29日:ファンの少女
8帖の部屋に両サイド。
ベッドと収納タンスを置けば、床の見えるスペースはそう多くはない。
天井が低く、壁が近い沖縄の部屋を見慣れている氷室は、8年ぶりに寝泊まりをした部屋で目覚めた。
(どこだ、ここは……)
手が届かないほど高い天井に、桔梗と二人で寝ても、密着する必要がないほど余裕のあるキングサイズベッドに氷室は横たわっていると気づく。
「氷室先生……」
聞こえてきた声の方へと視線を移せば、氷室の胸元を枕にして眠る桔梗の姿があった。
大きなキングサイズベッドの上で共に眠るのならば、密着する必要などないのに。沖縄での生活が、すっかり板についてしまっているのかもしれない。
(あの部屋は2人で暮らすなら狭すぎる……)
沖縄で暮らし続けるならば、桔梗と同居することになればいの一番に引っ越そうと決めた。
「……氷室先生、今日は……あの人へ会いに行くの……?」
「いや。藤井と合流して、心臓を移植された女に会う」
「ふじ……刑事さん……?」
吉更は藤井と話をしたことはあるが、桔梗には藤井が馴染みないのだろう。
こてりと首を傾げ、身長差の関係で氷室を見上げる彼女の姿は美しい。
「そうだ。よくわかったな」
「むぅ……。子ども扱いしないで」
桔梗が子どもなど、とんでもない。
風呂上がりからイメージカラーの紫を貴重としたネグリジェに身を包んだ彼女は、とても魅力的だ。氷室の彼女になった以上、誘惑する必要などないのだが……桔梗は隙あらば氷室へ手を出して欲しそうに薄着で密着してくるのをやめてくれと何度叫んだ所で意味はない。
(眼福であることは間違いないからな……)
どんどんと過激になっていくのは見逃せないが、氷室の前でだけならなんの問題もないだろう。
氷室の前だけなら。
「桔梗……」
藤井と合流するため身支度を整えた桔梗を前にして、氷室は思わず彼女の下半身へと目をやった。
「これから外に出るんでしょう?どうかな。ギャルスタイルだよ」
桔梗は下着が見えそうなほど短いプリーツスカートを氷室へ見せびらかすためにくるりと一回転してみせる。
(桔梗が短いスカートを履くのは今に始まったことではないが……)
上半身のブラウスとブレザー姿はともかく、この格好で外を出歩かせるわけには行かない。
「ロングスカートにしろ」
「ええ?これから私よりも若い女に会うのよ。足が細くてギャルスタイルを着こなしていて、かわいいって所を見せなくちゃ!」
「……なんのために会うと思っている……」
まるで氷室がこれから彼女同伴で若い女と浮気をすると疑っているような言動を聞き、氷室は思わず頭を抱えてしまう。
今は真冬だ。
ミニスカートに生足を晒して外を出歩くことはしないだろうが、室内でもその格好を人目に晒すことなど我慢できない。素肌を晒す相手がたとえ、同性であろうとも。
「私の目が黒いうちは、氷室先生に近づく女は全員返り討ちするから」
「他の女に、俺が目移りするほど欲張りな男に見えるのか」
「氷室先生にとって私は、最高級品?」
「当然だ」
「美月先生よりも?」
ああ、まただ。
桔梗は存在するはずもない美月の幻影に怯えている。
(純粋な疑問か……)
美月よりも桔梗を好きになるわけがない。
桔梗の中に刻まれたその呪いは、いつ昇華されるのだろうか……。
「……美月を気にするのはやめろ」
「氷室先生、でも……」
「俺が愛しているのは愛知桔梗だ。その言葉で伝わらないのならば、どうすれば伝わる?」
昨夜散々愛を注ぎ込んだ後であるのに、氷室が桔梗へ向ける愛が1ミリも届いていないとは遺憾でしかない。
のそのそとした動きでスーツケースからロングスカートを取りだすと、桔梗は氷室へ選ぶように告げると浮かない顔で愛を確かめる方法を口にした。
「他の女に目移りしないと、約束してくれたら……」
「当然だ」
氷室は二番目に提示された無地のロングスカートを指差すと、桔梗に着替えるよう促して自宅を後にする。
(今をときめく芸能人と二人きりで長時間出歩くリスクを、真面目に考えたことはなかったな……)
沖縄で一時的に暮らす際、桔梗は万全とも呼べる変装をして短時間外へ出ることはあったが、長期間氷室と共に外を散策したことはない。
桔梗を見た通行人がどのような反応をするかわからなくては、対処のしようがないだろう。
「氷室先生」
桔梗の声音はとても魅力的で、特徴的だ。氷室が彼女の名を呼び、それに桔梗が答えたのならば。
すれ違った人々は氷室の隣にいるのが愛知桔梗であると気づいてしまうだろう。
(車が必要だな……)
運転免許こそ所持しているものの、氷室は長らくペーパードライバーだ。
助手席に人を乗せるのは、簡単なことではない。
(顎に使うことを躊躇する必要はなかったか……)
今からでも遅くはない。
鈴瑚に車を出せと命じるかと考えを改め直した所に、ロングスカートを翻す桔梗がやってきた。
今日はギャルスタイルの予定だったようだが、ロングスカートに変更した影響で金髪ポニーテールのお嬢様スタイルへ変更したようだ。
「どうかな。鈴瑚お姉様の真似。お嬢様スタイルよ」
「悪くない。今日も可愛らしいな」
「ふふん。氷室先生にそう言って貰えて嬉しい!」
「住宅街を抜ければ、人通りの多い場所を歩く。声は出すな」
「はーい。氷室先生とはぐれないように、引っ付いて大人しくしているね」
桔梗と氷室には30cm近くの身長差がある。
お嬢様スタイルの桔梗にまとわりつかれる氷室は、わがままなお嬢様の面倒を見る執事のように見えなくもない。
(父親と娘だな……)
二人の姿を見て、すれ違う人々が恋人であると認識することはないだろう。
「……?」
東京都内の歩道は、辺りを見渡せば常に誰かが道を歩いていた。
沖縄とは違うので、桔梗は正体が露呈しないように口を閉じている。
彼女は氷室の不機嫌そうな顔色を覗って首をかしげた。
「面倒を掛ける」
小さく首を左右に振った桔梗は、氷室の腕に強くしがみつくと、ある場所まで嬉しそうに密着したまま口を噤み続ける。
「よお、今日は偉いべっぴんさん連れなこって」
「久しいな」
「年の瀬におじさんを呼び出すなんて、いい度胸をしているねぇ」
「どうせ暇だろ」
「暇ではないけど、氷室くんに手を貸せば、大物が釣れるから。おじさんも美味しいのよ。そいじゃあ、お話伺いに行こうか?」
桔梗は氷室と藤井のやり取りを物珍しそうな表情で見つめている。
氷室には男友達が存在しないため、同性と話している姿が新鮮に映るのだろう。
(そのうち耐えきれなくなって、俺は桔梗のものだと騒ぎださなければいいが)
自然と氷室の腕にまとわりつく力を強めた桔梗を気にしながら、3人は少女がいるはずの公園を目指して歩き始めた。
「氷室くんも次から次へと大変だねぇ。臓器売買事件が終わったかと思えば、うちの若い衆を借り出して雪ん子ちゃんに協力してさぁ。今度はこれだろ?おじさんが氷室くんだったら疲れちまうよ」
「この件が終わったら、もう二度と関わらない」
「それってフラグ?3度あることは4度あるかもよ?」
「勘弁してくれ……」
3度目が解決していないのに、4度目の話など冗談ではない。
氷室が背中を折り曲げて俯けは、桔梗が頭を撫でて慰めてくれる。
氷室はその優しさに癒やされながら、公園の敷地に一歩足を踏み入れた。
「……静かに」
藤井の静止が聞こえ、公園の入口に置かれた大きな看板に3人、身を隠すことになったのは。
「一足遅かったみたいだねぇ」
公園のベンチに、少女と男が座って話をしている姿を確認した藤井が明るい声を出した。
少女の方は、亡くなった少年から心臓を移植された悪魔の子。
男の方は、正路直道だ。世間は年の瀬、真っ昼間だからだろうか
惨劇が起きることなく、穏やかな時間が流れている。
「あいつの目的は復讐だろ。のんきに復讐相手と雑談などする理由があるのか」
「さぁて、ねぇ。その辺りは、おじさんにはわからん」
「……殺す理由を、探しているのかもしれない」
「……なんだと?」
氷室の実家を出てから黙っていたはずの桔梗が口を開く。
都会にしては人通りの少ない公園ではあるが、完全に人気がないわけではない。
大きな看板を背に身を隠す三人は通行客から疑いの眼差しを向けられていたが、小声であれば問題ないと判断してのことなのだろう。
「手紙一つで感謝を伝えて、のうのうと生きている悪魔の子が許せない」
「あいつが言ったのか」
「うん……」
移植手術が成功した患者は、自身の身体に移植された臓器が誰のものか知る権利はない。
顔を見たことなく、名前すら知らない人物に向けて記された感謝の手紙を、亡くなった少年の両親に頼んで直道は見せてもらったことがあると桔梗へ告げたようだ。
『手紙一つで終わりなのかよ』
亡くなった少年の心臓を移植されたからこそ、直道の隣で笑う少女は生きている。
『ありがとう』
たった5文字で許されることではないと、直道は憎悪を募らせたようだ。
「殺害したい相手と会話をすることで、引き金を引く理由を探しているなら……」
少女が引き金を引く理由を口にすることさえなければ、直道は少女を殺すことなく素直に別れを告げるのだろう。
だが──少女が無意識に直道の心に隠した銃口の引き金を引くようなことがあるのなら……。
(目の前で惨劇が繰り広げられるのだけは、避けなければならない)
氷室の隣には桔梗がいるのだ。
知り合いの男が年端もいかない少女のことを殺害する姿など、見せるわけにいかない。
年上としても、彼氏としても……。
「ここからじゃ止めに入るのは、ちぃとばかし遠すぎる。おじさんはもう少しだけ近くに潜むとしますかね」
「藤井」
「んー?」
「応援を頼む。この場で決着をつけるぞ」
「そりゃまた急展開なことで。証拠もないのに、逮捕などできないよ?」
「相手は銃を所持している。銃撃戦になれば、緊急逮捕は止む終えん」
「真っ昼間からドンパチやったら、さすがにおじさん達が事情を聞く所じゃなくなっちまうからねぇ……。氷室くんの大事なお嬢ちゃんに流れ弾があたっても困るし……」
藤井は消極的だったが、氷室が念押しすればどうにか応援を呼ぶ手筈になった。
「……身の危険を感じたら、俺を盾にしてでもいいから逃げろ」
「氷室先生、でも……」
「俺はお前を失うわけにはいかない」
「氷室先生……」
ベンチに座って話をする少女と直道の2人とは距離がある。
藤井は応援を呼びながら一足先に近くに進んでいるが、氷室と桔梗もいつ何が起きてもいいように場所を移動する必要があった。
「今から録音する。再生機能は切っておけよ。ノイズにしかならない。弟にも、こちらは問題ないと伝えておけ」
「……うん。わかった……」
再生機能付きのイヤリングに触れた桔梗は、電源をオフにして吉更へ連絡を取る。
氷室が音声を録音し始めれば、愛知姉弟のピアスに音声が流れるからだ。
「行くぞ」
「……うん」
つないだこの手が離れてしまったとしたら。
変装中の桔梗が愛知桔梗であると認識することさえ、できなくなってしまうような気がした。
氷室は桔梗と繋いだ手を握り直して、ベンチ近くの物陰に桔梗と身を潜めると、耳を澄ませて少女との会話を盗み聞きした。
「私、心臓が悪くて……ずっと病院に入院していたの」
「へぇ、そうなのか」
「私に心臓をくれた人のお陰で、こうしてお兄さんともお話ができたの。それってとても素晴らしいことよね」
「心臓を、くれた……?」
「そうだよ。私は2人分の命を背負って、Imitation Queenの愛知桔梗ちゃんみたいなアイドルになるの!」
氷室と桔梗は顔を見合わせた。少女の口から、桔梗の名前が出てきたからだ。
(桔梗の変装を見破られるようなことがあれば、まずいな……)
少女が桔梗のファンならば、氷室と共に姿を見せた瞬間にImitation Queenの愛知桔梗だと叫ばれる可能性が高い。通行人が集まってくれば、直道からの自供を引き出せなくなってしまう。
かと言って桔梗をこのまま物陰に隠して置くわけにはいかない。
(面倒なことになった……)
氷室はいつも取り返しのつかないことを前にして自身の無力さを痛感する。
桔梗は唇を噛み締める氷室を心配そうに見つめ強く手を握りしめると、開いている手で肩を震わせる直道を指さした。
「お前に心臓を提供したドナーが……」
「お兄さん?」
「お前に心臓あげるなんて、自分から口にするわけねぇだろ……!」
「お兄さん?どうしたの……?」
先程まで穏やかに少女の話を聞く優しい青年にしか思えなかった直道が、突如として怒鳴りだしたのだ。
少女は動揺しながらも、どこか具合が悪いのかと心配している。
その無神経さは、復讐の炎を燃え上がらせるための起爆剤にしかならなかった。
「あいつだって、好きで死んだんじゃねぇ。殺されたんだよ。お前らみたいな、時が経てばいつか必ず死ぬような奴らを生かすためだけにな……!」
「ころ……殺され、た……?」
「お前もあの世に送ってやるよ……!」
至近距離で心臓を弾丸で貫けば、どうなるかなど火を見るよりも明らかだ。
氷室は桔梗を伴い、藤井とほぼ同時に直道の前に姿を見せた。




