後輩の失敗と、初詣
――12月31日正午。
愛知桔梗の公式SNSに、ファンに向けたご報告が発信された。
関係各所へ同内容がFAXされたことにより、数分後にはニュース速報で小さく愛知桔梗の結婚が報じられたが、特番を潰してまで緊急生放送番組を放送するような話題でもない。
SNSと公式HPが一時期サーバーダウンした程度で、平常時に比べると大きな騒ぎになることなく、ファンから受け入れられたようだ。
「氷室先生の話、やっぱり話題になっているね」
公式アカウントからログアウトした状態でファンからの投稿をエゴサしていた桔梗は、様々な投稿をスマートフォンの画面に移して氷室へ見せる。
『キョウちゃんの旦那様って、今会で情報提供を求めていた白雪氷室?』
『一般男性ってことは……やっぱりそういうことだよね……!』
『一般男性=白雪氷室じゃないと許さん!』
『違ったらNTRじゃん……』
『俺たちはキョウちゃんに触れることすら許されねぇのに……』
桔梗の幸せを願うファンたちは、情報提供を呼びかけていた氷室と桔梗が婚姻するのであれば問題ないと投稿しているものが多いようだ。
中には夫婦で芸能活動をすればいいと発言するファンもおり、批判されるどころか全面的に祝福するファンが多いことを知った氷室は、ほっと胸をなでおろす。
「桔梗や関係者が口を噤めば、まず婚姻相手が俺であるとファンに悟られることはない。そのうち落ち着くだろ」
「みんなが祝福してくれるなら、氷室先生の名前を出せばよかった……」
「やめておけ。俺と婚姻したことを大々的に報道すれば、悪い方に世論が動きかねない」
「むぅ……。氷室先生と婚姻したことを大っぴらにすれば、堂々とデートができるのに……」
桔梗は氷室と外出する際、必ず変装をしてから外に出ていた。
特徴的な声で愛知桔梗だと悟られぬよう、一度外に出たら声を出さない徹底ぶりだ。
桔梗は氷室と四六時中いちゃついていたいと考えている。
隠れることなく堂々と、氷室と様々な場所でデートを重ねたいのかもしれない。
「お兄様とデートがしたいならば、とっておきの場所があります」
「鈴瑚お姉様?」
ノックもせずに堂々と氷室の部屋に侵入してきた鈴瑚は、氷室の膝上に座る桔梗を見つめ顔を顰めながらも、紫色の着物を手に歩み寄る。
(はしたないと顔に書いてある)
桔梗は鈴瑚の顔を顰めた所が氷そっくりだと、嬉しそうにしていた。
(桔梗は嫉妬深いからな……)
どうやらやっと、氷室と鈴瑚に血の繋がりがある兄妹だと実感したらしい。
桔梗は鈴瑚の手に持つ着物が気になるようで、スマートフォンの画面をスリープモードにして、歩み寄ってきた鈴瑚へ訪ねた。
「鈴瑚お姉様、その着物。どうしたの?」
「あなたに似合うと思って。クローゼットの中から引っ張り出しました」
「私に……?」
「木を隠すなら、森の中」
「おい、鈴瑚。まさか……」
「着物を着て、初詣に行きましょう」
白雪兄妹は、人混みがあまり得意ではない。
率先して人が集まる場所へ行こうなどと提案することなどなかった鈴瑚が、まさか桔梗を誘うとは思わず氷室は驚いた。
(あの鈴瑚が、着物を人に貸すとは……)
鈴瑚は毎年、誕生日になると祖父から着物を受け取っている。
着物を着て外へ出歩く機会など無いくせに、クローゼットで大切に保管しているそれらを、人に貸す姿を氷室は見たことなどなかった。
姉と慕う美月にだって、着物を大切に保管していることを打ち明けることはなかったはずだ。
鈴瑚なりに桔梗を認め始めているのだと知った氷室は、着物に見惚れる桔梗の頭を優しく撫でつけた。
「いいの?」
「誰かに着てもらった方が、着物も喜ぶでしょう」
「氷室先生。鈴瑚お姉様から借りた着物を着たら、一緒に初詣デート、してくれる?」
「……ああ」
「私、着たい!」
「あなたならそう言うと思いました。わたくしの部屋に参りましょう。着付けて差し上げますわ」
「ありがとう、鈴瑚お姉様」
鈴瑚は屈託のない桔梗の笑みに顔を真っ赤にして、「お礼など不要です」と桔梗の言葉を拒絶した。
「赤白歌合戦を見た後は、氷室先生と初詣!」
桔梗は楽しいことが目白押しだとるんるん気分で氷室に引っ付いている。
今頃焔華は、桔梗が突然なんの前触れもなく婚姻を発表したせいで、てんてこ舞いになっているだろうに。
人の気も知らないで、暢気なものだ。
(それもまた桔梗の魅力だ)
大晦日の今日は、テレビをつければどこもかしこも特別番組で構成されている。
赤白歌合戦の前半と後半を繋ぐ休憩時間に放送されたニュース番組で愛知桔梗の婚姻が報じられた際、桔梗がどんな反応を示すのかと氷室は気が気ではなかった。
氷室の想像に反し大人しく映像を確認していた桔梗は、アナウンサーがSNSに投稿した内容を読み上げているだけだと確認するや否や笑い飛ばして、赤白歌合戦のタイムテーブルに夢中だ。
「ニュースでOBの結婚が報道された後に、パフォーマンスをするのって微妙な気持ちになるよね……」
桔梗はニュース番組終了後、ステージに立つ後輩の姿を見て肩を竦める。
現行のImitation Queenに仲のいいアイドルはいないようだが、赤白歌合戦は生放送番組だ。
本来であれば生歌を求められ、一年の締め括りともなるステージで失敗は許されない。
自分たちと同じグループに所属していた元アイドルが、一般男性と結婚した。
その報道に誰か一人でも心を乱せば、新年の締めくくりに相応しいパフォーマンスなど、披露できるはずがない。
『寒い雪 凍えるような 震える夜道に一人』
『ただ、立ち尽くした少女は 闇に身を落とし消える』
後輩のパフォーマンスを画面越しに見つめていた桔梗は、か細い声で呆然と呟く。
「違う……」
「違うのか?」
「歌詞と立ち位置が……」
氷室はスマートフォンでSNSの反応を確認する。
桔梗の言葉通り、訓練されたファンたちは画像付きで間違いを指摘していた。
2番の歌詞を1番と間違え、本来いるべきではない場所に後列のメンバーが立ち止まり踊っている。
フォーメーションは崩れ、メンバーの間にも動揺が広がっていた。
「あーあ……」
桔梗は見ていられないと、テレビの電源を落とす。
これからどうなるかなど、じっと見つめていなくともある程度経験者として想像がついたからだろう。
桔梗は訓練されたファンたちだけがいる場所でステージから転落したが、現行のメンバーは、ゴールデンタイムに全国へ生中継されている国営放送で、大きなミスをやらかしたのだ。
番組に泥を塗ったと、二度とあのステージへ立てなくなったとしてもおかしくはない。
「鈴瑚お姉様に、声を掛けてくるね」
「ああ。俺も出かける準備をしておく」
桔梗が大っぴらに結婚したのだと発表しなければ――彼女の後輩はミスすることなく、最後まで完璧なパフォーマンスを敢行できただろうか。
その答えを、残念ながら氷室は持ち合わせていなかった。
「氷室先生……!」
鈴瑚に念押しされた氷室は、クローゼットから着物を引っ張り出して着た。
中年のおっさんがわざわざ着物姿で初詣に向かう必要などどこにもないのだが、鈴瑚に従わないとあとが恐ろしい。
鈴瑚の着物を借りて着ている桔梗は、氷室が言葉を失うほどに美しかった。
さすがは現役の芸能人だ。
「……綺麗だ」
「氷室先生は、白衣と同じかそれ以上に着物を着こなしていて……っ。すごく素敵!鈴瑚お姉様、ありがとう!」
「それほど喜ぶようなことではありません。ほら、ここ。お腹が出ています」
「……おい、鈴瑚。叩くことないだろ」
「痩せてください。みっともないですよ」
毎日のように、ジムへ通っているならまだしも。
鍛え抜かれた肉体美を持ち合わせる一般男性など、そう多くはないだろう。
鈴瑚に痩せろと叩かれるほど醜い見た目をしているわけではないと自負していた氷室を庇うように、桔梗は当然のように氷室へ抱きつき、鈴瑚へ宣言する。
「氷室先生のお腹は太っているわけではないし、枕にちょうどいいの」
「……枕、ですか……」
「私は氷室先生が醜い姿になったとしても、愛し続けると誓う。氷室先生も、私が醜い姿に変化したとしても、私を愛してくれる?」
「桔梗が醜い姿に生まれ変わるようなことはないだろ。ずっと、美しいままだ」
「氷室先生……」
氷室のことが好きだと全身で訴えかけている桔梗の周りには、ハートマークが飛び交っている。
「早くしないと、年が明けてしまいますよ」
少女漫画のような言動をする氷室が、本当に白雪氷室なのだろうかと疑いの眼差しを向ける鈴瑚は、付き合いきれないと2人を白雪家から追い出した。
「鈴瑚お姉様、焔華さんよりはうるさくないよね」
「どっこいどっこいじゃないか」
満足な変装もしないまま白雪家を追い出された桔梗と、人の多い初詣になど出掛けて大丈夫なのだろうか。
氷室は不審な人物がいないかと周りの様子を警戒していたが、桔梗から不審者みたいと笑われ、気にしないと決めた。
「ここでバレなかったとしても、氷室先生の患者さんから聞かれるよね。愛知桔梗と結婚したのか」
「適当に誤魔化せばいいだろ」
「氷室先生、嘘をつくの。得意ではないでしょう」
「大人だからな。嘘くらいは、人並みにつける」
「小さな子どもに嘘をつくの、苦手なはずよ。氷室先生は、私に嘘をついたことなどなかった……」
桔梗は昔を懐かしむように、夜空を見上げた。夜空に輝く美しい月は、美月の象徴だ。
氷室は彼女の瞳に映し出された月を、自身の瞳に映し出すことはない。
今は、桔梗だけを愛すると誓ったからだ。氷室の中に、美月への思いはすでにない。
美月から氷室を奪った桔梗は、まだ勘違いしているのだろう。
夜空に輝く月を涙目で睨みつける彼女が、愛おしくて堪らない。
氷室が涼しい顔をして、美月のことではなく桔梗をどうにかしたいと考えているなどとは、夢にも思わないはずだ。
「氷室先生は、優しいから……」
「……愛する人を守るための嘘がつけないと、愛する人から疑われるのは心外だ」
「……愛する人……」
「桔梗のことだ」
美月のことだと勘違いしている桔梗に向けて、氷室ははっきりと桔梗の名を口にした。
桔梗の瞳からは、はらはらと静かに涙がこぼれおちていく。
紙切れ一枚の契約を交わし、夫婦になったとしても。桔梗が安心して暮らせる日は、永遠に訪れることなどないのかもしれない。美月から氷室を奪ったように。
今度は誰かが、氷室を奪いにやってくるのではないかと桔梗は恐れているのだ。
「裏切るような真似はしないと、神に誓ってもいい」
「神様など、信じていないくせに」
「神に願うことなど、俺にはないからな」
信仰心の低い人間が神に祈りを捧げた所で、ご利益があるかどうかは怪しいものだ。
(神のお告げとやらに入れ込んでいた愛知夫妻だって、幸せになれなかったからな……)
悪魔と称した桔梗を迫害したせいで、天塩にかけて育てた吉更に逃げられてしまったのだから、神を信じていた愛知夫妻が幸せに生活しているとは考えづらい。
神を信じた所で不幸になるのならば。神を信じなくたって、さほど影響はないだろう。
氷室は神を信じていない。
桔梗が神に祈りを捧げてほしいと氷室へ願うのならば、喜んで神に祈りを捧げよう。
「……願い事は決めたのか」
「今年の汚れは、氷室先生のお陰で今年のうちに片付けられたから。来年の目標は、さーちゃんの手術が無事に終わって……みんなで幸せなハッピーエンドを迎えること……」
今年の汚れとは、正路直道のことだろう。いくら殺人犯といえども、友人を汚れ扱いとは酷い言い草だ。
桔梗の性格があまりよろしくないことは、氷室も承知した上で婚姻している。
性格があまりよろしくなく、氷室を誘惑しようとする小悪魔的な要素も、氷室が彼女に惚れた理由でもあるのだ。今更嫌いになったりなど、するわけがない。
「……思った以上に、人が多いな」
「年が明けるその瞬間を、神社で迎えたい人が多いのね」
桔梗は背があまり高い方ではないため、人混みに紛れてどこかに消えて行ってしまいそうだ。
桔梗ははぐれないように氷室の腕にしがみついているが、それだけでは心許ない。
そう判断した氷室は、彼女の肩を抱くと、桔梗の手に自身の手を重ね合わせて指を絡めた。
「氷室先生……」
「……はぐれでもしたら、面倒なことになるだろ」
「……うん」
どこからともなく、新年の訪れをカウントする声が聞こえてくる。
十秒前から叫ぶ若者の声を聞きながら。カウントダウンがゼロになった声にかき消され、彼女に聞こえないと口にされることがないように――氷室は彼女の耳元で囁く。
「ハッピーニューイヤー、桔梗。不甲斐ない旦那にならぬよう、お前を支えると誓う」
「あけましておめでとう、氷室先生。大好き」
桔梗は顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに新年の挨拶を口にしたのだった。




