第21話 ソレゾレの目標
人は、本当にどうしようもなくなると静かになるらしい。
泣き喚いたり、暴れたり、そういった元気すらなくなるんだろう。
豪華なスイートルームの天井を見上げながら、俺は浅く息を吐く。
柔らかいソファ。高そうな絨毯。夜景の見える大窓。
俺なんか、一生縁がないような場所だ。
なのに。その全部が、棺桶の内装のようにしか見えなかった。
撃ち抜かれた膝が、心臓のように脈打っている。
ズクン。ズクン。
生きていることを、痛みで教えてくる。
「…………」
部屋の空気は重かった。
カグヤは壁にもたれたまま目を閉じていた。
時折、悔しそうに拳だけが震えている。
ミザールとの戦いで受けた傷も、まだ全然癒えていない。
ミリスも無言だった。
何を考えているのか、それとも何も考えられなくなっているのか、俺には分からない。
そして――。
「んっ、んっ……ぷはぁ~」
一人だけ。本当に一人だけ。
いつも通りの顔で酒を飲む奴がいた。
この人は、本当に……。
「なに呑気に飲んでんだよ!」
気付けば俺はそう吐き捨てていた。
思ったよりも声が響いた。ミリスとカグヤが、ビクッとこちらを振り返る。
けれど、ヴェルカは何食わぬ顔でグラスのワインを飲み干した。
「まあ落ち着けよクラド。焦ったってどうにもならねえんだ」
休んでろ。とまでは言わなかったが、ひらひらと振った手をツマミの皿へ伸ばす。
焦ったって無駄。そんなこと、頭では分かっている。
実際、俺たちが受けた傷は深い。
立ち上がるだけで膝が軋む。
カグヤだって、まだまともに呼吸すら出来ていない。
「でも、明日だぞ? それにヴェルカ一人でどうにかできる問題じゃないだろ」
「それはそうだな。流石の私でも、一人でカグヤの貨物を落札するのは難しい」
「じゃあ――」
と、身を乗り出した俺に手を伸ばし、言葉を遮られた。
「まさかクラド、この私がタダで諦めると思ってんのか?」
言って、ニヤリと笑う。
しかしその目だけは笑っていなかった。
「気持ちは分からなくもねえけどさ」
そう言いながら、ヴェルカは入口を一瞥して、大きな舌打ちをした。
部屋の外では黒服が待機している。
俺たちの監視役、といった所だろう。
「一発ぶん殴りてえが、今真っ正面から潰しに掛るのは悪手だ」
ヴェルカは吐き捨てるように言うと、新しく出したショットグラスに酒を入れる。
まだ飲む気か。
ちょっと呆れたが、どうしてもただのヤケ酒には見えなかった。
そんな空気の中、不意にミリスが小さく口を開いた。
「……ヴェルカ」
「んぁ?」
「もしかして、もう何か考えてる?」
その瞬間、ヴェルカの口角が微かに吊り上がった。
見抜かれたのが意外だったのか、少しだけ楽しそうに笑う。
「なんだミリス、最近ちょっと賢くなったかぁ?」
「バカにしてる?」
「さあ、どうでしょう」
適当をこきながら、ヴェルカはグラスの酒を勢いよく喉へ押し込んだ。
やっぱりバカにしてる。ミリスの頬がぷくっと膨らむ。
ヴェルカはそんなミリスの頬を指で突きながら、ふっと視線を扉へ向けた。
「……ま、奴等に聞かれてるから重要なことは喋れねえが」
そう言って、テーブルのメモ帳を引き寄せる。
ペンを走らせる音だけが、静かな部屋に響く。
俺たちがそれを見守っていると、ヴェルカは短く、こう書いた。
『競売会に入る方法が、一つだけある』
その文字に、俺たちは目を見開いた。
競売会に入れるのはヴェルカ一人だけ。
とどのつまり俺たちは、最初から“客ですらない”。
「ヴェルカ殿、これは一体どういうことなのです?」
「そのままの意味だ。とりあえず、順を追って振り返るぞ」
するとヴェルカは新しいメモ帳に、夜天競売会会場の簡易的な地図を書き出した。
それは地図というより、子供が描いた落書きに近かった。
大きな長方形のホテル。
その隣に、丸で囲われた競売会場。
通路は一本だけ。逃げ道も、ほとんどない。
「夜天競売会の会場は、ホテルの専用通路と繋がっているオペラハウスだ」
入口と思しき場所から線を延ばし、長方形の建物――ホテルへ繋ぐ。
「入場管理は監視員もそうだが、直前に配られるカードの魔力感知で行われる」
「魔力感知?」
聞き慣れない言葉に、ミリスが首を傾げる。
「簡単に言や、カードに込められた魔力の情報を読み取って、参加者か部外者か見分けるんだ」
「じゃあ、もしカグヤの能力でコッソリ入ろうとしても……」
「地下とはレベルが違う。速攻バレて――バンッ!」
乾いた音と同時に、額に衝撃が走った。
ヴェルカのデコピンだった。
「痛ァッ!」
「気を付けろ。本当なら、今ので頭に風穴が空いてたぜ」
ケラケラと、冗談めかしく笑う。
「しかも、他の参加者からカードを奪うって手は無理だと思え」
「ですね。たとえ奪っても、私たちの顔は既に割れていますから……」
「それだけじゃあねえ」
またショットグラスに酒を注ぎながら、ヴェルカは言葉を紡ぐ。
「前も言ったが、夜天競売会には、表じゃ売れねえモンが集まる」
「呪物、奴隷、魔物。金になるなら何でもアリ。だったよな」
「で――そんなモンを欲しがるのは、どんなろくでなしだと思う?」
自虐のつもりだろうか。ヴェルカは歯を剝きながら俺たちに目配せをしてきた。
その問いに、いの一番で答えたのはミリスだった。
「悪い奴」
非常にシンプルすぎる回答だったが、ヴェルカは満足したように大笑いした。
「その通り、参加者はみーんな“悪い奴”だ」
「それじゃあ、ヴェルカも……?」
声を震わせ、ミリスが訊ねる。
ヴェルカは答えなかった。その代わりに、アイスバケツの氷を砕いた。
飛び散った氷の粒が、真っ赤な灯りを乱反射する。
「私みたいな可愛い悪い奴ばかりだったら、話は早ぇんだけどな」
「……どんな奴がいるんだ?」
ふと気になって、俺は恐る恐る口を開いた。
「たとえば人攫い、臓器売買屋、戦争屋、殺し屋。あとは指名手配犯や、国そのものを裏で転がすような連中もいる」
軽い口調で。けど内容は全然笑えるものじゃなかった。
今度はロックグラスに氷を入れながら、ヴェルカは続ける。
「中には、競売中にライバルを殺す奴もいる」
「……えっ?」
俺たちは思わず絶句した。
「オークションってのはな、本来“高値を出した奴”が勝つゲームだろ?」
俺だって知っている。それが競売――オークションのルールだ。
氷をカラカラと鳴らし、ウイスキーを注ぎながら、ヴェルカは肩を竦める。
「でも夜天競売会は違う。前回は、呪具一つを巡って参加者が七人殺された」
「殺され……⁉」
「言葉通りだよ。手に入れるためなら、手段を選ばない」
――そういう奴らが当たり前のように参加している。
それはもはや、市場とは呼べない。
化け物同士が、“欲しいもの”に値段を付け合う処刑場だ。
「要するに。高値を出して、そして最後まで生き残った奴が勝つ」
「そんな場所に、入るっていうのかよ……」
自分でも驚くほど声が上ずっていた。
俺の問いに、ヴェルカは、
「元からその予定だったからな」
息をするように答えて、ウイスキーを一気に飲み干した。
その表情には、さっきまでの軽薄さはない。
代わりに、氷よりも冷たい目が、夜空の星々を見据えていた。
「……でも、そんな危険な場所、運営側の奴らはどうやって出入りするんだ?」
俺はふと思った疑問をヴェルカに投げた。
「流石に、そんな殺気立った地獄の正面玄関から堂々と入ることはねえよ」
「商品を横取りされたくない奴らが襲ってくるから、ですか?」
カグヤの補足に、ヴェルカは「ああ」と静かに頷く。
「競売が始まる前に強奪すりゃ、タダで済むからな」
「物騒……」
「そんなバカは居ねえと思うが、運営側はその対策として“参加者と接触しない導線”を作ってるはずだ」
そう言いながら、ヴェルカは地図の裏側に新しく線を書き足していく。
正面玄関の向かい側――舞台裏から線が伸びていく。
「裏口って、ことか?」
「搬入口兼、運営専用ルートってとこだろうな」
そこでヴェルカはまた入口の扉を振り返り、白紙のメモに短く書いた。
『幹部権限なら通れる』
空気が変わった。
俺たちはその文字を凝視して、互いの顔を見合わせる。
カグヤの指先が、札を握りしめる音を立てる。
ミリスの肩が、小さく震えた。
ヴェルカは更にペンを走らせる。
『だから次は、“ラグナ”と“ゼロ”を潰して、フリーパスを奪う』
ラグナ。
ゼロ。
それが残る《四天鑑定》の名。
ミザールとガノックだけでも、死ぬほど強かった。
なら残り二人も、同格――いや、それ以上だっておかしくない。
「……けどな」
ヴェルカはメモ帳を束ごと灰皿へ放り込み、マッチで火を点けた。
マッチを受け止めたメモ帳が、ゆっくり黒に染まっていく。
書かれていた作戦ごと塗り潰すように。
「本音を言や、私はここで降りろって言いてえ」
その言葉に、部屋が静まり返った。
誰もすぐには答えられなかった。
無理もない。俺は膝を撃ち抜かれて、カグヤも満身創痍。
まともな頭なら、ここで退くのが正解だろう。
「…………」
ここで諦めたら、少なくとも命は拾えるかもしれない。
けれど――。
「……私は、逃げたくない」
「ミリス?」
最初に口を開いたのはミリスだった。
逃げたくない。小さな声で、確かにそう言った。
「怖いのは本当。でも、ここで逃げたら……ダメだと思う」
ぎゅっと、握りしめた拳が白くなる。
「それに、地下にいた子も、苦しそうだったから」
展示室で見た奴隷のことが脳裏を過った。
その姿が、初めてミリスと出会った日の光景と重なる。
「……クラドに助けられた。だから今度は私が、助ける番」
「……ミリス殿の言う通りです」
続けて、カグヤが口を開く。
「できることなら、私もこの悪夢のような競売を終わらせたい」
「カグヤまで……」
「それに、あの貨物の中には、妖刀が封印されています」
「妖刀?」
ヴェルカはぽつりと呟いた。
「悪しき力が封じられた刀。簡単に言えば、呪具です」
「じゃあ、もしその刀が競売に出たら――」
「恐らく……いえ、必ず惨事になるでしょう」
カグヤは真っ直ぐに俺を見つめながら、そう言った。
「だから私も、ここで退くわけには行きません」
俺に向けた視線をヴェルカに移し、彼女の赤い眼をじっと見据えて頷く。
「絶対に止めます」
二人とも、覚悟が決まっていた。
それなのに、俺の膝はずっと笑ったままだ。
「で、クラドはどうなんだ?」
ヴェルカの問いが胸に突き刺さる。
――怖いのは、俺も同じだ。
でも、折角ここまで来たんだ。それを全部無駄にして逃げるなんて――。
「俺は……」
――出来るわけないだろ。
俺は、膝の痛みを殺して立ち上がった。
「また何も出来ねえまま終わるくらいなら、死んだ方がマシだ」
そう言うと、ヴェルカはあっけらかんとした表情で俺たちを一瞥した。
ククッ、と喉を鳴らして、深いため息を吐く。
「……ほんっと、バカばっかりだな」
そう言いながら、しかしヴェルカは嬉しそうに笑った。
「でも、そうじゃなきゃ面白くねえ」
空になったグラスをテーブルに置いて、ヴェルカも立ち上がる。
「それで、どうするんだ?」
俺が訊ねるより先に、ミリスが身を乗り出した。
「幹部はどこにいるの?」
「ゼロは知らねえ」
ヴェルカは残った酒瓶を片手に即答した。
「けど、ラグナの方ならきっと、カジノだ」
「カジノ……?」
カグヤが不思議そうに眉を潜める。ジパングにはないんだろうか。
「カグヤには賭博って言ったら分かるか? あの女、生粋のギャンブラーとして有名なんだよ」
言いながら、ヴェルカは天井――ホテルの上層階を指差した。
「夜天競売会の日、奴は開会までカジノで豪遊するらしい」
商会の連中が、酒の席で話していたことを思い出す。
金持ちが目を剝くほどの大金を賭ける、大人の遊び場。
もちろん俺は行ったことなんてない。
――ただ、このホテルのカジノは、きっと俺の想像より遙かにイカれている。
むせ返るような金の匂い。そして、それを包み込む酒と煙草の臭い。
想像するだけで、頭がクラクラしそうになる。
「お前ら、覚悟しとけ」
そんな俺をよそに、ヴェルカは大きく肩を回した。
わざと外の黒服たちに聞こえるように、大きな声で言い放った。
「女の遊びは、タダじゃあ終わらねえぜ!」




