七色虹花の怪しい動き
「どうだった」
披露宴を終え、控室に戻ればひょっこりと藤井が顔を出す。
氷室は天門夫妻に那須宮を頼んだはずだが──おそらく古賀が、紗雪を一人にするのはと難色を示した結果だろう。
「若い衆が言われた通りに、注意深く観察していたみたいだけどねぇ。どうも、奥さんの方みたいだ」
「そうだろうな」
旦那の方は、焔華の幼馴染だ。
幼少期からの付き合いで、那須宮が入り込む余地などないのだから、当然の結果とも言える。
「鈴瑚ちゃんに、ちぃとばかし知恵を貸してもらったわけだけど……」
鈴瑚に協力を要請しろとは、氷室も指示はしていない。
古賀か藤井の刑事として培ってきた勘が、危険を察知したのなら。
やはり彼女は──。
「面白いくらい何もないわけ。データベースに、何も残っていない。これ、事件の香りがするよ」
「意図的に改ざんされているのか」
「そうだね。データベースに登録されているのは、顔と名前と生年月日くらい。あとの情報は真っ白。一般人とは言え、元アイドルだから。色々あるわけよ。ストーカーされたとか、脅迫事件とかね?その辺の通報履歴も全部綺麗さっぱり消されているわけ」
一体誰が、なんのために。
穏やかではない話が流れてきたことへ眉を顰めた氷室に、藤井は肩を竦める。
「細かいことはなんとも。そういや、看護師のお嬢ちゃんって、名無組組長の娘なんだって?」
「……名無組の組合員に兄がいるとは聞いている。組長の娘だとは聞いていないぞ」
「あらら。やぶ蛇だったかねぇ……」
氷室の隣で腕を絡めていた桔梗が、腕を掴む手に力を込める。
どうしたのかと桔梗の表情を確認して、氷室は後悔した。
桔梗の表情は、不思議そうに桔梗を見つめているのではなく──なんの感情も浮かんでいない。
無表情だったからだ。
(これは、まずい)
桔梗はあまり話題にしたくない話をされると、こうして能面のような顔をすることがあった。
今回、桔梗のそうした表情を引き出してしまったのは、彼女の前で名無組の話をしてしまったからだろう。
一度口にした言葉は、元には戻らない。
「桔梗」
「那須宮さんが、全部悪いの?」
「いや。彼女は名無組の血縁者ではあるが、そうした後ろ暗いことからは隔絶されて生きてきた。天門総合病院の件にだって、関わっていないからこそ俺と一緒に働き続けている」
「いつか、牙を剥くかもしれないよ」
「七色虹色に怯える那須宮の姿。桔梗も目にしただろう。俺や桔梗に、何かできるような人間ではない」
何かするような人間であれば、とっくの昔に氷室はお陀仏だ。
氷室は那須宮に警戒などしていなかったし、いつでも殺せる環境にあるのだから、桔梗の心配は取越苦労でしかない。
けれど桔梗は、那須宮を信頼できないのか。
待てど暮せど、いつもの天真爛漫な明るさを見せることはなかった。
「暴力団組長の娘を怯えさせる、元国民的アイドルの一般女性。子持ちの人妻って、なんだかミステリアスな響きだねぇ」
「那須宮の経歴にも、残っていないのか」
「気になる点が一つだけ」
「勿体ぶらずに、さっさと言え」
「へいへい。そう焦りなさんなって」
軽口を叩いていた藤井は、肩を竦めると真剣な眼差しで氷室と桔梗に告げる。
「那須宮深緑は、学生時代姉と二人暮らしをしていた」
「兄ではなく、姉だと?」
「そう。戸籍上には存在しない姉と。名前まで分かればよかったんだけどねぇ。データベースには残っていない」
警察のデータベースに残っていない情報を、30分にも満たない短い時間でどうやって調べたのだろう。
(鈴瑚の手に掛かれば、容易いものか……)
ホワイトハッカーとして活動していた鈴瑚には、恐れるものなど何もない。
時間さえあれば容易に調べられるであろう正解は、那須宮と恐らく……彼女だけが知っている。
「氷室先生は、虹花さんの秘密を暴きたいの」
「いや、そうではない」
七色虹花の秘密を暴きたいわけではない。
ただ、氷室は。
同僚が嘆き悲しみ、苦しむ姿を見て助けたいと思った。それだけだ。
(……助けたい、だと……?)
氷室は心から愛する人を助けたいと考えたことはあっても、どうでもいい人間を助けるほど博愛主義者などでなかった。
(……そうか。桔梗以外に、こうした感情を抱くことは明らかな異常だ)
桔梗に浮気を歌われるのは当然だと鼻で笑った氷室は、桔梗を安心させる為に優しい声音で語りかける。
「那須宮は俺の友人だ。友人の力になりたいと願うのは、浮気のうちに入るのか?」
「むぅ……」
桔梗は紗雪を助けるために、氷室へ協力を依頼している。
那須宮を友人と称すれば、氷室が桔梗の願いを叶えたように。
桔梗は氷室のやりたいことを後押しするしかないだろう。
「那須宮さんが、氷室先生のお友達枠なら……二人きりにならないで。私とずっと一緒に行動すること」
「危険が伴うぞ」
「私は氷室先生の妻よ。誓い合ったばかりでしょ。死がふたりを分かつまで……」
「そうだったな」
藤井にお礼を言って控室を後にした氷室と桔梗は、人気のない場所を重点的に探し回る。
「Imitation Queenのメンバーには、秘密がある。なんとなく察していたとしても、本人が口外しない限りは深く追求しない。それが私達のルールだった」
すでに引退しているからこそ、定められたルールに則ることなく。
影でこそこそ嗅ぎ回るのはセーフかもしれないが、あまり褒められたことではないと桔梗は不機嫌そうだ。
自分以外の女が隠している秘密を、愛する氷室が暴こうとしているのも気に食わないのだろう。
「あんまり派手に嗅ぎ回ると、しっぺ返しを食らいそう」
「芸能界、引退するんだろ」
「そのつもりだけど……」
自分がされたくないことはしない。
桔梗は優しいので、そうした点は徹底していた。
歯切れの悪い言葉を桔梗から聞いた氷室は、その言葉の続きを促すように桔梗を見つめる。
彼女の表情は、変わらず不機嫌そうなままだ。
能面のような無表情でないことに安心しながら、氷室は彼女の言葉を歩きながら待つ。
「あのドラマ、瞬間最高視聴率が、30%以上あったみたいで……金蔓を逃がすなって、法外な値段の報酬まで提示してでも私を使いたいってオファーが殺到しているの。焔華さんがギリギリまで抑えていてくれたけど……どうかな」
桔梗と焔華の予定では、桔梗に舞い込んできた仕事は、鏡写しに桔梗を再現可能な鏡花へ全て回して芸能界から足を洗うつもりだった。
スポンサーが求めているのは愛知桔梗だが、宇都宮鏡花は、その気になれば愛知桔梗とまったく同じ仕草で、オーラで見る人を虜にする。
七色虹花を鏡写しに、最強のアイドルとして輝いていた頃のように。
誰かを鏡写しにすることでしか自分に価値がない状態は、マズイと考えたのだろう。
取り立てて特徴のない……強いていえば恐ろしく影が薄く、声を出さなければ誰にも認識されない手品のような特性を活かして──宇都宮鏡花本人として活動することが多くなっているようだった。
桔梗が表舞台から姿を消せば、本来彼女の元に舞い込んできたオファーは全て鏡花のものだ。
桔梗と鏡花が二人で分担してもこなしきれない仕事量が、一気に鏡花へ集中する。
宇都宮鏡花も、精神面が強い方ではない。
それは桔梗と接触事故を起こしてステージから転落させてしまった際、ステージ上で棒立ちになっていたことから明らかだ。
(だから桔梗は、ブーケを渡したのか……)
桔梗の隣には氷室がいる。
夫婦になったのだから、離れることはないだろう。
けれど鏡花には、精神的に弱った際に支えてくれる人がいない。
彼女が駄目にならないよう、多少強引に運命の赤い糸を引き寄せて結びつける必要があると考えたのだ。
(桔梗らしいな)
氷室と共に暮らすために、桔梗は芸能界から足を洗いたいが、鏡花を犠牲にしてまで氷室と共に暮らしたくない。
そうした気持ちの現れであることを知った氷室は、桔梗の頭を優しく撫でつけた。
「氷室先生」
桔梗が氷室から頭を撫でられ、嬉しそうに目を細めた直後のことだ。
歩みを止めた桔梗は……氷室の袖を引くと窓の外から見えるある光景を指差した。
(那須宮と……)
室内からでは距離があり、会話の内容は聞こえそうにない。
桔梗のドレスが汚れないように彼女を抱き上げた氷室は、物陰に身を潜めながら会話が聞こえる場所まで移動した。




