挙式当日
『悔いが残らないように、全力でお仕事してくるね!』
1週間の充電期間を終えた桔梗は、結婚式前の2ヶ月間、びっしりと埋まったスケジュールをこなすために東京へ戻った。
最初の一ヶ月は何事もなくスケジュールをこなしていたが、週刊文冬がドラマの撮影でトラブルがあったことを報じられると、連日ワイドショーではあることないことを騒ぎ立てられる。
『私、もうやめる。愛知桔梗、電撃引退の原因は、共演者からの無許可○○!』
桔梗が精神のバランスを崩して氷室の元へやってきた際、共演男性の記事が出ると焔華から連絡があった。
実際その記事は世間を騒がせ、桔梗は女性ファンから同情を受けていたはずだ。
例の件が騒がれた当時は、焔華が手を回して桔梗が氷室の名前を口走ったことや芸能活動をやめると大騒ぎしていたことは意図的に隠されていた。
あとになって記事が出てきた辺り、相手役の男性が大パッシングの中でも通常通り仕事を続けている姿を確認した週刊誌記者が、相手役の男性を潰す為の策を講じてきた段階なのだろう。
愛知桔梗は元国民的アイドルだ。
桔梗が男の軽率な行動により芸能界から引退するなら、当然ファンは芸能界を引退しなければならない原因を作り出した男に恨みを募らせる。
その記事が表に出てきたタイミングも最悪だった。
口づけを交わすフリで、切り抜けるはずだったラブシーンが放送される日の朝。
店頭に出回った記事を確認したファンたちは、夜に放送された該当シーンを確認してSNSに思いの丈をぶつけ始めたのだ。
『最悪……』
『もっとやれ』
『キョウちゃんが引っ叩くほどキレてるって相当じゃん』
『芸能界から引退しろ』
『キョウちゃんを泣かせたクソ野郎、絶対許せん!』
『合意なしにするとかサイテー』
事前に記事が出回った影響により、該当話のリアルタイム視聴率は脅威の28%を記録。
怒りに任せて脚本を滅茶苦茶にした挙げ句、俳優の顔を引っ叩いた姿がお茶の間に放送されても、好感度が下がるどころか鰻登りの桔梗を各社が手放すはずもなく──。
焔華の話では、我先にと仕事のオファーが舞い込んできて、結婚式どころではない大騒ぎになっているらしい。
『うちには桔梗を、完璧にコピーできる鏡花がいるからいいけど……。どいつもこいつも桔梗がいいって大騒ぎしていてね。鏡花の身体は一つしかないし、このタイミングで芸能界から引退しようものならクソ野郎の命も危ない。申し訳ないけど、あんたから言ってやってくれないかしら』
焔華は疲れた声で、氷室へもう少し頑張れと桔梗に再び背中を押せと懇願してきた。
(どいつもこいつも……)
芸能界をやめたいと口にした桔梗の背中を押してやれとアドバイスしてきたかと思えば、結局桔梗を芸能界に留めろと指示してくるのか。
呆れてものも言えない氷室は、ひっきりなしに舞い込む仕事を鋼の意思で断り続けることに疲弊していた焔華へ、はっきりとした口調で告げた。
「断る」
焔華が心労で倒れたとしても、桔梗に無理矢理唇を重ね合わせた男が死のうが氷室には関係がない。
桔梗はあと2ヶ月だけだったら頑張りたいと、口にしたのだから。
氷室は旦那として、桔梗の願いを叶えてやるべきだ。
(もう二度と、間違いは犯さない)
テレビでは、瞬間最高視聴率28%を記録した例のシーンがひっきりなしに流れている。
演技中の桔梗は、恋をする瞳で相手役の男性へ見つめていた。
唇が触れ合った瞬間、まるで夢から醒めたかのように。
キッと相手を睨みつけて思いっきり引っ叩いている映像を確認した氷室は、なんとも言えない気持ちになった。
(……嫉妬か……?)
女優としては、カメラの前で相手の俳優を引っ叩くなどあってはならないことだろう。
桔梗が無名な女優で、相手の男が有名な俳優であれば。
パッシングを受けて泣き寝入りするのは、桔梗のはずだった。
(セクハラ野郎に気を使う必要があるとは思えない。堂々と胸を張って、やめればいいだけだ)
桔梗はもう、芸能界に未練などないのだから。
* * *
──結婚室当日。
純白のタキシードに身を包んだ氷室は、式場スタッフと事前の確認をしている段階ですでに疲弊していた。
挙式会場は、東京のど真ん中。
沖縄で暮らす氷室は式の準備を桔梗に任せてあり、スタッフからあれこれ確認事項を伝えられてもよくわからないのだ。
桔梗との会話を思い出し対応にあたる氷室は、元々あまり人間が好きなタイプではない。
いい年した大人が不特定多数と会話したくないと駄々をこねるわけにもいかず、氷室は桔梗の要望を思い出しながらスタッフの対応に当たった。
「氷室先生、式場のスタッフからあんまり印象よくないぞ」
一人になった氷室が壁を背に胸の前で腕を組んで目を休めていれば、ある人物が疲れた様子を見せる氷室に臆する様子もなく声を掛けてくる。
声だけで誰なのかを認識した氷室は、目を閉じたまま呟く。
「いつものことだ。俺の印象がいいことなど、あまりない」
「氷のような男、だっけ」
「……鈴瑚か」
「中世の貴族かと思った」
親族として早めに姿を見せた鈴瑚は、すっかり桔梗の姉として振る舞い控室であれこれと面倒をみているらしい。
桔梗には姉と慕う焔華がいるので、本来鈴瑚の助けなど必要ないのだが……。
鈴瑚は自分がこうと決めたら、こうだと一歩も引かない。
桔梗と似たような所のある彼女を説得しようとした所で無駄なのだ。
好きにさせてやるしかないだろう。
「心ではそのつもりだろうな。清く正しく、繊麗潔白であれ。それが白雪家の教えだ」
「ふーん。氷室先生の妹って、何をやっている人なわけ?社長夫人?」
「いや。警察官だ」
「……警察?あの口調で?」
「刑事ではないから、足で稼ぐことはない」
「そりゃそうだろ。どっかの貴族みたいな口調で事情聴取されても、頭おかしい電波女としか……」
吉更が人の気配を感じて顔を上げれば、そこには電波女と称された鈴瑚の姿があった。
「なんて無礼な殿方なのですか!?このような方があの子の親族など、信じられません!」
鈴瑚の叫び声を聞いた氷室は、瞳を開きため息をつく。
『鈴瑚と仲良くしてくれ』
氷室が命じたからこそ、桔梗は鈴瑚に取り入ったのだ。
本来二人の相性はそれほどよくなかったのだから、双子である吉更とも当然仲良くなれるはずがないと、肝に銘じて置くべきだった。
「晴れの日にいがみ合ってどうする」
「悪いのはあんたの妹だろ」
「埋め合わせはあとできちんとしよう。今だけは、折れてくれないか」
「あっちが折れるように説得すればいいだろ……」
焔華と鈴瑚が、先程までどちらが桔梗の姉にふさわしいか争っていたと語る吉更は、鈴瑚を視界にすら入れたくないと蔑んでいる。
「ものは試しだ。やってみればわかる」
「……ふぅん。それだけなら……」
「何をこそこそ話しておりますの!?不愉快ですわ!」
氷室が吉更の耳元で魔法の呪文を唱えれば、その一言だけなら構わないと吉更も乗り気になる。
「それで、何の用だよ……姉さん」
「な……っ」
髪をかき揚げてうんざりとした様子で鈴瑚へ姉さんと呼びかけた吉更を見た彼女は、顔を真っ赤にしてわなわなと震えた。
あれは怒りではなく、喜びに打ち震えているのだ。
鈴瑚に妹弟はいない。
氷室を兄と慕う彼女は、小さな頃から妹や弟が欲しくて頻繁に両親へ強請っていたことを、氷室もよく覚えていた。
『人間を産み落とすのは、簡単なことではないのよ』
母親に諭された鈴瑚は、大人になってからやっと義妹を手に入れたが、義弟を手に入れる機会などないと諦めていたはずなのだ。
(鈴瑚は、喉から手が出るほど欲しかった妹弟を手に入れて、喜んでいることだろう)
鈴瑚が望んだ形ではないにしろ、愛知姉弟が彼女を姉と慕う限り、彼女が騒ぎ立ててくるようなことは二度とない。
(やはり血を分けた姉弟だな……)
桔梗が美少女とあれほど持ち上げられたのだから、当然吉更にも、その美貌は受け継がれている。
氷室は芸能人になればよかったのにと余計なお世話でしかないことを考えながら、鈴瑚の言葉を待った。
「は、花嫁の準備ができました。お兄様、いつまでレディを待たせるつもりですか。早く迎えに行って差し上げなさい!」
吉更に姉と呼ばれたのが嬉しくて仕方ないのだろう。
ハイヒールを響かせた鈴瑚は、来た道を戻って行った。
「ふーん。それであいつ、お姉様だとかなんだか……」
察しのいい吉更は含みのある笑みを浮かべると、氷室を新婦控室へ案内する。
吉更と氷室の間に、会話はなかった。
鈴瑚の件に関して小言を紡がれてもおかしくないと考えていた氷室は当てが外れ、肩の力を抜いてゆっくりと新婦が待つ控室のドア前に立つ。
吉更がドアをノックし扉を開け放ったのを確認した氷室は、ドレッサー前の椅子に浅く腰掛ける桔梗の姿を確認し──目を見開いた。
「綺麗だ……」
愛知桔梗は、何を着ても美しい。
それは彼女が芸能人として芸能界で大輪の花を咲かせていた時点で明らかだが、純白のウエディングドレス姿は別格だ。
「いきなり胸元に視線を向けるとか……」
「ただのエロオヤジじゃない」
桔梗がベアトップタイプのウエディングドレスを着ていることに気づいた氷室は、間違いが起きて胸元が露わになってしまうのではないかと不安になり胸元を注視していただけなのだが──目ざとく氷室の視線を確認した吉更と焔華から大ブーイングを受けた。
氷室は咳払いをすると、普段通り氷室に飛びつこうとしていた桔梗を制する。
「肌を触れさせ合いたいのはわかるが、我慢してくれ」
「ええ……でも……」
「せっかく綺麗にして貰ったんだ。気崩れると直すのが面倒だろ」
「そうだけど……。ウエディングドレス姿で堂々とくっつけるのは、最初で最後よ。思う存分いちゃつかなくちゃ!」
「頼むから、周りの目を気にしてくれ……」
親族だけなら全く問題ないが、この場には式場のスタッフがいる。
金を払って式を上げる以上、守秘義務が存在するものの、金に目がくらんで週刊誌に情報提供をするような不届き者が紛れていてもおかしくはないのだ。
桔梗は週刊誌を味方につけて、ラブラブな新婚夫婦であることをアピールしたいのかもしれないが……氷室の名が世間に知れ渡れば、診療所にやってくる患者の数に悪影響を及ぼしかねない。
結婚式くらいは、大人しくしてほしいと思う桔梗は、これくらいなら許してくれてもいいよねと言わんばかりに、氷室の腕に絡みついた。
「そうやってすぐ引っ付くけどさ、どうせすぐ引き離されるぞ」
「少しくらいいいじゃない」
「あのな、リハーサルしただろ。氷室先生は先にチャペルで桔梗を待っている。俺とお前は後から入場」
「……むぅ。あとちょっと」
時間になれば、氷室は先に入場し、あとから桔梗が吉更を伴って入場する。
本来であれば、新婦入場の際エスコートするのは父親が務めるものだが、愛知姉弟の両親はどこで何をしているかすらわからない。
双子を任された焔華は数年に一度連絡を取ってはいるようだが、桔梗の結婚を知らせてもなんの反応も示さなかったようなのだ。
そのため父親に代わり、弟である吉更が桔梗のエスコートを務める予定だった。
「貸し切っているわけじゃないんだぞ。後が詰まってんだよ」
「きーちゃん、私と一緒に入場するの。さっさと終わらせたい?」
「桔梗と氷室先生を見ていると、イライラする。俺だって焔華さんのウエディングドレス姿……あー、くそ!」
焔華がすでにチャペルへ向かったのをいいことに、吉更は彼女のウエディング姿が見たかったと不貞腐れた。
双子は互いに愛する人のことを一番に考えているが、時折口喧嘩をしていたとしても、固い絆で結ばれている。
住む場所が遠く離れたとしても、2人の絆が途切れることはないのだろう。
「桔梗、先に行って待っている」
「……うん。神様の前で、情熱的な愛の口づけを交わしてね」
「馬鹿言うな」
週刊誌記者は確か、披露宴だけではなく挙式にも参列していたはずだ。
『愛知桔梗は結婚式で、新郎と情熱的な口づけを交わしあった』
などとすっぱ抜かれたならば、一生の恥だ。
婚姻の義で触れるだけのささやかな口づけではなく、濃厚な口づけを行う新婚夫婦など聞いたことがない。
(結婚式場の歴史に残るような、誓いの口づけを交わす人間にならなければいいが……)
氷室の腕を名残惜しそうに離した桔梗と別れを告げ、氷室は式場へと向かった。




