第20話 ソノ顔に見覚えがあるか?
ついさっきまでの殺気と血の臭いで満ちていた保管庫が、嘘のように静まりかえっている。
その静寂を破るように、アルベリオはスーツの襟を正して咳払いを零した。
「まさか、ここで貴方と再会するとは。夢にも思いませんでした」
冷静さを保ちつつ、信じられないものを見たようにヴェルカを見据える。
「奇遇だな。私からすりゃあ、とんだ悪夢でしかねえが」
対するヴェルカは、まるで旧友に再会したような気軽さで笑う。
なのに空気だけは、さっきまでとは比べものにならないほど重かった。
「ヴェルカ殿? 彼は一体?」
「知り合い?」
カグヤとミリスが、口を揃えて恐る恐る訊ねる。
アルベリオの声。ヴェルカの目。
どう見ても、初対面の空気ではなかった。
「……さァね」
しかし、ヴェルカは心底どうでもよさそうに肩を竦め、首を横に振った。
「あんな鼻につくガキンチョ、知らねえな」
……絶対知り合いだ。
いや、知り合いとか、そんな生易しい関係じゃない。
だがそれ以上は何一つ語ろうとしなかった。これで話は終わりらしい。
「てか、それより――」
「あん? どうしたクラド?」
「なんでここにいるんだよ」
そう訊ねると、ヴェルカは「あー」と面倒臭そうに頭をガリガリと掻いた。
「いやさあ、部屋で暢気に酒飲んでたらよォ」
そう言いながら、手に持ったワインを一気に飲み干して語り始めた。
***
遡ること少し、ちょうどクラドたちが地下へ向かった後のこと。
競売会参加者専用のスイートルーム。
夜景を見下ろせる大窓の前で、ヴェルカはソファに腰を預けながらワイングラスを揺らしていた。
「さて、と。今夜は景気良く行くかァ」
芳醇なブドウの香りと共に、ぐいっと飲み干す。
おつまみを片手に飲む。
塩漬けにした肉に齧り付き、白ワインで肉の臭みごと流し込む。
「ふぃ~、最っ高~!」
晩酌から一時間も経たぬうちに出来上がった。
その調子のまま、続けて三本目の栓を抜いた直後――。
――カチャッ。
背後で、安全装置の外れる音が連鎖した。
ワインの香りが、一瞬にして死臭に変わる。
「……あンれェ?」
ヴェルカはとぼけた様子でワインを一口飲み、
「随分とド派手なルームサービスじゃねえか」
頼んだっけ? と酒に浮かされた脳みそで考えながら、静かに両手を挙げる。
「お気に召しませんでしたか?」
黒服の一人が静かに返す。
続けて感情のない声で、一歩ヴェルカに歩み寄る。
「我々は、格式を重んじるホテルでして」
「ほぉ、そいつは結構」
ケラケラと笑いながら、ヴェルカはワイングラスに手を伸ばす。
「動くな」
声と同時に、十二丁の銃口が睨む。
銃口の射線は、ヴェルカの脳天。
だが、彼女は何食わぬ顔でグラスを揺らし、静かに一口呑み込んだ。
「酒飲んでる客に銃口向けるたァ、随分と教育の行き届いたホテルじゃねえか」
「……何?」
背後の黒服が訝しんだ、次の瞬間。
ヴェルカは、手にしたグラスごと黒服の顎を打ち上げた。
ドスッ、と鈍い音が静寂を生む。
「おかげで、せっかくのワインの香りが台無しだ」
黒服たちの反応は早かった。
「撃て」
誰かの乾いた号令から間を置かず、魔道銃の閃光が室内を埋め尽くす。
だが、ヴェルカは迷うことなく倒れ込む黒服を片手で持ち上げた。
無数の弾丸が、黒服のやや出っ張った腹を蜂の巣に変える。
「悪ぃな。困った時は、近くにいる奴を盾にしていいって、師匠の教えなんだ」
そんな師匠いねえけど。とケラケラ笑いながら、ソファの縁に手をかける。
そのまま、かけた手を軸に脚を横薙ぎに振り抜く。
赤いハイヒールが黒服の側頭部を叩き潰し、吹き飛んだ男が背後のテーブルに激突する。
高級ワインが宙を舞った。
「やべっ、もったいねえ」
ヴェルカは飛び散るボトルを片手で掴み取ると、空中でそれを一気に飲み干し、
「空き瓶処理は頼んだぜ!」
そのまま真正面にいた黒服の脳天を打ち抜いた。
赤い飛沫と硝子片が、まるで血飛沫のように広がっていく。
その隙に、別の黒服が背後に回る。
だがヴェルカは振り向きもしない。
「ったく。テメェら、一端の始末屋ならよく覚えときな」
言いながら、床に落ちた灰皿を蹴り上げる。
丸まった縁を少しだけ伸ばし、ヴェルカは言葉を紡いだ。
「誰かを始末する時ゃ、銃よりナイフの方が便利だぜ」
言うが早いか、銀色の円盤が空中で刃のように回転した。
「な――」
一人目の指が飛ぶ。
二人目の首筋が裂ける。
三人目の魔道銃が、真っ二つに断ち斬られる。
黒服たちは、自分の身に何が起きたのか理解出来ていなかった。
戸惑いが客室に充満する中、ヴェルカだけが凜と佇んでいた。
「さよならだ」
遅れて、黒服たちは一斉に膝を付いて倒れた。
ドサドサと人影が崩れ落ちる中、ヴェルカは深く溜息を吐いた。
足下ではワイン瓶が無様に転がり、カーペットが真っ赤に染まっている。
それがワインの染みなのか、或いは鮮血なのか。今となっては分からない。
***
「……で、多分クラドの方もバレたんだろうな~って思ってさ」
ヴェルカは、まるで散歩中に起きた出来事を振り返るような口調で、肩を竦めた。
「そしたら案の定、マジに死にかけてやんの」
「笑い事じゃねえよ!」
「いやあでも、間に合ってよかったぜ。あと三秒遅かったらお前、顔面潰されてたぞ?」
「縁起でもねえこと言うなよ!」
本当にこの状況を理解しているのか?
疑問に思っていると、アルベリオが静かに口を開いた。
「知らないとは言わせませんよ、ヴェルカ」
「あン? お前、まだいたの?」
「八年前、貴方は“あの方”にギルドごと消されたはず」
鼻血を拭いながら、アルベリオは笑っていた。
しかしヴェルカは面白い冗談でも聞いたように笑い返す。
「相変わらずだなぁ、お前は」
飲み干したワイン瓶を床に投げ捨て、ヴェルカは真っ直ぐアルベリオを見据えた。
「商人が噂話を鵜呑みにするたァ、三流以下だぜ?」
「噂ではありません」
アルベリオは否定した。
「私は、貴方たちが死ぬ瞬間をこの目で見ていますから」
「ならちゃんと見える眼鏡、特別価格で売ってやろうか?」
明らかに、空気が変わった。
さっきまでの軽口とは全く違う、冷たい緊張が走る。
「それで、何故生きているのです?」
「さあ。地獄が満員だったんじゃねえか?」
「亡霊が、ならば今度こそ地獄へ叩き落としてあげましょうか?」
「やれるもんならやってみな。女の幽霊は怖ぇぞ?」
意味が分からなかった。
アルベリオの笑みが、そこで初めて止まった。
「しっかし、本当にみみっちな。お前は」
「みみっちい?」
「今も相変わらず、“秤遊び”でもやってんだろ?」
「少なくとも、貴方のように現実から逃げ続けるよりは有意義ですよ」
「だったら、尚更タチが悪ぃな」
ミリスもカグヤも、割って入ることすらできなかった。
互いに睨み合っている。ただそれだけなのに。
「貴方は何も分かっていない」
アルベリオはやれやれ、と両手を挙げながら続けた。
「人は所詮、“価値”でしか他人を測れない。悲しいかなそれが現実なんですよ」
「……ッ!」
「だから貴方は、あの時――」
アルベリオが一歩前へ踏み込んだ、その時。
「アルベリオ様!」
――ガチャガチャガチャッ!
突然、空気を断ち切るように黒服たちが雪崩れ込んできた。
人数は四十……いや五十以上か。手には狩猟用の魔道銃が構えられている。
「コイツら、いつの間に……!」
「ミリス殿、私の近くに」
カグヤは咄嗟にミリスを庇うよう前に出た。
血塗れの身体がふらつく。それでも札だけは離さない。
俺も床に散らばった金貨を掴み取って構える。
たとえ指が砕けようが、ここで止まるワケには行かない――。
「おいおい。こりゃあ、いいお友達を持ったなあ」
対するヴェルカは、まるで酒場の喧嘩でも始めるように肩を回す。
やる気満々、といった様子だ。
しかし――。
「――銃を下ろしたまえ」
アルベリオが、静かに告げた。
その声に、黒服たちは動揺を隠せずにいた。
「し、しかしアルベリオ様、彼奴らは――」
「聞こえませんでしたか?」
笑顔のまま、アルベリオは黒服たちを一瞥する。
それ以上は何も口にしない。だが彼らは、渋々と銃口を下げていった。
「……コイツは、なんの真似だい?」
ヴェルカは訝しんだ。
「情けのつもりなら、余計なお世話だぞ」
「まさか。勘違いしないでいただきたい」
アルベリオは笑い声を殺し、ゆっくりと両腕を広げた。
「ヴェルカ。貴方が現れたおかげで《夜天競売会》の舞台価値は跳ね上がった」
愉しげに天井を仰ぎ、言葉を紡ぐ。
「八年前に死滅した行商ギルドの亡霊が現れる。きっと観客は熱狂するでしょうね」
「価値貼りの次は、人を見世物扱いか?」
「そう思われるなら、そう捉えてくれて構いません」
否定も肯定もしない。
ただ、それが確定事項だと言わんばかりに、アルベリオは静かに微笑んでいた。
「相変わらず、反吐が出る趣味してやがるぜ」
「お褒めの言葉として、受け取っておきましょう」
その返しすら、まるで予定調和のようだった。
ヴェルカは舌打ちしながら肩を鳴らす。
「ただし、明日の《夜天競売会》に参加できるのは、貴方一人だけです」
「ほぉ? で、もしその条件を破ったら、どうなるんだ?」
「そうですね、例えば――」
ヴェルカの問いに答える代わりに、アルベリオは腰から拳銃を取り出し――
――バンッ!
「ぐっ! あああっ!」
俺の右膝が爆ぜた。
何が起きたのか理解するより先に、焼けるような激痛が脳天を突き抜ける。
「クラド!」
「クラド殿ッ!」
ミリスとカグヤの悲鳴が重なる。
「ッ! テメェ、何しやが――」
「おっと、狙いが外れてしまいました」
ヴェルカの怒声を遮り、アルベリオは慣れた手つきでリロードする。
「でも、これで貴方も分かったでしょう? 次は頭を狙います」
穏やかな微笑み。だがその奥には、無感情な殺意が宿っていた。
とても冗談とは思えなかった。
ヴェルカもそれを理解したんだろう。唇を噛みしめながら、小さく頷いた。
「……分かった。コイツらには悪いが、競売会が終わるまで大人しくさせる」
「懸命な判断、礼を言わせていただきます」
仰々しく上品なお辞儀をして、アルベリオは周りの黒服たちを一瞥する。
それを合図に、銃を下ろした黒服たちが俺たちの腕を掴み上げた。
「新しく、空いているスイートルームへお連れなさい。くれぐれも、殺さないように」
何も取り戻せなかった。
それどころか、俺は膝を撃ち抜かれた。
それなのに――。
黒服に連行される中、ヴェルカだけが妙に楽しそうに嗤っていた。




