酒瓶を片手にケラケラ笑いながらこう言ったのだ。
『足りないものは現地調達しな』
雑すぎる。
武器も作戦もほぼ丸投げである。
頼みの綱のリュックも、中身はロープ、鍋、フライパン、工具、折りたたみシャベル、干し肉、果物ナイフ。
あと何故か魚の干物まで入っている。
本当にこの人、俺たちを生かして帰す気あるんだろうか。
そんなことを考えていると、不意に隣でミリスがしゃがみ込んだ。
「?」
何をしているのかと思えば、地面に落ちていた石を拾っている。
しかも一個ではない。形を見比べながら、真面目な顔でいくつも集め始めた。
「……ミリス?」
「使えるかもしれない」
そう言って、石をリュックへ入れる。
《ただの石:0G》
綺麗なくらい価値ゼロだった。
「いや……石集めてどうするんだ?」
「投げる」
あまりにも真顔で返されて、一瞬ツッコミに困る。
「……役に立ちたい」
ミリスは石を握ったまま、小さく呟いた。
「クラドの」
「…………」
本人に変な気は一切ないのが余計に困る。
無表情で、ただ当然みたいにそう言うのだ。
以前のミリスなら、命令されない限り自分から動こうとはしなかった。
けれど今は違う。何か役立てるものはないか、自分で考えて探している。
その方向性が若干ズレてる気もするけど。
「……まあ、持つだけなら好きにしろ」
「うん」
ミリスはほんの少しだけ嬉しそうに頷くと、また石を選び始めた。
地味に丸いものや握りやすそうな形を選別している辺り、本人的にはかなり真剣らしい。
だが、その時だった。
――カサッ。
微かな物音。
俺は反射的にランタンを向けた。
暗闇の奥。岩陰の向こうで、赤い光がぬらりと揺れる。
一つじゃない。
二つ、三つ――複数。
「……ミリス」
「うん」
空気が張り詰める。
次の瞬間、ギャギャッ! という耳障りな奇声と共に、小柄な影が暗闇から飛び出してきた。
灰色の皮膚。異様に長い腕。口元には獣みたいな牙。
《坑道ゴブ:32G》
「うわっ⁉」
一匹だけじゃない。次々と飛び出してくる。四匹だ。
しかも速い。
「来る!」
ミリスの声と同時に、一匹が真正面から飛び掛かってきた。
咄嗟にリュックを前へ出す。鈍い衝撃が腕に走った。
「ってぇ⁉」
後ろへよろける。普通に重い。普通に怖い。
というか、やっぱり武器が足りない!
「ナイフ一本でどうしろってんだ、あの酒カス‼」
叫びながら果物ナイフを抜くが、リーチが短すぎる。この距離で殴り合うのは危険だ。
再びゴブが飛び掛かってくる。
その瞬間、脳裏にヴェルカの言葉が蘇った。
『商人ってのはねえ、商品を見るんじゃあない。“価値”を見るんだよ』
「……価値」
視線が、リュックへ落ちる。
使える物じゃない。
――“使える価値を与えられる物”。
俺は咄嗟に、リュックからフライパンを引き抜いた。
《鉄製フライパン:45G》
価値操作。
頭の奥が熱くなる。
《鉄製フライパン:45G → 簡易鋼盾:310G》
瞬間、フライパンが淡く光った。
直後――ガギィン‼ と硬質な音が響き、飛び掛かったゴブが弾き返される。
「止めた……⁉」
ただの調理器具だったはずのフライパンが、盾みたいに衝撃を受け止めていた。
ミリスが目を丸くする。
「……硬い」
「いける……!」
なら――!
「ミリス! その石を投げろ‼」
「うん!」
ミリスが全力で石を投げる。
ビシャッ‼ と妙に重い音が響いた。
《ただの石:0G → 投擲礫石:40G》
直撃したゴブが、そのまま後ろへ吹っ飛ぶ。
「はぁ⁉」
俺もミリスも同時に目を見開いた。
今の石、威力おかしくなかったか?
吹き飛ばされたゴブが、岩壁へ叩き付けられて悲鳴を上げる。
ミリスは自分の手を見下ろし、それから石が消えた先を見て、小さく瞬きをした。
「……飛んだ」
「いや、今の何だよ⁉」
岩壁へ叩き付けられたゴブが、そのまま動かなくなる。
あんな威力、ただの投石じゃあり得ない。
だが考えてる暇はない。別のゴブが横から飛び掛かってくる。
俺は咄嗟にフライパンを叩き付けた。
ガンッ‼ と鈍い音。
ゴブが床へ転がる。
《鉄製フライパン:簡易鋼盾 耐久低下》
「うっ……!」
頭の奥に、妙な感覚が流れ込む。
価値を変えた物の状態が、何となく分かる。
なら――。
「ミリス! もっと石を!」
「うん」
ミリスが即座に石を差し出してくる。
しかもさっきより選別が進んでいた。
丸い石。尖った石。平たい石。
本人なりに“用途”を考えているらしい。
こんな状況なのに、少しだけ笑いそうになった。
「よし……!」
飛び掛かってくるゴブを睨みながら、俺は石に意識を集中させる。
《ただの石:0G》
価値を与える。
もっと危険に。もっと脅威に。
《ただの石:0G → 爆裂鉱石:180G》
石の表面に赤い亀裂のような光が走った。
「ミリス! 投げろ!」
「うん」
放られた石がゴブの足元へ転がる。
直後。
――ドゴォン‼
爆炎が坑道を揺らした。
「ギャアアッ⁉」
二匹まとめて吹き飛ぶ。熱風が顔を叩いた。
「うわっ、マジで爆発した⁉」
「……すごい」
ミリスが少しだけ目を輝かせていた。
その顔を見た瞬間、妙な確信が湧く。
いける。
“価値”さえ作れれば戦える。
ゴブたちが警戒したように距離を取る。
その隙に、ミリスがまた石を拾って差し出してきた。
「次」
「サンキュ!」
俺は半ば反射で石を掴む。
今度は別のイメージ。
眩しさ。閃き。目潰し。
《ただの石:0G → 閃光鉱:95G》
白い光が石の内部で明滅する。
「投げろ!」
石が宙を舞う。
次の瞬間。
バシュゥッ‼
坑道を白光が埋め尽くした。
「ギャッ⁉」
ゴブたちが一斉に目を押さえて暴れ回る。
「今だ!」
俺は駆け出し、フライパンを横殴りに振るった。
ゴッ‼ と鈍い感触。
さらにミリスの投石が飛ぶ。
ドガッ‼
さっきまでの“ただの石投げ”じゃない。
価値を与えられた瞬間、完全に武器へ変わった。
ゴブの一匹が悲鳴を上げながら逃げ出そうとする。
その背中へ、俺は最後の石を構える。
「これで――!」
今度は熱。火種。着火。
《ただの石:0G → 火打ち魔石:60G》
石が壁に激突した瞬間、内部で圧縮されていた火打ち鉱が弾け、激しい火花を撒き散らす。
近くに零れていたランタン油へ引火する。
ボワッ‼ と炎が広がり、逃げかけたゴブが火だるまになった。
「ギィィィッ⁉」
悲鳴を上げながら転げ回り、そのまま動かなくなる。
静寂。
焦げ臭い煙だけが坑道へ漂った。
「…………」
俺は肩で息をしながら、自分の手を見る。
ただの石だった。
そこら辺に落ちてる、価値ゼロの石。なのに。
「……戦えた」
呆然と呟く。
すると隣で、ミリスが小さく頷いた。
「クラド、すごい」
「いや、ミリスの石集めも大概だろ……」
「役に立った?」
不安そうに聞かれて、一瞬言葉に詰まる。
それから、俺は笑った。
「ああ。めちゃくちゃ助かった」
ミリスは少しだけ目を丸くした。
それから、口元がほんの僅かに緩む。
その表情を見た瞬間、胸の奥が妙にざわつく。
たった一言褒められただけで、そんな顔をするのか。
……ほんと、今までどんな扱いを受けてきたんだ。
だが感傷に浸っている余裕はない。
坑道の奥からは、相変わらず不気味な風音が響いていた。
「……行くか」
「うん」
俺たちは再び、暗い坑道の奥へ足を踏み入れた。
***
そこから先は、半分くらい勢いだった。
道中でも何度か魔物に遭遇した。
天井から飛び掛かってくる《坑道ゴブ》、岩陰に擬態していた《鉱喰いムカデ》、暗闇の中で羽音だけ響かせる《盲目蝙蝠》。
正直、一歩間違えれば普通に死んでいたと思う。
けれど、その度に俺たちは“価値”を作った。
石ころは投げれば弾丸になり、工具は罠になった。
ロープは拘束具へ変わり、鍋は即席の防具になる。
フライパンに至っては、もはや完全に盾だった。
最初は手探りだった戦い方も、少しずつ形になり始めていた。
「右」
ミリスの短い声が飛ぶ。
反射的に身を屈めた直後、頭上を鉱喰いムカデの脚が掠めた。
そこへミリスの投石が直撃し、魔物が岩壁に叩き付けられる。
以前の彼女なら、こんな風に自分から動けなかっただろう。
だが今は違う。周囲を見て、必要な物を探し、自分で考えて動いている。
その変化が、何だか少し嬉しかった。
「……というか、なんでそんなに石拾うの慣れてるんだよ」
「いっぱい落ちてるから」
「理由になってないんだよなぁ……」
リュックの中は、いつの間にか石だらけになっていた。
けれど、その石に何度助けられたか分からない。
気付けば俺自身も、“価値のない物”を見る目が少し変わり始めていた。
そして、どれくらい歩いただろうか。
狭かった坑道が、不意に大きく開ける。
「……うわ」
思わず声が漏れた。
巨大な空洞だった。天井は遥か高く、岩壁一面に青白い鉱石が結晶のように突き出している。
暗闇のはずなのに、洞窟そのものが淡く発光していた。
まるで夜空の中へ迷い込んだようだった。
「……綺麗」
隣でミリスが小さく呟く。
その中心に、一際強く輝く鉱石があった。
雫みたいな形をした、透き通る蒼。
視界に文字が浮かぶ。
《星涙石:価値測定不能》
「――これか」
喉が鳴った。
素人目でも分かる。ただの宝石じゃない。
街一つ買えるというヴェルカの言葉が、冗談に思えなくなるほどの存在感だった。
「やっば……」
吸い寄せられるように近づく。こんなもの、本当に存在したのか。
「思ったより簡単だったな……」
気が緩んだのは、その時だった。
「……クラド」
ミリスの声に、思わず振り返る。
だが、ミリスは俺を見ていなかった。
その視線は、俺の後ろに向いている。
顔色が変わっていた。感情の薄い彼女が、はっきりと怯えていた。
「……いる」
その一言で、背筋が粟立った。
気付けば、水滴の音が消えている。
さっきまで感じていた洞窟の気配そのものが、どこか遠ざかっていた。
静かすぎた。
まるで巨大な何かが息を潜め、こちらを見下ろしているような静寂だった。
嫌な汗が首筋を伝う。
恐る恐る、振り返る。
最初、それが何なのか分からなかった。
壁だと思った。黒い岩盤が、洞窟の奥にそびえているのだと。
だが違う。
それは、ゆっくりと動いていた。
ゴリ――――ッ。
鈍い音が響く。
巨大な顎が、岩壁を噛み砕いていた。
岩が豆腐みたいに砕け散り、火花を散らしながら崩れ落ちる。
暗闇の中で、赤熱した鉄みたいな光がゆっくり揺れた。
目だった。
あまりにも巨大すぎて、距離感が狂う。
馬車より大きい頭部。岩盤みたいな黒鉄色の外殻。
全身を覆う無数の傷。
そして、鉄臭い熱風みたいな息。
《――価値測……》
表示が途中で乱れた。
バチッ、と視界の文字が火花みたいに明滅する。
こんなの、初めてだった。
――『グラン・モルド』。
黒鉄喰らい。
帰還者ほぼゼロ。
その意味を、俺はようやく理解した。
グラン・モルドが、ゆっくりこちらへ顔を向けた。
赤熱したような眼光が、暗闇の奥で鈍く揺れる。
その瞬間、全身の毛穴が一斉に開いた。
「――逃げるぞ、ミリス!」
「うん!」
反射的に叫び、星涙石を掴んで駆け出す。
だが背後で、ギギギギ……と金属を擦るような異音が響いた。
振り返る。
グラン・モルドが、岩壁に巨大な爪を突き立てていた。
次の瞬間、轟音と共に天井の岩塊が崩れ落ちる。
「っ⁉」
退路を塞がれた。
土煙が舞い、坑道が揺れる。
逃がさない。
そう言われた気がした。
「ウソだろ……」
喉が引きつる。
その時、不意にヴェルカの軽薄な声が脳裏によみがえった。
『まあ、バレた時は頑張って倒すしかないね』
「……冗談じゃなかったのかよ、あの酒カス……!」
思わず悪態が漏れる。
だが、泣き言を言っても状況は変わらない。
グラン・モルドが低く唸るたび、坑道全体が震えていた。
まともに戦えば死ぬ。
それでも、戦わなきゃ終わる。
俺は荒い息を吐きながら、背中のリュックへ手を突っ込んだ。
ロープ。鍋。フライパン。工具。干物。シャベル。果物ナイフ。
改めて見ても、酷い荷物だ。
けれど。
「……やるしかない」
ヴェルカは言っていた。
商品を見るな。価値を見ろ、と。
なら――このガラクタ全部に、使い道があるはずだ。
隣でミリスが、小さく石を握り締める。
「クラド」
「ああ」
俺は震える手でフライパンを構えた。
目の前では、黒鉄喰らいがゆっくり口を開いている。
まるで、獲物を味わうみたいに。
クラドとミリス 現在の所持アイテム
・鉄製フライパン
・ロープ
・鍋
・工具セット(金槌、レンチ、釘、etc…)
・折りたたみ式シャベル
・干し肉
・果物ナイフ
・魚の干物
・ただの石×25個




