1月1日~6日:ひと時の別れとお祝い
――年が明けて。
桔梗と氷室は、周りの喧騒が嘘のように穏やかで幸せな時間を過ごした。
三が日を過ぎれば、正月ムードも終わりを告げて通常営業に戻っていく。ニュース番組では、悪魔の子連続殺害事件を起こした犯人が未成年の少年であることを面白おかしく報じる一方、愛知桔梗が結婚を発表し、暗いニュースばかりの中に差し込む一筋の光とばかりに持て囃される。
愛知桔梗が、正路直道と交流があったと知るものは限られた人間だけだ。
事実を知る限られた人間たちは皆、正路直道は悪とされ、愛知桔梗の結婚が善とされることに疑問を抱いていたことだろう。
『直道くんが逮捕されて、桔梗ちゃんが結婚なんてニュースが同時に流れてくるとは思わなかったよ!』
『盆と正月が一緒に来たみたいなー?』
『そう、それ!』
『俺たちだけだったよな。あいつに寄り添ってやれたの……』
天使の子どもたちは、3日の日に吉更を含めた全員がリモート会議で話し合うことになった。
氷室は桔梗と手を繋ぎ当然のように話を聞いているが、天使の子達に氷室の存在がバレると面倒なことになる。気配を消し、身じろぎ一つしないで画面外に待機していた。
黙っているのも、簡単なことではない。
早く話が終わってくれと願いながら、死んだ目をしながらぼーっと窓の景色を眺めていた。
『仕方ないじゃん。終わったこと悔やんだって』
『これ以上人数が減らないように、誰かが困っていたら相談し合うと約束すればいいだけだよ』
『きーちゃん、スケボー教えてー!』
『困っていることって、そうじゃないでしょ』
『違うのー?』
『絶対違う……』
最年少の少女が無邪気に吉更へスケボーを教えてほしいと口にすれば、陰鬱な空気が霧散した。
氷室は悪い方向に話が向かうようなら、スマートフォンの画面に桔梗へ指示をするつもりだったが、どうやら鳥越苦労だったらしい。
天使の子どもたちは最終的に、桔梗へ祝福の言葉を述べると通話を終えた。
「みんな……表面上はショックを受けている要素もなくてよかった……」
桔梗は天使の子達にそれほど興味関心を抱いていないように思えたが、氷室の思い違いだったかもしれない。
直道が逮捕されたことにもっと動揺し、声を荒らげて何かの間違いだと言い争う姿を想定していた氷室は、拍子抜けしまった。
きっと桔梗も、似たような気持ちでいたのだろう。
「よくがんばったな」
「……うん」
氷室は桔梗へ労いの言葉を掛けてやると、彼女を抱きしめた。
*
――それから2日後。
氷室が沖縄に戻る日がやってきた。
桔梗と離れがたくて、沖縄へは最終便に飛び乗り戻る予定だ。
空港まで送っていくとしがみついて離れない桔梗を自宅に留めておくのには、随分と苦労した。
「桔梗」
「やだ。離れたくない。仕事やめる。氷室先生と一緒がいい……」
「氷室先生の妻になったんだぞ。どんと構えていればいいだけだろ」
「氷室先生、モテるから。私がずっと一緒にいないと、変な女を引っ掛けて……」
「浮気はしても、不倫をするようなタイプには思えねぇけど」
「それはきーちゃんから見た、氷室先生でしょう!?」
桔梗は相変わらず氷室が不倫をするような男だと認識しているようで、桔梗は吉更から庇っているつもりでも、氷室は背中から撃たれていると感じてしまう。
こうして双子が言い争っている間にも、飛行機の時間は差し迫っていく。
このまま吉更に桔梗を任せ、黙ってい出ていくのが正解なのだろうが……。
大暴れした桔梗が、すべてを投げ売って沖縄までやってきてしまえば大問題になる。
氷室は双子の言い争いをある程度見守った後に、桔梗を力強く抱きしめた。
「ひむろせんせい?」
「……寂しい思いをさせて、すまない」
氷室が桔梗から逃げることなどなければ、東京で家を探して二人で暮らすことなど、そう難しいことではなかったはずだ。
今更東京の大病院で勤務し、昼夜問わず患者のことだけを考えて生きる生活には戻れない。
プライベートがしっかりと守れ、自分のペースで診療を行える沖縄の小さな診療所は、氷室の城なのだ。
その場所がいつかは脆く崩れ去る、砂のお城だとしても……。
「今度会った時も、たくさん私を愛して」
「ああ。離れていた分だけ、愛を捧ぐと約束しよう」
氷室は吉更の前でも臆することなく桔梗の唇に触れると、やっと桔梗の手が腕から離れる。
吉更は恥ずかしげもなく姉夫婦が口づけを交わした姿をなんとも言えない表情で見守ると、頭を抱えながら項垂れたまま、ひらひらと手を振った。
「またな。桔梗を頼む」
「頼む相手が違うだろ……」
確かに一理ある。
本来であれば吉更に頼むのではなく、氷室が桔梗を支えてやらなければならないのだから。
氷室と桔梗は夫婦になったのだ。
芸能人としての桔梗は、芸名として愛知桔梗を名乗り続けるが――戸籍上の名は、白雪桔梗へと変化している。彼女はすでに、氷室のものだ。
(この思考は、まずいな)
氷室だけのものだと考えれば、気が大きくなってしまう。
優しくしてやろうと考えていても、桔梗は氷室だけのものだと考えれば、どんなに傷つくようなことをしたって許すのが当然であると考えるようになるのだ。
傲慢な支配欲に溺れた男の行く末が、明るいものになると考えるほど、お花畑な思考は持ち合わせていなかった氷室は、頭を冷やす為のちょうどいい期間であると考えながら双子に別れを告げた。
*
「ご、ご結婚……お、おめ、おめでとうございます……っ」
「オメデトウゴザイマス」
──1月6日。
年始の診療開始日に、眠い目を擦りながらかったるそうに白衣を揺らして診療所にやってきた氷室を、ある人物が出迎えた。
手に持ったクラッカーの紐を力いっぱい引いたあと、想像していた以上に大きな音が出たことに驚いて怯えている那須宮と、無表情かつ棒読みで祝福する事務員だ。
氷室が桔梗と婚姻したことは、那須宮には伝えるつもりだったが──まさかそれほど交流のない事務員まで巻き込んで、お祝いをしてくるとは思わない。
氷室は頭から紙吹雪を被った状態で眉を顰めると、二人へある提案をする。
「お前ら、昼食は」
「へ?わたしは、冷食、です……」
「お弁当ですけど……」
「わかった。明日、俺の名前で好きなものを頼め。支払ってやる」
「じゃあ、カツ丼大盛りで」
「か、カツ丼ですか……?」
事務員は当然のように近くの定食屋でカツ丼大盛りを注文するように氷室へ告げ、カウンターの奥に腰を下ろした。
那須宮はカツ丼を食べるつもりはないようで、氷室の頭に積もった紙吹雪を払いながらあわあわと忙しなく動いている。
「自分で片付けるからいい。別の店だっていいぞ」
「あ、あの、し、白雪先生……」
「なんだ」
「そ、そのう……」
那須宮は言いづらそうに事務員の方へと視線を移す。
事務員に聞かせたくない話をしたいのならと察した氷室は、紙吹雪を払いながら休憩室へ向かった。
「み、美月先生のことは……もう、よろしいのですか……?」
どいつもこいつも。
氷室の周りにいる人間たちは、どうしても氷室に不倫をさせたいらしい。
紙吹雪を完全に払い終えた氷室は、苛立った様子で集めた紙吹雪をゴミ箱へ捨てると、眼光鋭く睨みつける。
「美月とは、すでに精算を終えた。もう二度と会わないと誓っているのに、再び俺たちの間に恋が生まれると、本気で信じているならば少女漫画の読み過ぎだ」
「でも……っ」
「俺と桔梗の婚姻を祝福しておきながら、美月の方が俺の妻に相応しいとよく言えたものだな」
「ち、違います!わ、わたしは……っ。白雪先生の心にまだ、美月先生への気持ちが……残っているのだとしたら……桔梗ちゃんが可哀想だと──」
「美月への思いを断ち切れていない状態で。この俺が、桔梗と婚姻するわけはないだろう。二度と俺の前で美月の名を口にするな」
クビにするぞと言いかけた氷室は、さすがにパワハラだと踏み止まる。
那須宮とは冗談が通じる仲ではあるが、氷室が本気で怒っていることは充分に理解できたのだろう。
「ご、ごめんなさい……。な、なんでも、ありません……。で、出過ぎた真似を、しました……」
那須宮は氷室に向けて謝罪をすると、診療開始に向けて準備を始める為走り去った。
(桔梗には態度で表しているつもりだったが……)
那須宮にあのような勘違いをされるのならば、惚気と呼ばれようとも桔梗が好きでたまらないのだと積極的に発信するべきだ。
(俺のキャラではないが、ウザがられるくらいがちょうどいいのかもしれないな)
一歩間違えば、パワハラやセクハラと叫ばれかねないギリギリのラインを攻めている。
那須宮との関係がそんなものだと納得した氷室は、気持ちを切り替えいつもの日常へ戻るのだった。




