30日:桔梗の口から語られる、天使の子とは
『本日12時頃、悪魔の子連続殺人事件の犯人が現行犯逮捕されました。犯人は17歳の少年で、容疑を概ね認めているとのことです』
桔梗と氷室は婚姻届を提出し、晴れて夫婦となった。
婚姻届の控えを手に、白雪桔梗と書かれた文字をなぞる桔梗は、ご機嫌な様子で氷室の真横にピッタリとくっついて座っている。
「私達が婚姻したこと、ニュース速報で流れるようなことがなくてよかったね」
「……そうだな」
「どこの番組も、あの人のことばかり」
桔梗はニュース番組で淡々と、直道が起こした事件について話をするアナウンサーの声が不快で仕方ないらしい。
先程までご機嫌な様子であったのが嘘のような無表情を見せれば、桔梗は小さな声で呟く。
「実名、報道されないのね……」
固定概念の染み付いた大人は、更正させようと教育を施した所で、取り返しがつかない場合の方が多いだろう。
大人が犯罪を冒した場合は更正の余地などないと切り捨て、お茶の間で実名と顔写真、罪状を晒し上げる一方、未成年の場合は実名と顔写真の報道は自主規制が行われ、仮名を使って報道される。
未来ある若者が犯罪を犯したならば、正しき教育を施し更正させる。
(素晴らしい取り込みだな……)
未成年の犯罪者には未来があるから、実名や顔写真は報道しない。
犯罪者にとっては素晴らしい制度だ。
大人になり凶悪な事件を起こせば、嫌でも実名や顔写真の報道がなされるのに、未成年のうちに犯罪を犯せば、大っぴらに顔や名前を晒されることはないのだから。
誰だって殺したい相手がいたと仮定すれば、未成年のうちに犯罪を犯そうとするだろう。
「未成年だからな」
「被害者は、顔と名前を報道されるのに……」
加害者は法律で守られるが、被害を受けた被害者は法律で守られることなくプライベートを暴かれ、顔写真や名前を晒され続ける。
未成年の加害者は、少年Aとしか報道できない。
情報と同情を集めやすい被害者の情報を晒すことにより視聴者の興味を引き、視聴率UPに貢献したいのかもしれない。
「報道してほしかったのか」
「報道されたら、院内学級のメンバーがうるさそう。あの子を助けようと大騒ぎされても困るから、報道されなくてよかったのかもしれない」
「犯罪者を檻の中から救い出そうとするのか」
「一人では難しいことも、みんなが集まればなんでもできる。音頭を取るのは、あの人だったから……残されたメンバーが、事実に気づいたら……どのような行動をするかは読めない」
院内学級に通っていたメンバーとは、吉更が連絡先を交換している。
少年Aが直道であると彼らが気づいたなら、話し合いたいと桔梗に招集が掛かるだろう。
警察相手に殺害するしないの話になることなどないだろうが、直道が殺人を冒したのは仲間の1人である、1108号室の少年を紗雪の父に殺害されたからだ。
悪魔の子を救う為、臓器を提供するために集められた天使の子と称される彼らが追随したとしても、何ら不思議はない。
「正路直道は、仲間に相談することなく一人で成し遂げた。志を同じにする同士だと、彼は考えていなかった可能性が高いだろ」
「……あの子が亡くなったことに、そこまで感心があるわけではなかった。私達の間には明確な温度差があったから……一緒に復讐をしようとは、言い出しづらかったのかもしれない」
天使の子と称される直道と双子以外の6人は、自分たちが院内学級に押し込められている理由をよく理解していた。
(1108号室の少年が亡くなった当時、あいつらは一箇所に集まってひそひそ立ち話をしていたな……)
当時のことを思い返せば、確かに彼らは1108号室の少年が亡くなって悲しいと大泣きするよりも。
『今度こそ自分たちの番かもしれない』
そうした言葉を紡ぎ、怯えていたような気がする。
1108号室の少年が亡くなったと聞かされやりきれないと怒り狂い、悔しさに瞳を揺らがせていたのは正路直道だけで、桔梗もまた冷めた目をして、怒り狂う彼をじっと見つめていたはずだ。
「世間で天使の子と呼ばれている彼らのうち、誰かが欠けても。自分たちが生きている限りは関係ない。身近な人が亡くなって、少しだけ悲しいと感じるだけ」
「正路直道だけは、そう考えられなかったから犯罪を犯した……」
「あの人は年齢的には下から数えたほうが早かったけれど、精神的には成熟していた。みんなから頼られることで自分の存在意義を見出していて、弟扱いされることを嫌がっていたから」
年齢的には年下でも、兄と慕われるような人間が逮捕されたと知れば。
桔梗は仲間たちがどのような反応を示すのか想像もつかないと告げたが、直道を慕っていた子どもたちがどのような反応を示すかなど、火を見るよりも明らかだ。
争いの火種は、すぐそこにある。
(思った以上に早く、三度目の事件が起きそうだな……)
正路直道の身柄を拘束したことにより、悪魔の子連続殺害事件が起きることはなくなったが……。
悪魔の子に恨みを持つ被害者家族は山程いる。
いまはまだ、直道が悪魔の子を殺害した理由や、紗雪を銃殺しようとした件が報じられていないからいいものの……。
詳細が報道されたならば、模倣犯が出てもおかしくはない。
氷室が事件を解決に導くべく行動したのは、悪魔の子を助けるためではなく、紗雪が桔梗の大切な存在であったからだ。
悪魔の子が何人殺害されようとも知ったことではないが、目に見える範囲でそうした事件が起きる種が芽吹き始めるようなことがあれば、黙ってはおけないだろう。
氷室は正義の味方ではないが……。紗雪に何かあれば、桔梗が悲しむ。桔梗を悲しませぬために。
氷室は紗雪に危機が迫れば、何度だって古賀や藤井と協力をして、事件を解決する必要があるのだから。
「桔梗は正路直道と、言い争いを起こしていたな」
「……うん。そうだね」
「あまりよく思ってないのならば、呼ばないで置こうと気を利かせてきた場合も考慮するべきではないか」
「考慮した場合は、どうなるの?」
「──こちらから、先にすべてを打ち明ける」
直道は名無組の組合員から銃を奪い逃走している最中に、桔梗と吉更を含めた天使の子と顔を合わせていた。
一斉に取り調べを行う名目で、警察官同席の元、直道の事情を打ち明けることはそう不思議なことではないだろう。
「真実を知らない方が、いいこともあるよ」
「遅かれ早かれ、正路直道が少年Aであることや、天門総合病院に入院していた天使の子であることは露呈する。週刊誌で面白おかしく報道された記事を見たほうが、彼らのためになるのか」
「氷室先生。いいこと、教えてあげようか」
改まって氷室の名を呼んだ桔梗から、表情が消えた。
いつも笑顔で明るく、気に食わないことがあると不機嫌になる彼女から表情が抜け落ちるとき。
それは、桔梗にとってよくない言葉を紡ぐときだ。
(俺は、もう……その顔はさせないと、誓ったはずなのに……)
氷室は悔しさを滲ませながら、表情の抜け落ちた桔梗がどんな言葉を紡ぐのか――静かにじっと、その時を待ち続けていた。
「天使の子は、犯罪者予備軍なの」
桔梗が口にした言葉を聞いた氷室は、眉を顰める。
一体何の話だと聞き返したくなるほどに、想像もしていない言葉だったからだ。
「氷室先生、7つの大罪って聞いたことはある?」
「傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰……」
「さすがは氷室先生。博識ね」
桔梗は手を叩いて氷室を讃えると、天使の子と呼ばれている院内学級の子どもたちが7人であったことは、7つの大罪になぞらえたものであると説明した。
「今でこそ私達は天使の子と崇められているけれど、私達が悪魔の子であることは間違いがないの。少なくとも、院長はそう考えていたはずよ」
「院内学級に通う条件は、臓器移植を望む患者と臓器が一致していることが明らかになった子ともではないのか」
「それはあくまで条件の一部。さーちゃんのように珍しい血液型で、歳の近い女の子は私だけだったけれど……。院長が集めた他の子たちの代わりは、いくらでもいる」
天門総合病院の院長は、臓器提供を待ち望む臓器希望者と適合する患者に目をつけ、さらにそこから7つの大罪になぞらえた患者を選別していたらしい。
桔梗は紗雪に臓器を移植するに当たり、厳しい条件をクリアした唯一無二の存在だ。
7つの大罪になぞらえる必要などないが、両親が彼女を悪魔と称したことにより、その条件にも合致してしまった。
「私は生まれたときから両親に悪魔と迫害を受けた。あの人から銃を奪い、その気になれば引き金も引けたし、氷室先生を誘惑して美月先生から奪っている。私、両親から言われたことがあるの。私は他人の人生を狂わせる、魔性の女だと」
桔梗は悪魔と呼ばれ続けることが、嫌で堪らなかったはずだ。
婚姻届を提出し、晴れて夫婦となったのだから。
氷室は桔梗に、過去の辛い経験は忘れてたくさんの楽しい思い出に浸ってほしかった。
「思い出すな」
「院長は、正しいことをしているつもりだったの。大金と引き換えに生きることを切望している悪魔の子達に、犯罪者予備軍達の臓器を提供することによって、社会貢献をしているつもりで……」
「桔梗」
それ以上口にする必要などないと思いを込めて桔梗の名を呼んでも、彼女は淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「きーちゃんは私と氷室先生を助けてくれたし、天使と呼ばれるに相応しい存在なの。両親が悪魔と私を呼んだのは、間違いではなかった」
辛くて悲しくて、誰かに助けてほしいと口にすることさえ、桔梗には許されなかった。
ほぼ同時に生まれたのに、姉である桔梗だけが迫害されている姿を不憫に思った吉更は、彼女を気にかけていたと聞く。
桔梗は吉更と入れ替わった所で、惨めになるだけだと氷室に告げたことがある。
たった数分後から生まれ、男児であることから天使と呼ばれて大切に育てられた吉更と、自由を奪われ迫害された桔梗は、一時的に入れ替わった所で理不尽を嘆くことしかできなかったのだ。
桔梗にとって吉更は唯一の理解者だったが……。
吉更に引っ張り上げられた所で、一時的に心が軽くなることはあっても、心の底から救われるようなことなどなかった。
「私達はいつか、必ず犯罪を犯す」
桔梗は天使の子と称される子どもたちが、いつ爆発してもおかしくない爆弾であると告げる。
天使の子と称される子ども達が犯罪を犯せば、天使の子と持て囃していた人々は手のひらを返して彼らを蔑むだろう。
その目線に耐えられず、彼らは犯罪を犯す。
負の連鎖が始まってもおかしくないと述べた桔梗は、どこか他人事だった。
自身が当事者であると認識した状態で話をすれば、自分が生きている価値のない人間であると思い出してしまうからだろうか。
(癖になっているのかもしれないな……)
他人事であると思い込むことにより、傷つくことがないように自分で自分を守っているのだろう。
誰も助けてくれないのならば、自分でどうにかするしかない。
(……それは、俺と婚姻する前までの話だ)
氷室は桔梗の夫だ。
一人では何もできない、助けを求めるには頼りなさすぎる夫かもしれないが──涙が頬を伝うことがなくとも、桔梗は心で泣いている。
泣いている妻を放置などできるはずのない氷室は、これ以上桔梗の口から悲しい過去の話が紡がれることがないように、唇を重ね合わせて黙らせた。
「氷室、先生……」
唇が離された瞬間、何か言いたげに氷室を見上げた桔梗の瞳が潤み始める。
桔梗の泣き顔に弱い氷室は、桔梗の瞳から涙が流れ出たとしてもすぐに拭えるように、優しく右頬に触れた。
「過去の辛く悲しい経験を、簡単に忘れられたら苦労はしない」
「……うん……」
「俺は……これから桔梗と、過去の辛く悲しい経験を、楽しい思い出に塗り替えていけるように尽力したいと考えている」
「……私のために……」
「他に誰かいるのか」
「氷室先生の奥様は、私こそ相応しい」
随分と芝居がかった口調であった影響だろうか。
舞台のワンシーンを見ているようで、氷室は柄にもなくぽかんと口を開け、間抜け面を披露してしまった。
普段眉を顰めていることの多い氷室が間抜け面を晒してしまうほど、桔梗の表情は美しい。
「氷室先生……?」
「……俺にはもったいないな」
「私のこと、もっと好きになってくれた?」
「ああ。ますます、手放したくないと考えるようになった」
「氷室先生、もっと……」
強い力で抱き寄せた氷室へ、ドサクサに紛れて桔梗がもっと強く抱きしめてほしいと強請る。
氷室は桔梗が潰れてしまわぬよう力加減に気をつけながら、桔梗を抱きしめたままスマートフォンを取り出し、SNSで桔梗の名前を検索した。
「タイミングがよかったな。年末年始は、世間では休日扱いだ。平日でも、ニュース番組取り上げられるようなこともない」
「年明け……騒ぎになるかなぁ……」
「年末年始に、桔梗の口から結婚報告をした方がいいかもしれないな」
週刊誌ですっぱ抜かれ、結婚したことを黙って芸能活動を続けていたと批判されるくらいならば。
世間が年始の福袋に夢中なうちに、桔梗の口からしっかりとファンに結婚報告をした方が、被害は最小限に抑えられそうだ。
「私から?」
「どうするかは、神奈川焔華に相談してから決めろよ」
「はぁい」
最終的に決めるのは、プロデューサーである神奈川焔華である。
氷室は独断で動かぬように桔梗へ釘を刺すと、桔梗が過去を思い出すことがないようにテレビの電源を切った。




