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輝かしい明日への第一歩

  正路直道が殺人犯となったのは、天門総合病院の院内学級に通っていた少年が、院長により殺害されたからだ。

 氷室が当時の罪を償いたいと思うように。紗雪もまた、父親の罪を精算するをためにここへ来たのだろう。


「人が集まり始めている。全員は1台に乗り切らないだろ。どうする?」

「藤井さんに車を借りますので、積もる話は別の場所で致しましょう」

「打ち上げだ!」

「打ち上げなら、あそこでやるしかないな。鍵、開けてもらわねぇと……」


 紗雪と古賀、愛知姉弟と氷室。

 合計5人を1台の軽自動車に押し込めるのは難しい。

 2対3に別れて2台の車で移動することになった氷室は、吉更の運転で桔梗と後部座席に乗り込み、肩の荷を下ろした。


「きーちゃん。焔華さんから鍵、預かっていないの?」

「飛び出して来たからな。預かってねぇよ」

「真っ昼間にマスターさん、居るかなぁ……?」

「年末年始は予約が入っていなきゃ、家でゆっくりしているタイプだろ。チビがいるし」

「そうだよね……あっという間に大きくなっちゃって……」


 桔梗は運転中の吉更へ代わり、スマートフォンを取り出しマスターと呼ばれるバーの店主へ場所を貸してくれないかと連絡を取っている。

 氷室は双子の雑談に耳を傾けながら、口を挟んだ。


「あの店の営業時間、夕方から深夜だろ。あの場所に、こだわる必要があるのか」

「テレビが全員見える所にあって、うまい飯が食える。ツケ払い可。桔梗が変に気負う必要もなければ、秘密が漏れる心配もない。氷室先生、この条件で他の店に心当たりあるわけ」

「店である必要はない。お前らの家か、うちに来ればいいだけの話だ。あの店の飲食代、踏み倒しているのか……」

「踏み倒してはいない。後払いができるってだけ。俺はあの人にあまり頼りたくねぇけど……チビはかわいいしメシも美味い。交流を断つ必要ねぇから」


 桔梗と吉更だけなら2人の自宅でも問題ないはずだが……。

 この時間は焔華がいるため、余計な詮索をされたくないとのことだ。


(バーのマスターと神奈川焔華は確か、名前で呼び合うほどの仲だったはずだ。こちらの情報も、口には出さないだけで筒抜けになる可能性だってあるだろ……)


 直接事件に関わる人間の前で騒がれるくらいなら、盗み聞きでもいいから見えない所で焔華へ情報を与えた方が、最終的には楽だとの考えだろうか。


(秘密の漏れる必要がないと口にするなら、言葉通りの意味だと考えておけばいい……)


 氷室の隣で鍵を開けてくれないかと懇願する声をBGMに、氷室は窓の外を眺めた。


「ありがとう、マスターさん!」


 すべてが終わった実感など感じられないのは、紗雪の命をつなぐために不要な悪魔の子迫害法律の撤廃がまだ済んでいないからだろうか。


(いや、違うな)


 氷室が刺し違えてでも。

 終わらせなければならないと背負い込んだはずなのに、終わってみれば、愛知姉弟にしてやられたからこそ不完全燃焼なのだ。


(俺はあいつに謝罪し、あいつは謝罪を受け取らなかった。その時点で俺のけじめは済んだと判断されたのだろう)


 本当に直道と決着をつけるつもりであれば、桔梗を現場に連れて行く必要などなかった。

 鈴瑚に聞かせた、氷室が知らない桔梗と直道が争う音声を聞いた時から。薄々こうなるのではないかと予想できたのに、彼女へいい所を見せたいと意地を張った結果……一歩間違えば、大切な桔梗を失う所だったのだ。

 直道が逮捕されて終わりにならないのは、当然のことだろう。


「きーちゃん。マスターさん、鍵開けてくれるって!」

「単価高いもん頼んでやれよ」

「何がいいかなぁ?ドンペリ行っちゃう?」

「キャバクラじゃねぇんだぞ……」


 1本15万はくだらない酒を、真っ昼間から飲む馬鹿がどこにいるのだろう。

 全員成人済みとはいえ、物理的に飲酒が毒にしかならない紗雪も混ざっている。

 開けずに一本丸ごと買い取るならともかく、行き帰り車を運転する都合上、古賀と吉更が飲むわけにもいかない。

 桔梗と氷室の2人だけで、高い酒を開けて堂々と飲み干すわけには行かないだろう。


(予定外に店を開けて、望み通りの飲食ができるのか……?)


 店側の都合など一切考えずに、ああでもないこうでもないと食べ物の名前を口にしては夢を膨らませる双子たちへ口を出す気にもなれない。


(桔梗を叱るのは、後でもできるか)


 疲れを癒す為に、氷室は目を閉じた。


 *


『お前のせいだ……!』


 地べたに腰を下ろした正路直道が、涙を流して氷室を睨みつける。

 彼は面と向かって、氷室へ責任転嫁をしなかった。

 悪いのは氷室ではなく臓器を移植された悪魔の子。

 悪魔の子は死ぬべきで、殺してやることで初めて、亡くなった少年も救われる。


『お前が天門総合病院の悪事を暴こうとしなければ!あいつは死ぬことなどなかった……!死ねよ!死んで償え!』


 氷室が待ち望んでいた言葉を紡ぐ直道は、手にした銃口を氷室へ向けた。


(桔梗を一人残すのは気がかりだが……)


 彼の手により射殺されることこそが、幸せな幕引きであるのだと思いこんでいるからこそ。

 誰も彼もがハッピーエンドだと喜ぶこの状況で喜べないのだと気づいた氷室は、自分がこれからどうするべきか決めかねていた。


『氷室。いつか無理がくるわよ』


 氷室の名を呼ぶ美月の声は聞こえても、姿は見えない。

 彼女と交際していた当時なら、氷室は何も考えることなく美月に縋り付けばよかった。

 いつだって氷室を最善へ導いてくれた彼女と別れた氷室は、氷室に縋る桔梗の道標となるべく必死で――去り際、美月が告げたように。

 氷室は桔梗の道標となり、彼女を引っ張り上げて前に進むことが苦しいと感じる自分に、気づいてしまった。


(美月の真似事をして、柄にもなく自分をよく見せようとしていたのは……桔梗ではなく俺の方だったか……)


 桔梗は氷室に縋り付き、いつだって誰にも渡さないと独占力を顕にしているが……。

 彼女は氷室がいなくたって、自分の足で立ち前に進んでいける女だ。

 氷室がいつまで経っても前に進みたくないと。前に進むことを拒むから、縋りついて歩幅を合わせて一緒に前へ足を勧めているだけだった。


『私は氷室先生が大好きよ』


 牛歩でも構わない。愛する人と共に歩む人生さえ得られたならば。

 桔梗は自身のペースが乱れようとも気にすることなく、氷室と果てしなく遠い道の果てを目指そうと微笑むのだ。


(俺は桔梗の優しさに甘えているだけの、最低な男だ……)


 誰かに依存することでしか生きられない。

 心から信頼し合える、愛する人の為に生きる氷室は、自分の思考が矛盾していることに気づく。

 たった一人でもいい。

 愛する人の為に生きていくと決めた氷室が、正路直道に銃殺されるべきなのだと矛盾した考えを抱く理由はきっと――心の奥深くに、眠っている。


『氷室先生』


 正路直道に銃口を向けていたはずの桔梗が優しく微笑み、氷室へ銃口を向けた時。

 氷室は、自身が直道に殺害されたかったわけではなかったことに気づく。


『私の為に、死んでくれる?』


 ああ、その目だ。

 無表情とは、何の感情も読み取れない表情のことを指し示す言葉であるはずなのに。

 氷室はどんな感情を抱いているかわからない桔梗が、心で泣いているような気がして──


(彼女を救うためには、俺が死ぬしかない)


 意味不明な自己犠牲を拗らせて、あの場で死ぬべきだと考えていただけなのだ──


 *


「氷室先生?」


 目覚めた氷室は、不安そうに覗き込む桔梗の頬に触れて感触を確かめる。


(夢では、ないな)


 ふにふにとした頬の感触は、紛れもなく現実のものだ。

 夢と現の境界線が曖昧な氷室は何度か桔梗の頬を撫でつけ、悪夢としか思えない夢をかき消そうと必死になっていた。


『氷室先生は、私にとってお荷物なの。私の為に死んでよ』


 愛する人に死ねと告げられるのは、たとえ夢でも堪える。


(早い所幻覚と折り合いをつけないと、桔梗に余計な心配を掛ける……)


 氷室は精神的に落ち込んでいる理由までは桔梗へ話をしなかったが、隣に座る桔梗の頬から手を離して彼女へ問いかけた。


「……5秒だけ」

「5秒なんて言わないで。氷室先生のお願いを、私が断るわけないよ」


 桔梗は両手を広げて、氷室がいつでも胸元に飛び込んでもいいように待ち構える。

 運転席には、吉更が座っているはずだ。

 いい年したおっさんが、年下の姉に縋る姿を見せつけられる彼の気持ちになって考えるべきだろう。

 そう長くは、愛を確かめあってなどいられない。


「しんどい時は、いつでも頼っていいからね。氷室先生が私を勇気づけてくれるように。私も、氷室先生の弱い所を知りたいよ」

「……すまない」

「これから私達は、運命の赤い糸に導かれて夫婦になるの。楽しいことだけではなくて、苦しいときや悲しいときも、分かちあって生きていく」


 そうだ。

 桔梗と氷室は、そう遠くない未来夫婦になる。

 年下年上関係なく、夫婦とは対等な存在であるべきなのだ。

 氷室が桔梗に縋るなど恥ずかしいと、桔梗を拒もうとするから話がややこしくなる。

 プライドなどかなぐり捨て、大人であろうとはせずに。弱っている時くらい、素直に桔梗へ縋ればいいだけだ。


 美月に縋っていた、あの日のように。


「氷室先生って、あんまりメンタル強くねぇよな」

「メンタル鬼強(おにつよ)のきーちゃんと、一緒にしないで。氷室先生は繊細なの!」

「はいはい。偏屈な医者が時折見せる弱さに惚れたんだもんな、桔梗は」

「むぅ……っ。それだけじゃないもの。私は氷室先生のすべてが大好きだから、お付き合いしようと決めたの!きーちゃんだってそうでしょ!?」

「まぁな。焔華さんのことメンタル弱すぎなんて口にしてみろ。燃やすぞ」

「ほら、やっぱり……!」


 吉更は焔華がアイドル時代、MCで炎や焔の話題を出していたのを真似して、軽い口調で桔梗へ燃やすぞと口にした。

 放火宣言とはなんとも物騒な言葉であるが、桔梗は冗談と受け取ったらしい。


「私のことを馬鹿にするってことは、自分を馬鹿にしているのと同じことだからね」

「そりゃそうだろ。双子だぜ」

「だから……!」


 桔梗は吉更が納得するような言葉を紡ぐまで、氷室を抱きしめたまま言い争いをやめる気はないようだ。


(元気だな。何年経っても、変わらない……)


 氷室は落ち込んでいるのが、馬鹿らしくなった。

 直道を藤井に逮捕された時点で、悪化の子迫害法律をどうにかするため調整が必要なくらいで、氷室がなすべきことはすでに何もない。

 過ぎたことをくよくよ後悔したって仕方がないのだ。

 桔梗に余計な心配を掛けるくらいならば、氷室は幻覚の彼女ではなく──眼の前にいる桔梗を見つめてやるべきだろう。


「ふ……っ。ははは……!」


 そう考えたら、腹を抱えて笑いたくなった。

 突然笑い始めた氷室に、吉更は目を丸くするが、桔梗は声を上げて笑う氷室を見るのは2度なので驚くことはない。


(メンタルが弱い?その通りだ。俺は桔梗が思うほどよくできた人間ではない。まともに見えるだけで、人肌恋しい臆病者)


 にこにこと笑顔の桔梗は、気が狂ったかと引き気味な吉更の様子など気にした様子もなく、言葉を紡いだ。


「氷室先生。私ときーちゃんのやり取りを聞いて、元気になれた?」

「ああ。誰がなんと言おうとも。俺にとって、お前らは天使だ」


 祝福の鐘を鳴らす、二匹の天使を思い浮かべた氷室は、桔梗から身体を離すとシートベルトを取ってドアを開け、外へ出る。

 双子たちもそれに習って車から出た瞬間を狙って、吉更と桔梗の肩を後ろから掴んで腕を回した。


「うわ……っ。いきなり真ん中に割り込んでくるなよ」

「すまない。今すぐ、どうしてもお前らに触れたかった」

「えへへ。いいじゃない、きーちゃん。氷室先生に双子サンド、なかなかできないことよ?」

「俺は焔華さんが真ん中なら、文句はねぇけど……」


 吉更の理想は、焔華、吉更、氷室、桔梗の順で肩を並べることだったらしい。

 機会があれば焔華に頼んでやろうと決めた氷室は、眉を顰める吉更がバツの悪そうに桔梗へ問いかける声を聞いた。


「氷室先生、焔華さんと同じこと言ってんぞ」

「私ときーちゃんが天使なのは、焔華さんと氷室先生にとっては周知の事実ってこと!さすが私ときーちゃんの伴侶。大好き!結婚して!」

「そうだな……」


 普段であればそのうちなと言葉を濁すはずの氷室は、珍しく含みのある歯切れの悪い言葉で深く考え込む。

 吉更は何事かと氷室へ疑いの眼差しを向け、桔梗は期待を込めた瞳を氷室へ向ける。

 二人の肩へ手を回すのをやめた氷室は、桔梗に背を向けた建物内へ向かうための階段を目指しながら、軽い口調で口にしたその言葉は──


「するか、結婚」

「する!」


 地下駐車場に反響して、響き渡った。

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