一人では、もう。立っていられない(桔梗)
「……っ!?」
すれ違う人々が、何事かと振り返る中。
曲がり角を曲がった桔梗は、突如として現れた透明な壁に阻まれ尻もちをつく。
(なに……!?)
見えない透明な壁にぶつかって尻もちをついたが、それが誰だかわからない。
桔梗が眼光鋭く透明な見えない壁を睨みつければ、透明な壁から声が聞こえた。
「桔梗……ちゃん……?」
本来壁は、人間の声を発することなどない。
桔梗の名を呼ぶか細い声を聞いた彼女は、透明な壁だと思っていたものが人間であることを認識する。
「鏡花……ちゃん……」
鏡花だって、桔梗と真正面からぶつかった影響で尻もちをついていたのだ。
痛いと感じているはずなのに、彼女は体当たりされたとは思えぬ俊敏な動きで桔梗の両手を強く掴むと、立ち上がるように促した。
「き、桔梗、ちゃん……!来て……!」
「鏡花ちゃん……!?離してっ。私、氷室先生の所に行かなくちゃ……!」
鏡花は嫌がる桔梗を、強い力で引きずっていく。
(焔華さん……?)
手を繋いでいるのは、鏡花のはずなのに。
桔梗は手を繋ぐ人物が、焔華に見えて仕方なかった。
(鏡花ちゃんの鏡写し……怖いなぁ……)
鏡花は、演技においては右に出るものなどいない。
演技をしている時だけは、完全に宇都宮鏡花を感じさせないのだ。
鏡花は演じる相手を鏡に写すことで、99%演じる人物を再現する。
鏡花はその気になれば、相手の望む人物に誤認させられるほどの演技力を持ち合わせていた。
だからきっと、今回も。
(私に鏡花ちゃんを焔華さんだと思わせて、連れていきたい所があるのね……)
桔梗は鏡花に引っ張られるがまま、あるスタジオの中に引き摺り込まれた。
「お、おまた……っ、おまた、せ、しま、した……!」
「キョウちゃん!?」
「今日は、よ、予定通り……っ。桔梗ちゃんが、撮影します……!」
桔梗はすっぽかす予定だったモデルの撮影スタジオに連れて来られ、メイクを施されてカメラの前に立たされる。
(鏡花ちゃんなら、私になりきれるはず……)
焔華が用意した代役が鏡花ならば、桔梗を鏡写しに撮影すればいいだけの話だ。
鏡花が本気を出せば、桔梗本人でさえも調子がいいときにしか披露できない表情まで完璧に再現して輝くはずなのに。
何故か鏡花は、桔梗の代わりにカメラの前で撮影されることを拒んでいる。
「どうして私を、カメラの前へ押し出したの」
桔梗は納得が行かないながらに、アンニュイな表情を浮かべながら撮影を終えた。
撮影風景をじっと眺めていた鏡花へ問いかければ、彼女は思ってもみない言葉を桔梗へ呟く。
「お、お洋服が……」
「洋服?」
「わたしじゃ、駄目だって……桔梗ちゃんに着てほしいって、泣いていたの……!」
桔梗も運命の赤い糸を信じたり、自身のことを悪魔と称する辺り頭の出来を心配されてもおかしくないが、鏡花も大概だ。
Imitation Queenは、変わり者と訳ありの集まり。
全員、何かしらの欠陥を抱えている。
それは、初代国民的アイドルであり絶対的なセンターであった七色虹花も例外ではなかった。
「嘘をつくなら、もっとマシな嘘を付きなよ」
「あぅ……っ。で、でも、それも本当だけれど……。わたしは、もう……」
「鏡花ちゃん。今日は、いつもみたいに優しくできないの。ごめんね」
「そ、そんな日もあるよ……!」
鏡花は撮影終わりの桔梗を呼び止めると手を握り、強引に控室へと連れ出す。
どうやら、2人きりで話したいことがあるらしい。
桔梗は早く氷室に会いたいのにと苛立ちながら、マイペースに自分の気持ちを伝えようとしてくる鏡花の言葉を待つ。
「あの……わたし……。もう、鏡写しに……生きている人間を演じることは……やめようと、決めたの……」
「……そう」
「大切な人が、アドバイスをくれた……。わたしは、わたしのままでも、充分だから……」
鏡花は大切な人から受け取った言葉を胸に、いまを生きている。
辛い体験をした桔梗が、氷室を求めるように。
鏡花も、大切な人の言葉を支えに生きているのだろう。
「それって、男の人?」
「……うん」
鏡花は恥ずかしそうにしながら同意する。
鏡花もいい年だ。
結婚を考えていたとしても、おかしくはない。
現役のアイドルですら、彼氏の一人や二人作ってはファンを欺き自分たちだけがいい思いをしようと必死になっているのだから、アイドルをやめた彼女に想い人がいるのはおかしなことではないだろう。
「鏡花ちゃんは、大切な人にはすぐ会える?」
「……会おうと思えば、会える距離にはいるの」
「そう。よかったね」
「でも……色々あって気まずい関係が、何年も続いている。ずっと、会えていなくて……」
桔梗は鏡花とは違うと口にするつもりだったので、鏡花の暗い表情には面食らってしまった。
桔梗が何年も氷室に拒絶され、公共の電波で呼びかけるまで会えなかったように――鏡花にも、気軽には想い人へ会えない何らかの理由があるのかもしれない。
「大切な人に会いたいと願っても会えないとき。鏡花ちゃんはどうやって気持ちの整理をつけているの?」
「わたしは……ぬいぐるみさんに、語りかける、かな……。大切な人から、もらったあの子だけは……いつも、私の話を聞いてくれるから……」
ぬいぐるみは無機物だ。
人間の言葉を話すことはない。
鏡花は影が薄く幽霊と称される場面も多いが、実は本当に見えてはいけないものと意思疎通のできる稀有な存在であるのではないかと思わせる、天然で不思議ちゃんとしか思えない部分があった。
(何もしていなくとも人を惹きつける魅力があるのも、才能の一つだ……)
桔梗は、自分を曝け出した所で褒められるような部分が一つもない。
鏡花を羨ましがった所で、桔梗が特をすることなどないこともあり、鏡花の特徴を桔梗は、それも個性だと結論づける。
「私は声が聞こえるまで、電話を鳴らし続ける。何が何でも、氷室先生と話がしたい。勇気づけてほしい。私は、氷室先生が側にいないとだめなの」
桔梗はずっと、年上の氷室に好かれようと背伸びをしている。
たった一人で誰の手も借りず、立てるふりをするのは、限界だった。
(氷室先生は大人の女性が好き。私も大人にならなくちゃ。氷室先生が好きになってくれない)
氷室の前で気負う必要がなくなり、彼を手に入れた後も。
背伸びをやめたふりをして、子どもではないと大人であることをアピールし続けた。
ずっと嘘を付き続けたツケが、回って来ているのだ。
(私は弱い。好きでもない男と数ミリ唇を触れ合わせたくらいで、すべてを投げ出して氷室先生の元に飛んでいきたいと思うほどには)
氷室は桔梗のことを好きなのだから、当然桔梗を不憫に想い、慰めてくれるに決まっている。
『お前から誘ったんじゃないのか』
優しく抱きしめてくれる氷室を想像した後に、氷室が桔梗を鋭く睨みつけて拒絶する。
その姿を想像してしまった桔梗は、訪れるはずのない未来に怯えた。
(いや。やめて。違うの。信じて!)
桔梗は頭を振り、涙を流す。
とてもじゃないが、人前に出て演技などできる状態ではなかった。
「わたしに何か……できること、ないかな……?」
鏡花が桔梗の力になることなど、何もない。
桔梗が欲しているのは氷室だ。
焔華や吉更、紗雪が目の前に現れたとしても。どうしようもないこの気持ちを、鏡花がどうにかできるはずもない。
「もし……誰かに、言いたくて……言えないことがあるなら……聞くよ……。わたし、桔梗ちゃんが落ち着くまで……ずっと、一緒にいるから……」
鏡花はその言葉を残して、姿を消した。
(ずっと一緒にいると言ったくせに)
やはり、信頼できるのは氷室だけだと。桔梗は部屋の隅で、膝を抱えて蹲った。




