第34話 オレたちの価値は、オレたちが決める!
巨体が大きく揺れ、そのまま石畳へ崩れ落ちた。
ゆっくりと土煙が晴れる。
焦げた胸板。
焼き潰れた右目。
額にはヴェルカの蹴り跡が深々と刻まれていた。
それでも、ベリアルは起き上がろうとはせず、ただ自分の掌を見ていた。
『ぐ……。何故、だ……』
低く唸るような声が響く。
『何故、我に攻撃が届いた』
その問いは俺たちではなく、自分自身に向けられているようだった。
『我に奪えぬ価値はない。我の前では全てが無価値となるはず』
大きな掌――その中央に空いた風穴を見つめ、ゆっくりと握る。
触れたものの価値を奪う掌に、初めて付けられた傷なのだろう。
その姿を見て、ヴェルカが鼻で笑った。
「どうやら神様ってのも、案外頭は固ェみたいだな」
神を名乗るには、随分と間抜けな顔だ――そう言わんばかりに肩を竦める。
ミリスが俺とベリアルを見比べる。
「結局、どうして攻撃が当たったの?」
「私にも、全く見当が付きません」
屋根から降り立ったカグヤが静かに首を振った。
「私の符術は、触れられた瞬間に崩壊しました。それなのに、クラド殿の攻撃だけが通った理由は……」
「そこなんだ」
俺は二人へ視線を向けながら言った。
「考え方が、逆だったんだよ」
「逆?」
ミリスが瞬きを繰り返す。
「じゃあ逆に聞くが、お前ら、音を殴ったことはあるか?」
その横から、ヴェルカが割って入ってきた。
「……え?」
「光でもいい。掴んだことは?」
あまりに突飛な問いに、二人は揃って黙り込む。
「そんなのできるわけ――」
言いかけたミリスの横で、カグヤが眉を寄せた。
「というより、それと今回の戦いに何の関係が……」
「ああ、普通なら関係ねえ」
ヴェルカはニヤリと笑う。
「けど今回は、その"普通"が答えなんだよ」
俺も頷いた。
「俺の能力も、ベリアルの能力も、本質は同じだ」
掌を見つめながら続ける。
「触れたものの価値を扱う能力。ただ、俺は価値を変えられて、あいつは奪う。それだけの違いだ」
「つまり……同じ条件でしか発動しない?」
カグヤが静かに口にする。
「そういうこと」
するとミリスが、まだ納得できない様子で首を傾げた。
「でもカグヤの攻撃だって、光みたいなものだったよ?」
「いえ……厳密には違います」
今度はカグヤが即座に否定した。
「あれは思念を実体化した術。斬撃も槍も炎も、術式によって"触れられる形"を与えています」
そこまで言って、彼女の表情が止まった。
何かが、頭の中で繋がったらしい。
「……そうか」
小さく漏らしたその一言に、ヴェルカが口角を吊り上げる。
「いい顔になったじゃねえか」
「価値はある。でも――」
そこでヴェルカと目が合う。
お互い、同じ結論へ辿り着いていた。
「触れられねぇ」
「触れられない」
俺とヴェルカの声が重なる。
ミリスが大きく息を呑んだ。
「……あっ!」
その一瞬で、ようやく全員の答えが一つになった。
「触れられなきゃ、俺だって価値を変えることができない」
静まり返った夜市に、その一言だけがはっきりと響いた。
「だから、ベリアルも同じ……」
「そういうことだ」
俺は真っ直ぐベリアルを見据えた。
「逆に言えば、触れられない物の価値には干渉できないんだ。俺も、お前も」
『…………』
ベリアルの眉が僅かに動く。
もう理解し始めているようだ。
「ベルの音も、提灯の閃光も、お前は掴むことができなかった」
「だから無効化することもできなかった」
ヴェルカが肩を竦めて言葉を紡ぐ。
「結局テメェの能力はよォ、触れられるモンにしか効かねえってワケだ」
続けて、ミリスもようやく腑に落ちたように「わかった!」と声を上げた。
「だから最初に砂埃を巻き上げたんだ!」
「それだけじゃなく、あの提灯の光も……!」
俺は静かに頷き、ベリアルの目を見上げる。
「ああ。目を塞げば、俺らに触れることもできないからな」
あの砂埃も、提灯の閃光で目を狙ったのも。全てはそのためだ。
そこまで言うと、ヴェルカが得意そうに鼻を鳴らしながら、俺の肩に肘をかけてきた。
「それに、見えなきゃ避けようもねえからなァ」
ベリアルはしばらく沈黙したまま、俺たちを見つめていた。
やがて、その巨体がゆっくりと起き上がる。
それでも慌てる様子はない。
まるで先刻の一撃すら、自分を知るための試練だったとでも言いたげに。
ベリアルが笑う。
『……見事』
低く響く声。
『よくぞ、我が理を見抜いたな。人の子よ』
黄金の瞳が、初めて俺たちを真っ直ぐと捉える。
そこには侮蔑も慢心もなかった。
まるで強者が強者を認めるような、静かな眼差しだけがある。
『知恵も勇気も、賞賛に値する』
その言葉に、ミリスが小さく拳を握る。
やっと、突破口が見えた。
そう思った、その時だった。
『……だが』
ベリアルの口元が、不気味に吊り上がる。
『貴様らの努力は――やはり無価値だ』
ゆっくりと拳を持ち上げる。
その動きはあまりにも緩慢で、今にも止まってしまいそうなほどだった。
だからこそ、一瞬だけ油断をした。
「……あ?」
最初に違和感を覚えたのはヴェルカだった。
それが伝播するように、俺たちもヒリついた殺気を覚えた。
――違う、ただ殴りかかってくるだけじゃあない。
次の瞬間、ヴェルカの顔色が変わった。
「テメェら、今すぐ走れッ!」
怒鳴る。
今まで聞いたことがないほど切羽詰まった声で。
「走れぇぇぇぇッ!」
『《価格暴落》』
ベリアルの拳が、静かに地面に触れた。
音はない。衝撃もなかった。
その代わり、拳の落ちた一点から、石畳の色が抜け落ちた。
「…………っ!」
灰色だった。
色を失った石畳が、さらさらと砂になって崩れていく。
その崩壊の波は止まらない。
水面に広がる波紋のように、街そのものを飲み込みながら、ゆっくりとこちらへ迫ってきた。
俺たちは既に走っていた。
一秒ほど遅れて、ヴェルカも必死に崩壊から逃げる。
だが瞬きをした隙に、灰色は凄まじい速度で追い付いてくる。
「あっ……」
背後で、ミリスが瓦礫に足を取られた。
後ろを振り返る。けれど、戻ったらこの崩壊に巻き込まれてしまう……。
いや、考えるな。こんなところで仲間を見捨てるなんて――。
「ミリス! 掴まれッ!」
あっていいわけないだろ!
俺は咄嗟に手を伸ばし、力の限りミリスの腕を引っ張り上げた。
崩壊が、目と鼻の先まで接近する。
だが――
「うおぉぉぉぉぉ、らぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
間一髪、崩壊は俺の足元で止まった。
ギリギリだったが、ミリスも無事だった。
「ミリス、大丈夫かお前?」
「う、うん……。クラド、ありがとう」
ヴェルカの問いに、ミリスは息も絶え絶えに答える。
だが、その直後。
《斬》
カグヤが札に血を与え、ミリスの髪を肩口でばっさりと切り落とした。
「カグヤ⁉」
突然の行動に、俺もミリスも思わず振り返る。
切り落とされた銀色の髪が、ふわりと宙を舞った。
カグヤは何も言わず、その髪束を静かに見つめる。
――サラッ。
「おい、これって……」
毛先からゆっくりと、砂のように崩れ、灰となって夜風に溶けていく。
誰も声を出せなかった。
「……まさか」
ミリスが震える指で、短くなった銀髪を触る。
カグヤは苦々しく頷いた。
「危ない所でした。あと半歩でも遅れていたら――」
唇を噛みしめ、ゆっくりと口を開く。
「髪だけじゃ済みませんでした」
崩壊したミリスの髪が、他の何より雄弁だった。
ベリアルの方を見れば、そこには何もない。
平原と見紛うほどの灰色がベリアルを囲んでいた。
価値を奪われた。そのせいで、そこにあった瓦礫も民家も、何もかもが灰に消えた。
ミリスの髪も同じだ。
もし、あの崩壊に身体ごと巻き込まれていたら。
――カグヤが、ミリスの髪の異変に気付かなかったら。
「そんなのって、アリかよ……」
吐き気を催すような“最悪”が脳裏を過った。
『逃げたか。つくづく運の良い奴らよ』
ベリアルが拳を引き上げながら振り返る。
その顔には微かに余裕が潜んでいた。
俺たちを見下して、嗤っている。
「ベリアル……!」
『先までのは、ただの余興に過ぎぬ。これが我が能力《価格暴落》の真なる力』
ベリアルは灰色の大地を踏み鳴らし、大きな口を開けた。
『撃ち抜いた地面、その周囲のものの価値を奪う。実に単純な能力……』
範囲はまだよく分からない。けれどそれはつまり……。
「殴った周りを丸々更地にするってことかよ」
ヴェルカがゴクリと固唾を呑む。
触れるだとか、握り潰すだとか、そんな簡単なことじゃあない。
殴るだけで、ただそれだけでいいなんて……。
――『ミナスガルドを消す』。
ゼロが言っていたことを思い出す。
慥かに、コイツの理不尽な能力なら、簡単だろう。
「やっぱり、そう上手くは行かねえってワケかよ……」
ぽつりと呟いて、ヴェルカは俺たちを振り返った。
瞳孔が震えている。
こんなことは初めてだ……。
『どうした? 先程までの威勢は何処へ行った?』
「う、うるせえ! この程度でビビるもんか!」
俺は足元に落ちていた石を掴んで、ベリアルを睨みつけた。
折角、弱点を掴んだんだ。たとえ無茶をしてでも、倒すしかない。
《瓦礫:0G → ――》
いつも通り、価値を与えようとした、その時だった。
「がふっ――!」
血。
後頭部に、殴られたような痛み。
視界がぼやける。
「クラド殿っ! うっ……」
カグヤもふらっ、と膝を付く。
この感覚――グラン・モルドとの戦いの時と同じだ。
能力を使いすぎた。
「畜生、こんな時に二人揃って燃料切れか……?」
「二人とも、しっかり」
ミリスがポケットからクッキーを取り出してくれた。
いつの間に忍ばせていたんだ……?
けれど、クッキーだけじゃあ、流石に回復はできなかった。
「ずっと戦いっぱなし……だったせいかな……」
連日の戦闘から、まだ時間も経っていない。
カグヤも同じだろう。
あれだけの符術を使うのに、血を大量に使ったんだ。
「う……申し訳が……立たないです……」
「いや、謝る必要はねえ」
言いながら、ヴェルカがベリアルの前に立ちはだかる。
「アンタらに無理をさせたのは他でもねえ、この私だ」
「ヴェルカ?」
「師匠ともあろうモンが情けねえ。そりゃ、ナマグサ坊主に“利用してる”なんて言われても仕方ねえ」
ヴェルカは乾いた声で嘲笑う。
笑いながら、灰色の更地に足を踏み入れる。
「おいヴェルカ、何するつもり――」
「クラド」
俺の言葉を遮って、ヴェルカは俯いた。
「……師匠が弟子のケツ持ちするなんざ、当たり前だろうが」
「だめです! ヴェルカ殿、一人で挑んで勝てる相手じゃ――」
「いいんだよ。大人らしく、最後くらい華持たせろや」
後ろを振り返り、ヴェルカはニッ、と笑みを浮かべる。
「燃料切れでも、国民逃がすくらいの膂力はあるだろ?」
有無を言わせずに、ヴェルカは再びベリアルを見据えた。
「てなわけでデカブツ! ここからは私とサシで殺ろうや」
『フ……。何かと思えば、無駄な足掻きか』
ベリアルは鼻で笑い、ゆっくりとヴェルカを見下ろした。
『羽虫一匹、貴様ごときに何ができる?』
「何ができると思う?」
ヴェルカは余裕な素振りでニヤリと笑う。
そしてベリアルが答える暇も与えず、「残念!」と突き付けた。
「正解は、弟子を逃がすくらいの時間が稼げる。だ!」
『くだらぬ。それが貴様らの言う『価値』というものか?』
ベリアルは肩を揺らし、呆れたようにため息を吐いた。
『いくら時間を稼いだとて、デク人形は所詮デク人形。無価値なことに変わりはない』
勝てるワケがない。
それくらい、俺でも嫌というくらい分かっている。
さっきの一撃だって、弱点を突いて、策を重ねたから、ようやく届いた奇跡みたいな一発だったんだ。
だのに、それでも倒せなかった。
それでも、奴はまだ本気を出しちゃいなかった。
たとえヴェルカでも、そんな化け物相手に一人でどうにかできるはずがない。
「……クラド殿」
カグヤが小さく俺の袖を掴む。
「早く行きましょう」
その声は震えていた。
「でも、ヴェルカが……」
「ミリス殿……。私たちはもう力を出し尽くしました。これ以上は何も――」
間違った判断じゃない。これが、ヴェルカの望んだことだから。
ここで全滅したら、本当に何も残らなくなる。
ヴェルカが命懸けで作った時間まで無駄にしてしまう。
俺は拳を握りしめたまま、カグヤの肩を借りて立ち上がる。
『どう足掻こうと無駄だ。我はここより、この地全てを無に還すのみ』
尚もベリアルは続ける。
一歩、また一歩とヴェルカに近付いていく。
『無価値な貴様らが向かうべき道は一つしか無い』
頭では逃げろと叫んでいる。
無理だ。無茶だ。
でも――
『我らの供物となりて無に還るのみ。それが貴様らの価値だ』
気付けば俺は踵を返していた。
俺の中で、ずっと燻っていた恐怖が吹っ切れたような気がした。
「く、クラド?」
「……決めつけてんじゃねえよ」
「クラド殿!」
「勝手に、価値を決めつけてんじゃねえよ! デカブツがッ!」
震えが止まらない。息も段々と荒くなっている。
ベリアルの巨大な眼孔が俺を睨み付けた。
『何?』
「クラド、お前どうして」
ヴェルカが目を剝く。
俺はその声に振り返らずに、ただベリアルだけを睨み返していた。
「こんな所で、終わらせたくない」
喉が焼ける。
身体は鉛みたいに重い。
それでも、このままヴェルカ一人を犠牲にするなんて、俺にはやっぱり――。
「また何も出来ねえまま終わるくらいなら、死んだ方がマシだ」
その言葉に、ヴェルカが目を丸くした。
昨日、俺が言った言葉だ。
もう、商会の雑用に甘んじて、何もできないで怯えていた俺じゃあない。
「それだけじゃない。師匠にはまだ、商人として学びたいことが沢山あるからさ」
静寂が落ちる。
その背中に、小さな足音が近付いて来た。
「……ミリスも、まだがんばる!」
息を切らしながら、ミリスが静かに笑う。
「勝利の女神様のタイプ、教えてもらったの」
ウィンクのつもりだろう。ぎこちなく右目を瞑ろうとしながら、俺たちを振り返る。
「どれだけ追い詰められても、“絶対に勝つ”って譲らない、いじっぱりな人。だからミリスも、いじっぱりになる」
一体誰だ、ミリスに変なことを吹き込んだ奴は。
そんな誰かの入れ知恵に、カグヤが思わずクスッと噴き出した。
「たしかに、その通りですね。そうでしょう、ヴェルカ殿?」
ヴェルカに話題を振り、カグヤも震える手で札を切る。
面白いくらいに、全員満身創痍だった。
「折角乗りかかった船。今度こそ、沈まないように全力でお供します」
それでも俺たち三人、誰一人として逃げようとは思わなかった。
ヴェルカはしばらく、呆れたように俺たちを眺めていた。
やがて頭を掻き、深々とため息を吐く。
「……これだからガキンチョは、諦めが悪くて――」
呆れたように言いながら、しかし次の瞬間には、腹を抱えて笑い出した。
「だから気に入った! やっぱテメェら拾って正解だったわ!」
「ヴェルカ殿……!」
「ま、私の大事な愛弟子共だ。絶対に死なせはしねェけどよ」
肩を鳴らし、改めてベリアルを睨み上げる。
俺たち四人が、再び並ぶ。
ベリアルだけが、その光景を理解出来ないように目を細めていた。
『愚かなり』
静かに吐き捨てる。
『敗北を知りながら立つなど、無価値以外の何物でもない』
「なるほど。じゃあ私らは、私らの“勝利”に命丸々全賭けしてやるよ」
ヴェルカの音頭に、一歩前へ出る。
ミリスも、カグヤも、同じように戦闘態勢に入る。
痛いはずなのに。苦しいはずなのに。
この時だけは、不思議と全部忘れられた。
「今度こそ、お前に教えてやる!」
大きく息を吸い込んで、俺は叫んだ。
「俺たちの価値は、俺たちが決めるッ!」




